八雲の3色そば。左下から時計回りにトロロ、たぬき、卵
●日本屈指のスピリチュアルスポット・出雲大社で癒される… か
出雲大社前駅の改札を出て、駅前から出雲大社の大鳥居に向かって延びる、ゆるい坂を歩いていく。天下にその名が轟く縁結びの社だけに、門前町は良縁祈願を前に浮き足立つ女性たちで、大層な賑わいを見せている… と思ったら、ぽつりぽつりと点在するみやげ物や飲食店はいずれも活気がなく、何となく閑散としている。夏休み後の9月の平日であることを差し引いても、この界隈屈指の観光地としては、何ともさびしい限りだ。
大鳥居をくぐり、砂利の参道を下っていくと、沿道には彼岸花が咲いていたり、蓮池があったりと、境内を歩いているだけで気分がいい。近頃は、あのスピリチュアルの先生の影響もあり、神社がヒーリングスポットとして注目を浴びている。人気のない壮大な社の散歩で、ゆったり癒されてみるのもいいかな、と拝殿にたどり着いてビックリ。
どこからやってきたのか、あたりはたくさんの参拝客で、結構な賑わいだ。拝殿には良縁祈願の順番待ちの行列が延びており、大きな注連縄に小銭を投げつける(注連縄にはさまると、良縁に恵まれるとか)女性の姿も。自分もあわてて行列について、良縁祈願のお祈りを済ませることに。祈願したのは今さら女性との良縁ではなく、旅先でうまいものと出会えること、そして良い人と出会えること。こうした縁あってこそ、食紀行の仕事は成り立っているのだから。
などと殊勝に祈りを済ませて、人の流れについて境内を後にすると、さっきの閑散とした門前町とはうって変わって、参拝客でごった返す飲食店やみやげ物屋街へと出た。こちら側には、大型バスの駐車場があり、ツアーバスがひっきりなしに到着しては、団体さんがどっと境内へとなだれ込んでいく。電車でふらりと、秘めた想いをひっそり叶えに、というより、ツアー旅行で女3人姦しくワイワイ賑やかに、という参拝が主流なのかは知らないけれど、境内の唐突な賑わいの原因がよく分かった。門前町の賑わいも、駅前通りよりも大型バス駐車場付近のほうに、軍配が上がる訳である。
さてお昼にするか、と通りをちょっと歩くと、連なる格子が美しい外観のそば屋に出くわした。出雲大社の門前といえば、「出雲そば」の店が軒を連ねており、お昼ももちろん、そばの予定。ひと通りあたりを歩いて、店をしっかりと物色するつもりだったけれど、良縁祈願の直後だから、これも何かのご縁かも知れない。
出雲大社の拝殿。右の大注連縄に、賽銭が挟まるとご利益が
●門前町の出雲そば屋は、豊富なメニューが魅力
参道を臨む窓際の席が空いていたので、そこに通されて品書きを見たところ、確かにメニューはそば屋にしては多彩だ。天ぷらや刺身の定食、丼物にお子様ランチ、何とそば屋なのにうどんまである。客席のたたずまいだけでなく、メニューの豊富さもまた、和食ファミレス風か。
それでも、注文するのは別名「割り子そば」と呼ばれる出雲そば。出雲大社にやってくる前に、松江の「神代そば」でも朝飯代わりに割り子そばを頂いたので、同じものにしようと思ったら、この店、割り子そばのバリエーションも多彩だ。ざっと品書きを眺めただけでも、プラス2段の5段割り子や、3段それぞれタネにひと工夫した3色割り子。大盛りで行くか、多彩な味でいくか、やや迷って「3色」に決定である。
ファミレス風云々と何度か書いてしまったけれど、この店は創業以来350年と、出雲大社門前のそば屋の中では屈指の歴史を誇る老舗である。品書きの裏面には、「宮内庁御用達のそば処『鶴喜そば』での修業によるそばを供する」と能書きが綴られており、本格的な手打ち出雲そばの店、とアピールしている。
その出雲そば、一体どんなそばかといえば、大きく3つの特徴を押さえておきたい。ひとつは、使うそば粉。そばの実を殻ごと挽いた、「挽きぐるみ」と呼ばれる粉でそばを打っており、見た目は黒っぽい「田舎そば」。香りと腰が強い上、そばの殻にはビタミンやミネラルが豊富なため、栄養価も高いとされている。
そしてもうひとつの特徴は、使う器。「割り子」と呼ばれる小振りの丸い容器に、3段ほどに分けて盛って頂くのが、出雲そば独特のスタイルである。この地方の重箱だったとか、弁当箱として野外に持ち出していたとか、形も当初は四角だったが角の部分が洗いづらく、衛生の面で丸くなったとか、様々な俗説があるのが面白い。
そして3つめの特徴は、食べ方。冷そばは普通、そば猪口に入れたつゆに浸して頂くのだが、出雲そばは濃い口のつゆを、そばの上から直接かけ回して頂く。そばを食べ終えて、割り子の中に残ったつゆを、次の割り子に空けて頂くのもまた、出雲そばの流儀だ。
ところで出雲そばという名前からして、出雲市・出雲大社の名物、と思っている人が、かなりいるのではないだろうか。上記のスタイルのそばは、実際には出雲大社界隈だけでなく、実は島根県の各地で広く食べられている。出雲大社をはじめ、藩主の松平不昧公がそば懐石を広めたとされる城下町の松江、最近良質なそばが収穫されることで注目されている三瓶山麓などなど。基本的な特徴は同じながら、それぞれの地域でそばやつゆの味に、微妙に違いがあるという野も面白い。
本当の元祖はどこかという論争や、呼称はこの地域を広く指す「雲州そば」とすべきなど、「出雲大社のそば」と捉えられることへの意見も多々あるようだけど、今日のところはその辺の話は抜き。良縁成就、もとい美味いそばと出くわすことを期待しつつ、古くから、出雲大社の参拝客をもてなした味を、楽しんでみることにしよう。
八雲の外観。店内は結構広い。
三色割子は3段の割り子に入っているのは、神代そばで食べたのと同じで、そばの上にそれぞれトロロ、卵、たぬき(揚げ玉)がのっている。そばは見た感じ、やや白っぽく細めで、正統派の出雲そばよりもやや上品な印象。箸で持ち上げてみると、エッジがしっかり効いて、角ばっている。
まずはトロロの器から、つゆをかけまわしてグルグル混ぜてひとすすり。ここのそばは国産の本そばの実を甘皮ごと挽いたそば粉に、八雲山の岩清水を使い、香り高い風味が自慢とある。そばは味も風味も軽く、むしろパキパキした固めの食感のほうが印象的。出雲そばは一般的に、そばの味と香りを楽しみながらモグモグと頂くけれど、これは歯ごたえを楽しむそばだ。
ゆるめのトロロと一緒にさらりと平らげ、2段目の器にかかる前に出雲そばの流儀に倣い、残ったつゆを2段目へとあける。トロロも少し残っていたため、2段目はトロロたぬきそばになってしまった。こちらは揚げ玉の香りとコッテリさが加わり、味が濃くなってなかなかうまい。
神代そばの話では、松江のそばつゆはカツオの本節をベースにした辛目のつゆ、出雲のは甘目とのことだったが、食べ比べてみると確かにその通り。松江は城下町のため、参勤交代で江戸へ行き来する殿様が、江戸の辛口の味付けに慣れたからといわれており、キリッと切れのいい味だった。一方、ウルメいわしと地元出雲の醤油で作ったこの店のつゆは、そばのさっぱりさを包み込むようなまろやかさ。お江戸の松江のそばに対して、関西風、地元風といったところか。
同様に3段目につゆをあけると、最後は天玉そばに。卵をつぶして混ぜ、つゆを多めに入れて、もったりしたあえそば風ので締めくくりとした。つゆだけでなく、タネまで順次次の割り子へ空けていくのも、出雲そばの流儀… てなことはないだろうけれど、3種のタネがそれぞれ楽しく味わえるそば、という印象。松江で頂いた、こだわりのそば粉で打った元祖出雲そば、とは性格が異なるけれど、良縁祈願の後の華やかな気分で、タネの彩り華やかなそばを頂く、というのも、また面白いのではないだろうか。
そばだけに、ほったらかしにしてダラリと伸びちゃわないように、ズルズルと長~くいい関係を大切にしなくては、と、縁結びの社の門前のそばを男女の仲と掛けてみたりして。そんなことを考えているとふと、我が家で自分の帰りを待っている、良縁祈願のご利益(?)たちのことを思い出した。腹ごなしに拝殿へ引き返して、みんなのためにもう一度良縁祈願をしてこようか。仕事面でも家庭の面でも、様々な意味で良い縁がこれからも、もっともっといっぱいありますように、と。(2006年9月26日食記)