試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、スタンドにたたずむ僕の心の中には、特に湧き上がる感情はなかった。降りしきる雨の中でのサッカー。アウェーチームを応援する彼が、仲間との歓喜の輪の中へと加わりに行くのを見ながら、僕はただ、うなだれて力なく歩くホームチームの選手たちを、ぼんやりと見つめていた。
遠く雨煙に霞む、ホームチームを応援する観客たちは、誰一人帰ろうとしない。選手を激励や鼓舞するためではなく、そこに待つのは叱責や論詰。無理もない。ただでさえ、ろくに見せ場のない一方的なゲーム、そのやり場のない気持ちを抱えながら、だだ降りの雨にひたすら打たれる。熱狂的応援者の精神に、より効果的な苦痛を与えるには、充分すぎる仕打ちだ。
でも果たして、誰が真の被害者として、選手たちを責めることができるだろう。五月晴れが続いた5月の連休で唯一この日に、しかも試合の時間に申し合わせたかのように強い雨が降ったことも、旧式の球技場の観客席に屋根が一切ついていなかったのも、彼らのせいでも何でもない。唯一、彼らに責任があるとすれば、ベテランのFWが決定的な得点機を逃したことだろうが、状況をとりかこむ間の悪さの数々において、それは例えば場末のショットバーで頼んだマティーニの出来が悪いのは、オリーブに刺さった楊枝の角度が妙だからだ、程度の責任転嫁でしかない。
ある意味、降りしきる雨以上に苛烈な罵声を浴びるべく、ふらつく足取りで選手たちがスタンドに向かう後ろ姿を見送り、僕は席を立った。この後起こるであろう出来事に耐え抜くには、今の彼らはあまりに疲れすぎている。そして自分の心も、それを見届けていくには、あまりに疲弊して冷え切ってしまっていた。
いっそ「世界の終わり」の街で暮らしていくのもいい、そう思うことが時折ある。「世界の終わり」 -それは、ある人気文芸作家の作品中に出てくる、主人公の意識の中に存在する街である。正確には、その主人公の意識を形成する中心である「意識の核」を、映像化したもので、いわば主人公のもつこの世の世界観、というべきものだろう。それは自分自身でも自覚や制御ができない、不変かつ不可侵なもので、人は誰でもそうした意識の核を持っている、とその作家は説いていた。
作品の主人公の有するその世界とは、高い壁に囲まれていて、外との行き来はできない。そこで生活を営む人々は皆、望むものは何でも手に入り、失うものは何もない。何故なら人々は「心」を持たないから。それ故に、傷つくことや悲しむことがないという、一見すると完全、細見すると決定的な不自然を擁する世界。
彼と会い酒を飲むといつも、「世界の終わり」の解釈について、結論の出ることのない話に興じる。聴く音楽も、見る映画も、読む本も全く趣味の違う僕らが、この作品について議論を戦わせるのは、何故なのかは分からない。確かなのはいつも、論争を仕掛けるのは僕のほうであることだ。
「壁に囲まれた世界の中で、心を捨てて生きていくのも、ひとつの幸せじゃないか」
「でも結局、『僕』は心を捨てずにこの世界で生きることを選択した。それは真実だ」
「『僕』はそれでも、この『世界の終わり』の街へととり込まれることを望んだのだろう」
まだ小学生の頃、大きな貿易港に近いこの町を離れ、西のほうにある同じような港町で暮らしている彼とは、思い出したように再会することがあった。その時の僕は、申し合わせたようにいつも疲弊している。孤独だった高校時代、彼女が突然僕の前から去っていってしまったとき。そして今、ひたすら走ってきて、立ち止まり駆られる、原因の分からない不安と焦燥。
若いときの疲弊は、大人のそれよりも闇が深いというが、その深さの程度はどうかは大きな問題ではない。確かなことは、こうして彼とまた再会している今の僕の心の中にも、疲弊は訪れている。そう、僕は今、心も体も疲弊して冷え切ってしまっているのだ。
高層ビルやショッピング・モールが乱立する、華やかな臨港地区ではなく、打ち捨てられたように澱んだ旧市街にあるその酒場を出てから、僕らはあてもなく歩いた。週末というのに、まるで深夜の遊園地のように閑散とした商店街では、どの店も固くシャッターを閉じている。人気も生気もなく、存在するのは沈黙と拒絶。オーケー、僕だって何処にも誰にも、何の用もない。
路地にぼんやりと灯るネオン・サインを見つけた僕らは、何も考えることなくその小さなバーへと入っていった。何でもいい、ただ座れればいい。酒があればそれでいい。
わずかばかりの客たちは、他人からの干渉を拒絶するかのように、狭い店内でこれ以上離れられないほどバラバラに座り、カウンターの上のモニターに流れるミュージックビデオ・クリップに、所在なげに目をやっていた。カウンターの隅には、店の老主人と思われる人物が腰掛けている。グレーの長髪を後ろ髪に束ねた小柄な老人が、時折思い出したように飛んでくるオーダーにくるくると対応しているのは、何だか童話の世界にしか存在しない小動物を思わせた。
店の名前からして、ジョン・レノンかエルトン・ジョンの信奉者なのだろう。ただ、それは僕の思い込みに過ぎず、あるいはジョン・コルトレーンかも知れないし、スキットマン・ジョンなのかもしれない。孫娘がピーチ・ジョンのヘビーユーザーということだって有り得る。知識の範囲に基づく判断力なんて、この程度の許容幅しか持っていないのだ。
グラスふたつとちょっとしたオードブルの皿を置いてしまうと、あとはディズニーアニメに出てくるティンカーベルが、つかの間の休息をとる居場所すらないような小さなテーブル。それが散発的に配された店の一番隅の席に、僕らは黙って座った。気配に気づいた小動物的な老主人は、僕らの言葉に従順に、ズブロッカのオン・ザ・ロックと、ナッツがごちゃまぜにのった皿を運んで来た。それから僕らは特に話すことなく、ほかの客たちと同じように、流れ続けるビデオ・クリップを漫然と眺め続けた。
ビデオはちょうど、盲目のギタリストによるライブが佳境を迎えるところだった。ギターを横に寝かせて、ネックに立てたすべての指を、まるで冬眠前のハリネズミのように、せわしなく動かし続けている。その姿は老練なギタリストというよりは、まるで気難しそうな大正琴の家元を思わせた。
やれやれ、と僕はつぶやく。どうして、目が悪いのにそこまでしてギターを弾こうとするのだ。よりによってそんな運命を抱えながら、ギタリストという職業をわざわざ選ぶ必然性が、彼の送ってきた人生の中で何故生じてきたというのだろう。
でもそれは、傍観者から見た折り目正しい客観論に過ぎないのかも知れない。ギターを弾きたい人間は、自身の抱える問題がどうであれ、弾けばいいだけのことだ。それ以上も、それ以下もない。突き詰めて考えれば、人生なんて極端にシンプルなつくりであることに、僕が気づいていないだけなのである。
ふと思う。彼の「世界の終わり」の街には、いったいどんな情景が広がっているのだろう。そしていかなる様相の住人が、暮らしているのだろう。世界の終わりに「心」があるかどうかは、実際は大きな問題ではない。本当は誰だって、自らが築いた「壁」に守られた世界観の中で生きることを、望んでいるはずなのだ。それはずぶぬれの雨の中で、絶望的な大敗を喫したしたサッカー選手だって、何某かのジョンを信奉しつつ小さな店を守り続ける老主人だって、きっと同じに違いない。
溶けた氷がグラスと接触する、乾いた音が軽く響いた。ズブロッカをさらに2つオーダーし、老主人に勧められるがままに、ナッツももうひと皿頼んだ。食べかけの皿には、固い殻つきのピスタチオばかりが見事に残っている。僕がアーモンドやマカダミア・ナッツばかり選んだ結果だ。いつもそうだ。面倒なことからは逃げて、誰にとはなく押し付けている。そして今日も、彼はこの行き場のなく疲弊している人間を、いつもと同じように押し付けられている。まるで、皿に残った殻つきピスタチオのように。
グラスが運ばれてくる頃には、ビデオ・クリップの映像はニール・ヤングに変わっていた。
「エブリタイム・ユー・ゴー・アウェイ」
僕がつぶやくと、それはポール・ヤングだ、と、モニターから目をそらすことなく彼が返した。
Everytime you go away, You take a piece of me with you -
それは確か、この店から歩いて5分も離れていないところにある街の体育館で、高校生の頃に初めて聞いた、外国人アーティストの唄だった。「貴方が僕から離れていくたびに、僕の一部を持ち去っていってしまう」。でも、多くの人が僕から何かを持ち去り続けてきたように、きっと僕も誰かから何かを持ち去り続けているに違いない。ポール・ヤングに説かれるまでもなく、誰だって生きていく上で、人と関わって、擦り減って、すり減らしての繰り返しから、逃れることはできないのだ。
思い出した。前にこのバーを訪れたときの僕は、エネルギーに満ち溢れていた。臨港地区の祭りで打ちあがる花火を眺めた後、老主人の人柄に惹かれて訪れる客たちに囲まれ、カウンターでホットドックをかじり、ビールを飲んだ。それは確か、妻と暮らすようになった最初の晩のこと。まだ若く、これからの生活に希望を抱き、仕事にもきっと、精力的に取り組んでいた筈だ。少なくとも、今のこの状況の僕よりはずっと。
それからあまりにも時間が経ち、僕は着実に齢をとってしまった。その過程において、誰もと同じように、擦り減り、疲弊して、冷え切ってしまうことを繰り返してきた。それでも結局のところ、僕に残され、課せられているのは、歩き続けることのみ。「壁」に守られた自分の世界観の中で、歩き続けていくしかないのだ。
ビデオクリップのプログラムを映し終えたモニターに砂嵐が流れ、老主人がカウンターの女性と興じていた、ビデオクリップの論評にひと段落ついたのを潮に、僕たちは席を立った。先に扉をくぐった僕は、店頭に据えられた時代遅れのパン屋にあるようなショーケースから、3本のホットドックを買い求めた。殻つきピスタチオを押し付けた償い、というとオーバーだが、1本の包みを遅れて出てきた彼に差し出す。そして僕らは再び、眠るというより死んでしまったように生気のない商店街を、駅へと向かって引き返していった。
通りの入り口にそびえたつ、お世辞にも趣味が良いとはいえない世俗的なモニュメントの前で、僕らは言葉少なに別れた。彼はさっきの旧市街にある、眠るため以上の機能を持たない簡素な宿へ、僕はありふれた郊外の街へ向かう電車が発着する駅へと、それぞれ反対方向へと背を向けて歩き始める。それはまるで、僕は僕の、彼は彼の、世界観へ向けての帰還を意味するセレモニーのように。
駅でふと思い立ち、改札口をくぐる前に、家に電話をかけてみた。日付が変わろうとしている頃合だったにも関わらず、予想に反して妻が電話口に出てきた。ホットドックの話をしようかと思ったけれど、説明が長くなると面倒なので、用件だけを一方的に伝えて切ろうとした。すると、
「あなた、今、いったいどこにいるの」
何処へも行くことはない、僕はここにいるしかないのだ。昔から、今も、おそらくこの先も、ずっと。(2007年5月6日食記)