ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

旅で出会ったローカルごはん87…松江 『神代そば』の、三段割り子の出雲そば

2007年05月03日 | ◆旅で出会ったローカルごはん


神代そばの割り子そば。つゆは上からかけまわして頂く

本場出雲市の「出雲そば」を頂く前に、松江のそばも賞味

 宍道湖のシジミ漁を見物するため、この日も早起きとなった旅の朝。漁を終えた船が徐々に帰港していくのを見届けたら、自分もそろそろ松江を後にする頃だ。
 さて、今日はこれからどうしよう。宍道湖岸を電車でドコドコと走り、出雲大社あたりをぶらぶらしてみようか。天下無敵の縁結びの神様だけに、寂しき独身時代にはぜひとも良縁祈願を、なんて大いなる期待を抱いて訪れたこともあったが、当時のご利益は確か、今ひとつだったような。既に枯れてしまった(?)今となっては、縁結びの参拝よりは楽しみは出雲そばと、すっかり色気より何とやら、か。

 昼食の出雲そばまでのつなぎにと、市街のスタンドそばに寄るつもりだったが、ホテルでもらった観光パンフレットをめくってみたところ、こんな早い時間からやっているそば屋があった。松江城や武家屋敷といった、松江の見どころが集まるあたり離れ、車通りの多い道を歩くこと10分ほど。いかにも地方都市の旧市街といった町並みの一角に、その『神代そば』の暖簾がひるがえっているのを見つけた。
 観光パンフレットにのっているぐらいだから、老舗然とした立派なたたずまいの店かと思ったら、小ぢんまりした店は見た感じ、ごく普通の町のそば屋である暖簾をくぐるとすでに数組の客が、そばを黙々とたぐっている。観光客ではなく、地元の常連客といった感じで、まさに朝食に1、といった様子。先日は鳥取の境港にある食堂で、「魚モーニング」を頂いたが、この界隈では「そばモーニング」が定着しているのだろうか

何と、そば粉が選べる! こだわりのそばの味に脱帽

 奥のテーブルに着くと、お茶を運んできたおばちゃんに品書きを手渡された。かけかざるでサッといこう、と開いてみると、スタンダードなメニューは「割り子そば」。割り子そばとは、「割り子」と呼ばれる小振りの丸い容器に、3段ほどに分けて出されるそばのこと。いわば「出雲そば」の別称で、本場の出雲市が近いから松江のそば屋でも出しているんだろう。お昼に「本場」で頂く前に、ちょっと試してみるか、と注文することにする。
 すると、「そば粉はいかがしましょうか?」おばちゃんに聞いたところ、この店では地元産のそばと北海道の幌加内産のそばの2種類から、そばに使うそば粉を選べる仕組みなのである。ちょっと高いけれど、もちろん地元産を選択。どうやらこの店、かなり志の高いこだわりのそば屋のよう。この時間から来店している客が多いのも、モーニング代わりにそばをすすっているのではなく、常連のそば通に支持されている証なのだろう。

 昼食までのつなぎ感覚で気軽に入ったけれど、これは襟を正して、真剣に賞味しなければ、と待つことしばし。すぐに運ばれてきた割子そばは、赤く丸い器に3段に分けて盛られた、この地方の伝統的なスタイルのそばだ。薬味はのりとカツオ、ネギ、ワサビとシンプルつゆは別に用意されていて、そばを箸でたぐって浸すのではなく、割り子の上からかけ回して頂くのも、この地方独特のスタイルである。「つゆは少しずつかけて、そばが浸らないぐらいに」と、運んできたお兄さんに食べ方を教授頂いたら、さっそくひとすすり。
 まずはしっかり選んだ、地元産そば粉の実力を確かめようと、1段目は薬味なし、つゆだけでスルリ見た目が黒っぽいため、味と香りがかなり強いかと思ったら、押しの強くない自然な甘みが口の中に広がり、後からほろ苦さがスッと残る。つゆの味はあまりしないのは、お兄さんのアドバイスを遵守しすぎたからかな直接なめて味を見るダシがよく効いて結構しょっぱい。それにそばの風味が負けていないということは、それだけそばの味がしっかりしているのだろう
 2段目は薬味を少々加えてみたところ、食べ慣れてきたせいかそばの瑞々しさがよく分かる。腰も結構あるけれど、グイグイ押し返すように強いのではなく自然な歯ごたえそば本来の風味や香りを楽しみながら、モグモグと味わうそばで、江戸っ子のようにかまずにのど越しを楽しむだけではもったいない。だから最後の3段目も、薬味なしのつゆだけでサラリと仕上げ。余った薬味は蕎麦湯に入れて吸い物して締めくくった

そばが黒っぽいのは、甘皮も一緒に挽いているため。香りがよく甘みがある


地場産のそばの実と、自家製粉。大臼挽きならではの香りと風味

 モーニング代わりのそばの後にコーヒー、ならぬ蕎麦湯をすすりながら、食後のひとときをしばしくつろぐ。店の奥にはガラス貼りのコーナーがあり、中でご主人がそばを手打ちの真っ最中。BGMのピアノに混じり、リズミカルにタンタンタンと響いてくる、そばを切る音が耳に心地よい。作業の様子を眺めていると、さっきのおばちゃんが蕎麦湯のおかわりを運んできたので、こだわりのそば粉についてちょっと聞いてみることに。
 店で使っている2種類のそば粉のうち、地元産のそば粉は日替わりで、いずれも島根の在来種を使用松江近郊産のほか、三瓶山麓の大田市周辺産のそばの実が、ていねいな栽培で評価が上がっているというちなみにこの日の地元産のそば粉は、松江市産の玄丹そば。生粋の松江産、地場のそば粉という訳だ。在来種の収穫は10月末くらいから、新そばは11月中旬頃から出回るというから、ベストシーズンにはちょっと早かったかそれでも、香りも味もあの鮮烈さだから、地元産のそば粉の実力が、存分に理解できた気がする。
 さらにこの店では、製粉されたそば粉を仕入れているのではなく、そばを実のまま入手して自家製粉してしているという、これまたこだわりよう。市内の鹿島町に設けた自家製粉所で、石臼による昔ながらのやり方で、粉を挽いているのだ。臼は50年来使用している「大臼」だそうで、「本当は店で製粉をやって、お客さんに石臼で粉を挽く様子を見てもらいたいけれど、臼が大きすぎて店に並べると、客席のスペースがなくなっちゃうから」とおばちゃんが笑う。

 この臼でそば粉を殻ごとひいてはふるいに掛け、を繰り返して製粉した「三番粉を、一晩備長炭を浸した水を使って、そばを打つ。もちろん、つなぎを使わない生粉打ち。これだけ素材を吟味していれば、まずかろうはずがない。出雲市へ行く前に、松江で本格的な出雲そばを味わえてよかったです、と感想を伝えたところ、途中から同席していたご主人の言葉に、力が入る。
 「そりゃ、『出雲そば』の本当の本場は、ここ松江だからね」
 「? 出雲のそば、つまり出雲大社や出雲市が本場なんじゃないですか?」
 「名前から、そう解釈している人が本当に多いんですよ。そもそも出雲そばのルーツは、松江にあるんだよ」

出雲そばを広めた、グルメな殿様・不昧公

 そもそもこの地方にそば食文化が伝来したのは、さかのぼること400年ほど前。江戸初期の1638年、移封(お国替え)で松江藩へとやってきた、初代藩主の松平直政公が持ち込んだといわれている。直政公が松江の前に治めていたのは、そば処である信州の松本藩。まさに本場からやってきた、そば食文化の伝道師だったのだ。同様に信州の殿様がお国替えで移った先で、そばが広まった例として、兵庫県の出石も挙げられる。
 そして伝来のキーマンが直政公なら、それを広めたキーマンは、松江藩七代藩主の松平治郷公だ。治郷公は困窮していた松江藩を、倹約令により立て直した手腕が評価される一方、江戸期の著名な茶人でもあったという、粋な殿様。地元では治郷よりも「不昧公」と、茶人の号で称する方が通りがいい。そんな氏が広めたそば食文化とは、茶懐石の流儀にのっとった「そば懐石」である。これが茶をたしなむ松江藩の諸大名の間に好評を博し、次第に庶民の間にもそば食文化が定着。そば栽培とともに、この地方に広く伝わっていったのである。
 ちなみに不昧公はこのほかにも、茶と関連が深い和菓子を「御用菓子司」を設置してレベルアップさせたり、今でも松江名物の「鯛めし」をオランダ料理を基に考案したとされるなど、松江の食文化の随所に深い関わりを持っている。名前は「マズイ」に誤読されそうだが(笑)、茶人としてのグルメ志向も、かなり強かったようだ。


神代そばの暖簾。小ぢんまりした、町のそば屋といった雰囲気

 一方で、出雲大社や出雲市のそばが注目され始めたのは、松江にそば食文化が根付くよりずっと後の時代のことである。明治期に入り旅行が一般化して、出雲大社への参拝客や観光客が増え、門前の店で供されるそばの評判が、口コミで全国へと広まっていったのだ。その際、「出雲大社門前のそば=出雲そば」という呼称で広まり、定着していったのだろう。甘皮ごとそばの実を挽いた粉で打った黒っぽいそばを、割り子でいただくスタイルのそばは、松江・出雲市をはじめ島根県各地で出されるが、このおかげで多くの人が、「本家は出雲市のそば」と解釈しているのではないだろうか。
 そしてご主人の説明に、さらに力が入るのが、両者のそばつゆの味付けの違い。松江のそばつゆは辛目な味付けなのに対し、出雲のそばつゆは甘いのが特徴と、対照的だ。それについては、こんな説が。
 「松江は城下町だから、殿様が参勤交代で江戸へ行くため、江戸の辛目の味付けに慣れた影響からなのでしょう。あと、松江のそばつゆは、ダシを本節ベースでしっかりととっていたのが大きなポイント。松江は殿様のお膝元だから、当時貴重だったカツオ節が手に入ったんでしょうが、地方ではなかなか手に入らないからね」
 だから今も、出雲そばのつゆは甘ったるく、松江ほどダシの風味が強くないんですよ、と語るご主人。食べ比べてみないと何ともいえないが、このあたりはいく分、「殿様直伝の起源のそば」としてのプライドも垣間見えるようだが。

 「だから出雲大社周辺を指す『出雲そば』という呼称じゃなく、広くこの地域を指した『雲州そば』という呼称が、このあたりのそばを称する際には正しいんですよ」と、店内の張り紙も指差しながらしみじみ語るご主人。先ほど「松江でも本格的な出雲そばを味わえてよかった…」と、何とも失礼な感想を述べて恐縮しきりである。
 興味深い話を伺いつつ、すっかり長居してしまい、そろそろ出雲市へ向かわないとお昼には遅くなってしまいそうだ。電車に揺られ、車窓に広がる宍道湖を眺めていると、もう腹が鳴る。ルーツとか味の違いとか、それはそれとしてこの分だと出雲大社の門前でも、空腹でおいしくそばを頂けることは間違いなさそうである。(2006年9月26日食記)