ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

高崎ストリートてくてくさんぽ5

2020年08月28日 | てくてくさんぽ・取材紀行
そのまま直進してデパート「スズラン」を左に見て、先ほどの南銀座通りへ合流。左に折れたさやモールは、かつての職人街で刀の鞘をつくる職人が多かった。その先には中央ぎんざのアーケードで、今時まず残ってなさげなレトロな商店が、保護されているかのように点在するのが見られる。鞄屋、帽子屋、履物屋、煙草屋など、昭和の店構えおよび品揃えで営業しており、時間が止まったままだ。

中央ぎんざ商店街の夜の顔は、クラブ街。もともとあった商店が廃業した際に、その場所で開店したからか、くだんの昭和レトロ店舗の間にこうした店が入っている。そのため昭和な大衆食堂や文房具屋の数軒隣に、きれいどころのお姉さんが出入りするという、なんともシュールな商店街風景というか社交街風景が展開されている。

年配の店主がのんびり店番しているレトロな商店街に、日が暮れると夜の蝶が飛び交い、それに惹かれた男子が集う。これまた、高崎の縁起のひとつか。

中心市街地はこんなところで、あとで郊外も少し巡ってみましょう。

高崎ストリートてくてくさんぽ4

2020年08月28日 | てくてくさんぽ・取材紀行
高崎市役所21階の展望ロビーは、おそらく市街一の観光スポット。エントランスから入り、右手のエレベーターで21階へ。西は右方向に、稜線がゆるやかな浅間山と、左に並びノコギリ状のがたついた峰々が荒々しい妙義山が対照的。そして烏川越しに正面を向いて、高崎のシンボルである観音像と対峙する。市街を囲む丘の上の鬱蒼とした森の中に、白衣をまとい屹立。縁起の紅白の白を印象付ける眺めだ。

東は歩いてきたシンフォニーロードの向こうに高崎駅、眼下に城址の三ノ丸の様子が見下ろせる。左方向からは稜線を広くとる赤城山と榛名連峰が、高崎市街を懐に抱くように広がる。フロアのベンチは、地元の中高生が眺めを見ながら勉強したり弁当食べたりと、憩いの場になっている。ロビーのアートワーク展は高崎市にゆかりのある芸術家の作品を展示。およそ4か月ごとに展示作品を入れ替えているそう。

下に降り、シンフォニーロードをさらに先へ行くと、絵画、彫刻、写真等の展示会が行われる高崎シティギャラリー。向かいはアントニン・レーモンド氏の設計による群馬を代表する音楽ホールの群馬音楽センター。音楽センターの片隅に、櫓と門と石垣が残る一角が。模擬石垣と移築櫓と移築門で、模擬石垣の上に据えられた乾櫓は元・本丸にあった4基の櫓の内の一つで、土塁の上にあったもの。その隣には通用門であった、東門がある。藩主居宅の門との説もある。

市街さんぽの締めは、レトロで庶民派な「ぎんざ」、歩いてみましょう。

高崎ストリートてくてくさんぽ3

2020年08月28日 | てくてくさんぽ・取材紀行
シンフォニーロードに戻り、市役所方面の舗道を行くと、ハープの泉との広場へ。古代ハープをモチーフにした高さ7メートルのモニュメントに、毎時アラベスクかパッヘルベルのカノンが流れる仕組みになっている。

シンフォニーロードをまっすぐ行くと、高崎市役所のある高崎城跡にたどり着く。高崎の藩祖は井伊家17代目の直政で、関ヶ原の合戦で徳川方で大活躍した武将。高崎城は1598(慶長3)年に、氏によりこの地に築かれた。ここを中心に城下町や寺院が形成されたのが、いまの高崎の街の基礎となっている。

市役所とそのまわりの高崎城址公園周辺は三ノ丸にあたるエリアで、まわりに三ノ丸を囲む土塁と堀がわずかに残る。土塁は登って歩け、土塁の上から水堀を見下ろすことができる。城外の高崎公園は、かつての藩主の祈願所で廃寺になった大染寺の跡。噴水ほかミニ動物園があり、鶴の仲間で最も小型なアネハツルの親子の愛らしい姿が見られる。

上からも城の構造、市街や周辺を眺めてみましょう。

高崎ストリートてくてくさんぽ2

2020年08月28日 | てくてくさんぽ・取材紀行
シンフォニー通りに戻ると、あら町交差点には昭和7年築の駅前旅館だった豊田屋旅館の、木造三階建ての建物が角に。界隈はあら町(新町)で、高崎城下町の江戸時代からの町名。中山道の伝馬宿や問屋だった歴史がある。そばには地域の氏神である武田氏ゆかりの諏訪神社と、隣接して石組の山車蔵が。山車の人形は諏訪明神の健御名方冨命(たけみなかたとみのみこと)。市街には38台の山車があり、8月上旬の「高崎山車まつり」で市街を巡行する。

この先の鍛冶町交差点で右に伸びる「南銀座」は、しゃれた店が点在する舗道。ステンドグラスの横内ガラス店、鍛冶町の名に相応する創業昭和16年の刃物屋・高橋鋸店の前には、江戸の職人的行灯看板が。歩道の車止めやタイルにも、鍛治職人のイラストがあしらわれ当時を伝えている。

宮元町交差点手前には、町屋と蔵の建物が連続。WASH &FOLDは、高崎が本社の東洋リネンサプライの、洗濯代行サービス。たかさき都市景観賞を受賞した古民家「きもの彦太郎」の建物をリノベ、コインランドリーも併設して気軽に利用できる。隣の蔵のギャラリー棗は、百数十年前に建てられた商家の蔵を生かした、日本茶専門の喫茶・ギャラリー。その隣の瓦屋根に漆喰壁の刀屋も、刃物と金物の店。宮元町交差点に建つスカイビルは、かつて北関東初の回転式展望喫茶室「高崎スカイラウンジ」が設けられていたが、いまは止まっている。

では、城郭の名残もたどっておきましょう。

高崎ストリートてくてくさんぽ 1

2020年08月28日 | てくてくさんぽ・取材紀行
水戸と同じく何度も歩いた、「縁起のいい町高崎」。城下町の区割りや通りが名残を見せ商業地になった街並みを、おさらいしながら歩いてみましょう。

改札口を出てすぐ左、駅弁屋上州は、群馬の人気駅弁を集める売り場。たかべんのだるま弁当にとりめし、おぎのやの峠の釜飯も扱っている。西口の紅白だるまの石像は、東京駅の「銀の鈴」や、日本橋三越店のエンブレムなどを手がけた東京芸術大学学長で日本が誇る金工作家・宮田亮平作。狛犬のように通行者に目線を送っている。

ペデストリアンデッキをエスカレーターで降り、市役所方向へ市街を散策に出発。高崎駅前から西方面へは、音楽ホールの高崎シンフォニーホールがあることから「シンフォニーロード」と名付けられている。舗道が整備され、並木もあるなど歩きやすい道。柵のデザインはト音記号なのが愛らしい。一本裏道は飲食店街で、カフェやバル、エスニックなど洒落た雰囲気の構えも点在する

西一条通りは別名・レンガ通り。名前どおりレンガ舗装され、高崎のファッションストリートと称されているが、渋めの店が多い印象。アナログ対応可能な職人的時計専門店、細い路地に間口の狭い飲み屋街、昔ながらの町家を改装した飲食店も点在して、まとまりのなさが個性的な景観を作り出している。

城の方向へ、さらに通りを歩いてみましょう。