ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

OYOホテル松島&塩釜@本塩釜

2020年08月09日 | 宿&銭湯・立ち寄り湯
最終日の宿は、話題のインド系フランチャイズホテルに。不動産物件に対して基準の設備を用意するスタイルで、今宵の宿も雑居ビルを改装したような廉価版(3200円)だが、コンパクトで清潔。アウトバスはシャワーブースとユニットバスが使え、泊まるだけなら十分過ぎる。内装がやたら絵画だらけで、そういうホテルっぽくも見えなくないが。

楽天でたびたび出てくるので、これから活用してみよう。

松島塩釜てくてくさんぽ1

2020年08月09日 | てくてくさんぽ・取材紀行
JR塩釜駅は市街の陸側の外れで、中心部で海にも近い本塩釜へは20分ほど歩く。軽く登ってから下りで、右奥には塩釜神社の森が青々と見える。突き当たりを右に折れると「鹽竈海道」との愛称の通りへ。黒御影石で舗装された舗道とそばを流れる曲水沿いには、「道そのものが博物館」のコンセプトのもと、様々な趣向が凝らされている。旧町名などを記した道標、塩竈に由来する和歌を百首集めた「塩釜百人一首」の石板、宇治拾遺物語や好色一代男など塩釜を書いた古典の一説を記した屏風石碑、など。追っていくうちに、塩釜神社表参道鳥居へとたどり着いた。

塩釜神社は東北鎮護・陸奥国一之宮、海運の神様として、朝廷を始め庶民の崇敬を集めた古社。起源は奈良時代以前とされ、平安期の「弘仁式」にその存在が記されている。国府と鎮守府を兼ねた多賀城が近く、その精神的支えとなって信仰された所以もある。江戸期には藩主の伊達家が大神主も務め、この頃に社殿も整備されている。表参道は直登の202段の急階段が圧巻で、登ると運気が上がるとか。石段は段差が低くすり減っている上、下り方向が低いので気をつけないと滑りそう。沿道の灯篭を見ながら、ゆっくりと登る。

桃山様式の楼門・随身門から、唐破風のない唐門をくぐると、正面に左右宮拝殿、右手に別宮拝殿が並ぶ。左右宮は左宮に武甕槌神(たけみかづちのかみ)、右宮に経津主神(ふつぬしのかみ)を祀り、ともに武神として権力者に崇められていた。別宮拝殿には、主祭神である鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)が祀られる。三神が祭神で三本殿・二拝殿形式は、全国で唯一なのだとか。別宮は塩の神・安産の神として庶民の信仰が厚く、訪れる参拝客も多い。

芭蕉に詠まれた文治灯篭、葉がハガキにもなる多羅葉の木などを眺め、唐門を出て右へ。撫牛、塩釜桜、舞殿を見て、帰りは東神門から東参道を経て歩く。坂が緩やかなため歩きやすく、途中登りがキツく九十九折りの「七曲がり」の下り口が見える。東参道壱の鳥居から出ると、沿道には蔵造りの建物と古い商家が点在。茶の矢部園、家紋の違丁子がついた浦霞醸造佐浦の石蔵、らくがん「長寿楽」の丹六園は黒塗り板塀格子戸に朱の看板が目を引き、江戸期後半からのイゲタヨ印の仙台味噌の太田與八郎商店など。

芭蕉が曽良と松島へ旅立った「芭蕉船出の地」の碑を見て、塩釜神社の標石を過ぎたら街の中心である本塩釜駅へと着く。明日は、船で日本三景を拝みましょう。

麺房高松庵の平泉じゃじゃ麺@平泉

2020年08月09日 | 旅で出会った食メモ
「タレント◯◯が来店」「情報番組◯◯で紹介」と掲げたお店、あまり惹かれる方ではないが、たまにある「某究極のグルメマンガで」は、連載開始時からの愛読者だけに引っかかる。毛越寺にあるこちら、店頭に掲げた「暮坪そば」の文字がきただけで、ストーリーも全てよみがえる。辛味大根からの、という。

が、のれんをくぐりご主人の口上を伺ってから見た品書きで、心を奪われたのはそばのじゃじゃ麺。盛岡の三大ローカル麺のうち、いくらかジャンクな要素を持ったアレをそばでやるとは、最近見かける「何故そばにラー油」に通じるチャレンジにも思える。出された皿には冷そばの上に、肉味噌ときゅうりと紅ショウガ。なぜか薬味はワサビとネギで、そば寄りかと思ったら「好みでラー油をどうぞ」と、ブレてないようでブレてるようで。

ざっとまとめてかき混ぜ、ズッといったらこれはアリ。手打ちの二八そばがシャッキリ締まって腰があるので、肉味噌の濃厚な甘さと存分に張り合える。肉味噌には前沢牛を使っているそうで、そばとともにローカル素材の料理といえる。そしてじゃじゃ麺の流儀、味噌と麺少しとキュウリ少しを残し、お願いするとそば湯で割り卵を落としたスープに。「チータン」との呼び名は盛岡の「チータンタン」とちと違うが、肉味噌を溶きラー油も加えたら、本場以上に中華テイストのスープの出来上がりだ。

究極の暮坪そばのつもりが、思わぬローカル麺との遭遇。岩手の麺文化の奥行きと創造性に改めて感服である。

吉野屋のシュークリーム@平泉

2020年08月09日 | 旅で出会った食メモ
平泉駅から中尊寺通りを曲がってすぐにある菓子店で、創業大正4年と歴史がある店。建物は天井が高く太い梁が錯綜し、伝統の重さを感じさせる。

そんなお店で評判なのが、なんとシュークリーム。田野畑村の山地酪農牛乳と江刺の菊池農場の卵を使った、4代目ご主人こだわりの品だ。生地は軽くクリームはもったり濃厚な甘さ、しっかり硬めなので割っても食べやすい。

ウッディな内装の店内で食べていくこともでき、創業時から作っているという平泉銘菓の弁慶餅と食べ比べも。散策前に、列車の時間待ちに嬉しい、駅前の一軒である。

平泉てくてくさんぽ6

2020年08月09日 | てくてくさんぽ・取材紀行
讃衡蔵は中尊寺に伝わる文化財・宝物を永く後世に伝える宝物館で、奥州藤原氏の遺宝、仏像・経典・副葬品など、国宝・重要文化財3000点以上を収蔵。展示室では三体の丈六仏、金色堂の仏具や副葬品、中尊寺経などを公開している。金色堂の拝観券売り場ので、中尊寺の宝物館的な役割でもある。讃衡堂のやや先に、金色堂の碑とゆるい石段、覆堂が見える。ポスターや写真でよく目にするポイントで、ここに立てば中に入らなくても中尊寺に来た気分になれる。覆堂の中には、チラッと金色の何かが遠巻きに見えるようにも。

金色堂は1124(天治元)年の造立で、中尊寺創建当初の唯一の遺構。内部と外部を金箔で貼りつめ、内陣は金銀と螺鈿で装飾して埋め尽くしており、その様は極楽浄土を現生に表すとともに、奥州藤原氏の権力と財力の象徴とも言われる。本尊の阿弥陀如来は無量の光を放つ仏で、堂がその光を増幅し、悪魔を退散させるのだとか。中央の須弥壇の中には初代清衡公、左の壇に二代基衡公、右に三代秀衡公の遺体と、泰衡公の首級が収められている。

有料区域にはほか経蔵と、金色堂を以前覆っていた旧覆堂が、木々の中に建っている。旧覆堂は室町時代創建、昭和40年に現在の覆堂に移設されるまで500年、金色堂を風雪から守り続けた。現在の覆堂よりもこちらのほうが侘びていて、重みを感じる。この下で金箔がややはげた金色堂が、剥き出しで建っていた訳で、現在のガラスケースに囲まれて過保護な金色堂よりも趣があるような。松尾芭蕉もこの覆堂を見たとされ、前に銅像も立っている。

これで雨の平泉ミッション、なんとか終了。お疲れ様でした。