ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

喜京屋@長岡

2020年08月06日 | 旅で出会った食メモ
長岡の町中華その2は、大手口そばのこちら。創業は明治28年と古い本格四川料理のお店で、エビチリやよだれ鶏なと辛い系の中華料理が地元で評判が高い。五代目の料理人は陳建一氏のところで修行をしたというから、本場さながらの辛旨さを堪能できる。

中でも麻婆豆腐は、店の看板料理だ。多彩な香辛料と赤山椒・青山椒を合わせた自家製ラー油に、熟成させた山椒油豆板醤、仕上げに振りかける赤山椒粉のおかげで、厚みと深みのあるしびれ加減が心地よい。地元の豆腐屋製の木綿豆腐も食べ応えがあり、普段使いのお客の数からしても、これは長岡流四川料理といえる。ごはんにかけてスプーンで大盛りにしてざっといき、痺れ辛さにまたごはんをざっといき、のループが止まらず、中盛のごはんがあっという間に空に。

そしてこちらのもうひとつの売りが、紹興酒の品揃えが豊富なこと。白酒、浙江省の紹興酒、陳西省洋県内蒙古の黒米や牛乳の酒、福建省龍岩の黄酒など、紹興酒とひとことでくくるには実に幅広い。この日いただいた3種飲み比べも、透明・薄黄色・濃茶と、色からして三様だ。以下、

金六福(四川省・38度)→ 白酒は中国史の創成期の5000年以上前からある酒で、祝いの場に用いられる蒸留酒。あたりはウォッカのように攻撃的にとがっていながら、華のある刺激がバッと広がる。
百吉(内蒙古)→ 牛乳が原料なのが、遊牧地域らしい。キンキンに酸っぱいすえた発酵香が、どこかチーズ系でもある。
客家酒(福建省龍岩)→大陸南方の酒で、濃厚な甘みの黄酒。こなれた甘さと生姜のほのかな辛味が。シェリー酒、デザートワインのよう

ごま油が効いた肉厚のクラゲネギ和えをガリガリやりながら三様の紹興酒の味わいを楽しみ、締めは麻辣味の麻婆豆腐で満腹に。町中華というには本格ながら、これまた自宅の近所に欲しくなる、長岡のスゴ味中華である。

中華おがわのレバニラ炒め@長岡

2020年08月06日 | 旅で出会った食メモ
このたびは、長岡は町中華の町中華、と勝手に位置づけして(いや実際にレベル高し)、駅まわりでうまかった2軒を紹介。こちらは3度目の訪問で、大手通り交差点近くで50年以上営業。構えからして典型的な街の中華屋である。

好みのチャーハンはオーソドックスで、塩胡椒が効いており、シイタケが入っているのが良い風味。小盛り加減のため酒の後にさらっといける。このたびは、店内あちこちに張り紙があり推しているレバニラ。甘辛の特製タレに漬け込まれ、クセがなく脂少なめながら、味がよく染みてこれはうまい。ネギとこれまた昔ながらの紅ショウガがアクセントになっていて、ごはんもビールも進みそうだ。

この店、手書きメニューと献立推しの貼り紙がしゃれていて、レバニラは「新潟県トップ3」だそう。根拠とかソースとか、そういうのはどうでもよいのだよ。

長岡てくてくさんぽ3

2020年08月06日 | てくてくさんぽ・取材紀行
長生橋通りから大手通にかけては、懐かしのホビー店、銘菓大手まんじゅうの店など、気になる店もちらほら。大手通りを渡り、市街の西寄りには「寺町」的なお寺が集積する一角がある。建物の造作が様々で、雪に強そうなコンクリート建築の長永寺や西入寺、銅葺きの大屋根の妙宗寺、浄土真宗でオリエンタルなモスクのような西福寺、境内が広い善行寺など。平和の森公園あたりの柿川は、園地が整備され自然のままの河岸が見られるなど、市街の中の緑地的眺めが落ち着く。

東へ向かい、空襲の起点となったポイントを示す碑がある互尊文庫を経て、山本五十六の生家跡へ。連合艦隊司令官としての軍人のイメージが強いが、軍人というよりも学者肌で、海外視察などで世界的な視野を持っていたという。なので海軍軍縮条約に尽力し、開戦や三国同盟には反対の姿勢など、戦いよりも国の安全を望んでおり、その意に反して連合艦隊司令長官になりつつも、早期講和を望んでいたという。あたりは山本記念公園となっており、銅像ほか復元された生家が建つ。二階の勉強部屋から、そんな氏の足跡や戦争への思いを偲びつつ、園内を見下ろしてみる。

山本五十六と河井継之助の資料館は、1630を過ぎて入れなかったので、撮影はこれでおしまい。あとは「食」の撮れ高に期待しよう。

長岡てくてくさんぽ2

2020年08月06日 | てくてくさんぽ・取材紀行
駅から南に数分歩くと、柿川という小川に出くわした。流れに沿って遊歩道が整備され、親水護岸や東屋も設けられているなど、ちょっとした水とのふれあいの場となっている。市街の西部を巻くようにゆく流路から、かつては信濃川の水運に利用されてきた河川でもある。

当時の長岡藩は、西廻り航路の寄港地である新潟も治めており、上流の十日町や六日町からの米などの荷を、ここで大型の船に積み替えて新潟へと運んでいた。柿川の流路には6つの河戸(荷揚げ場)が設置され、ここを通過する際の水運権の収入はかなりのものだったという。川と並行する柿川通りの近くには繁華街の殿町が広がり、川に沿って料亭もいくつか見られるなど、今もなお水運の恩恵であたりが栄えたことが伺える。

現在の柿川は、流れに沿った遊歩道が整備され、親水護岸や東屋も設けられているなど、ちょっとした水とのふれあいの場となっている。殿町稲荷神社には鳥居の奉納があり、都橋の先には桜や紅葉や柿の木などの季節感にあふれるなど、市街散策の注目のエリアである。

都橋の先にある平潟神社には、長岡大空襲で犠牲になった人の慰霊塔が立つ。市街中心の互尊文庫のそばに、空襲の起点となったポイントを示す碑があり、かなりの被害だったとか。被災者は柿川に逃げたがここも火に晒されたことから、夏には慰霊の灯籠流しが行われるという。ちょうと風鈴祭りをやっていて、社務所前に下がるたくさんの風鈴が、涼しげな音を出している。

さらに、市街の北寄りを目指しましょう。

長岡てくてくさんぽ1

2020年08月06日 | てくてくさんぽ・取材紀行
摂田屋で15時まで使ってしまったが、長岡市街も行かねばならぬ。日没まで3時間ほど、頑張って歩きましょう。

長岡は牧野家7万4000石の城下町である。信濃川に隣接し三国街道などの交差点であることから物流の要衝、また「米百俵」の逸話のように幕末〜近代に活躍した偉人を輩出した地であり、市街には史跡や名残、足跡が点在している。駅に降り立つと、長岡花火のモニュメントがお出迎え。駅前からの大手通りにはモニュメントが点在、火炎土器が出土した所以もあり、大きな土器のモニュメントは迫力ありだ。ほか道中には少年少女の愛らしい造作、先の方は「まいまいひめ」なるカタツムリと女の子像、そして「米百俵」の碑も。歩きながらの道中が、なかなか楽しい。

長岡は戊辰戦争や空襲の影響で、城郭の名残がほぼないのがもったいない。跡を示す案内板もなく、市役所のある「アオーレ」が二ノ丸跡にあたり、一角にある碑と稲荷社のみ名残をとどめている。鉄道が通っているところも城郭内で、駅前広場にも水のモニュメントの横に碑が立っていた。城郭の規模がすごいというか、鉄道の敷き方が無茶というか。

市街へと歩き出せば、歩道の随所に「雁木」と呼ばれる小屋根が設けられているのが目に入る。豪雪地帯ならではの対応で、散策しやすいのがありがたい。殿町通りは古い商家が集まっており、酒まんじゅうの川西屋は虫籠窓が残り、車麩の木宮商店は店頭の麩の看板が目を引く。東軒はなんと、古い商家の理髪店。

この先、市街を流れる柿川沿いに出てみましょう。