日出てくてくさんぽ、市街メインの見どころである日出城は、1601(慶長6)年、初代藩主の木下延俊により築城された。縄張りは義兄の細川忠興が設計し、鬼門である北東を強く意識しているのが特徴だ。本丸石垣と隅櫓「鬼門櫓」それぞれ、北東の隅をあえて欠いており、鬼門を避けるようなつくりになっている。鬼門除けは、江戸城をはじめ主要な城郭で見られるように、当時は方位学や風水にかくもこだわっていた現れといえる。
天守ほか主要な構造物は維新時に破却され、現在は城郭の石垣をはじめ、二の丸館のそばに復元した裏門櫓ほか、隅櫓、裏門(龍泉寺の表門)と藩校致道館が残る。二の丸館からまっすぐいくと、石垣の下から城内へ。石垣の左隅の角にかつてあった天守跡を見上げ、湾に面してから右に曲がると、海側の正面にあった望海楼が偲べる。展望地に構造物が設けられていたようで、海景色を存分に眺められた城郭だったのだろう。
野面積みの荒々しい石垣の中段からは、穏やかな別府湾と弧のような岸線、対岸に別府温泉街と大分市街も遠望できる。中ほどには高浜虚子の句碑「海中に 真清水わきて魚育つ」が、城下かれいを育む湾を見下ろしながら立っている。城下海岸まで降りて石垣を観察すれば、海岸線に石垣が出入りしながら連なる、臨海の城郭らしいつくりが伺えた。やや離れて振り返ったほうが、湾へ張り出し数重にせり上がっている荘厳さもよく分かる。
真水が湧水する場所は石垣のちょうど中ほどあたりで、直下の遊歩道をさらに先へ行ったところが、城下かれいの棲息地となっている。湾に仕掛けられた定置網などを見ながら、海沿いをさらに先へ。松原の手前の料亭前には、県知事銘の「城下かれい供養碑」と城下かれいまつり碑が、ともに棲息地の海に臨んで立っている。このあたりが、いわば城下かれいの聖地といえる場所なのだろう。
味わってみる前に、もう少し城下町を歩いてみましょう。