ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

日出てくてくさんぽ5

2018年12月07日 | てくてくさんぽ・取材紀行

日出てくてくさんぽ、最後はカレイがらみのお土産を買いに、ふたたび「二の丸館」へ。姿をモチーフにした和菓子を両方買って、味と姿?を比べてみた。

人形焼の「かれい浪漫」は姿がデフォルメされ、ちょっとかわいらしい。ポンと一口でいくと白あんのカボスがジューシーで、カステラも相まって洋菓子的な味わいだ。かれい最中はさっくりの皮にもったり甘いこしあんが、正統派な和菓子な味わい。こちらは姿が結構リアルで、おさかなを頭から丸ごと食べているような。

これで日出のオプショナルミッションも、コンプリート。では、大分空港経由で帰りましょう。


ローカル魚でとれたてごはん…大分・日出 『能良玄家』の、城下ガレイ料理2

2018年12月07日 | ◆ローカル魚でとれたてごはん

日出「能良玄屋」の城下かれいは、加熱調理された料理にてさらに真価を発揮する。煮付けは大分の甘い醤油でこってり煮込まれ、外見が赤茶に煮染まっているが割ると中身は白のまま。パサつかない絶妙な煮加減で、熱が引き出したほっこりした白身の淡白なジューシーさに魅了される。身の味も煮汁に負けず、濃いものに対峙することで、かえって存在を主張しているかのようだ。

日出の土地柄が作り出す城下かれいの味のポイントは、なんといっても「水」の良さである。日出城下から別府湾に湧出する真水と海水が混じることで、餌となるプランクトンが豊富となることが、このカレイの味の秘訣といわれている。湧水は鹿鳴越連山や周囲の山々に降った雨が山肌に浸透し、この町に湧出したもの。町の飲料水は全てこの地下水でまかなっているほど、水のうまい街として定評があるのだ。おばちゃんによると、日出城下の石垣から湧いている真水は、湾に波がない時は渦が巻いて見えるほど、湧水量が豊富なのだとか。

その水の良さは、天ぷらにすることで発揮されている。かじると真っ白な身の舌ざわりがサラサラ、淡白な香りと高貴でみずみずしい食感は、良い水の味のように思えてならない。味は淡いだけでなく、かむごとにズイズイ前へ出てくるのも、食べ応えがあり嬉しい限り。ヒレや中骨などアラ系の荒っぽさが、上品なこの魚にあって自身の舌には合っているようにも感じられる。

カボチャ、ナス、エリンギ、パセリのほか、花をそのまま揚げた酸味のあるベゴニア、丸いこんにゃくを揚げたもの、地場産野菜のオカワカメといった、変わり種の天ぷらもアテにしながら「二階堂」をもう一献。宇和島で見かけたじゃこ天があるのは同じ漁場だから道理で、赤身の魚の身を炙った魚のハンバーグならぬステーキのようでもある。コクがあるのでまたまた酒が進み、こちらは地の湧水より「地酒」の恩恵に上がっているような?


ローカル魚でとれたてごはん…大分・日出 『能良玄家』の、城下ガレイ料理1

2018年12月07日 | ◆ローカル魚でとれたてごはん

日出の市街には、名物である城下かれいを供する店が多々ある。その中で選んだのは、役場の通りにある「能良玄家」。店頭には大きな木彫りのカレイが2匹構え、入ってすぐの生簀ではマーブル模様のリアル城下かれいに、ようやくお目にかかれた。通された座敷にもカレイの暖簾、まず配された箸袋に醤油皿にもカレイの絵柄と、料理が出る前からカレイ尽くしである。

この店は当時の将軍家に献上されたことを標榜し、その食べ方を再現するのを売りとしている。お茶を運んできたおばちゃんが、「殿様だけが食べられた魚」「殿様はひとりでこんな美味しいもの食べていたんです」と、やたら推してくるこだわりようだ。割と値が張る高級魚なので、つくり・煮付け・天ぷら付きの「ミニセット」3500円は、様々な料理が手頃に味わえありがたい。合わせた麦焼酎「二階堂」は広く知られた銘柄ながら、地元に醸造所のあるからここでは「地酒」だ。

生簀の水の音を聞いて待つことしばし、まずはつくりが登場。これまたカレイ皿に盛られ、尾頭付きをまんま食べてるような気分になる。タレは将軍の頃から秘伝だそうで、これに肝を溶いた「肝醤油で」と勧められた。透けるような純白でいてはっきりは透けない、じらし気な身を箸で一切れ。ザクザク、サクサクと応える歯ごたえとともに、口中にムッチリ吸い付く食感がなんとも魅惑的た。いわば艷女のまとわり、妖悦な残り香の誘惑に、ついもう一切れと箸が伸びてしまう。秘伝のタレは隠し味が梅で、キリッと吹っ切るような酸味は逆に淑女の潔癖な後口か。

そしてカレイのおいしいとこである縁側は、パキパキ、コリコリと歯ごたえに主張する。ミニコースなのでふた片だけの少なさもまた、思わせぶりで後を引く。どこか身悶えする、もどかしい食べ心地の刺身で、殿様はひとり、どんな想いにて味わっていたのやら。醤油に溶いた肝が、味わいを一層引き立てており、これぞ白身の刺身の完全体。普段使いの「二階堂」も、どこか一味上がったような。

以下、続く。


日出てくてくさんぽ4

2018年12月07日 | てくてくさんぽ・取材紀行

日出てくてくさんぽ、日出城の海側を歩いてから、正面側にも回り込んでみる。城の構造物は維新時に破棄され、現在本丸には小学校が建つ。あたりを散策する道中、子供達がグラウンドで遊ぶ声が響き、町の活気を感じさせる。

城の大手門というか、小学校の正門に面した通りは景観整備がされており、一般の建築物にも白壁に小門が施され、それらしい眺めとなっている。通りの端には水路も施され、空堀となった堀越しには別府湾がちらりと覗く。

その堀の畔に、移築された鬼門櫓が漆黒の姿を見せる。鬼門側の角が落ちてるのがよく分かり、こちらの方向だけやや丸みを帯びた穏やかな見栄え。内部は史跡の資料館となっており、上層からの城域越しに臨める別府湾も、また素晴らしそうだ。

城攻めが終わったところで、城下町の散策はコンプリート。さて、では城下カレイを味わえるお店も攻めてみましょうか。→ローカル魚へ続く

 


日出てくてくさんぽ3

2018年12月07日 | てくてくさんぽ・取材紀行

日出てくてくさんぽ、市街メインの見どころである日出城は、1601(慶長6)年、初代藩主の木下延俊により築城された。縄張りは義兄の細川忠興が設計し、鬼門である北東を強く意識しているのが特徴だ。本丸石垣と隅櫓「鬼門櫓」それぞれ、北東の隅をあえて欠いており、鬼門を避けるようなつくりになっている。鬼門除けは、江戸城をはじめ主要な城郭で見られるように、当時は方位学や風水にかくもこだわっていた現れといえる。

天守ほか主要な構造物は維新時に破却され、現在は城郭の石垣をはじめ、二の丸館のそばに復元した裏門櫓ほか、隅櫓、裏門(龍泉寺の表門)と藩校致道館が残る。二の丸館からまっすぐいくと、石垣の下から城内へ。石垣の左隅の角にかつてあった天守跡を見上げ、湾に面してから右に曲がると、海側の正面にあった望海楼が偲べる。展望地に構造物が設けられていたようで、海景色を存分に眺められた城郭だったのだろう。

野面積みの荒々しい石垣の中段からは、穏やかな別府湾と弧のような岸線、対岸に別府温泉街と大分市街も遠望できる。中ほどには高浜虚子の句碑「海中に 真清水わきて魚育つ」が、城下かれいを育む湾を見下ろしながら立っている。城下海岸まで降りて石垣を観察すれば、海岸線に石垣が出入りしながら連なる、臨海の城郭らしいつくりが伺えた。やや離れて振り返ったほうが、湾へ張り出し数重にせり上がっている荘厳さもよく分かる。

真水が湧水する場所は石垣のちょうど中ほどあたりで、直下の遊歩道をさらに先へ行ったところが、城下かれいの棲息地となっている。湾に仕掛けられた定置網などを見ながら、海沿いをさらに先へ。松原の手前の料亭前には、県知事銘の「城下かれい供養碑」と城下かれいまつり碑が、ともに棲息地の海に臨んで立っている。このあたりが、いわば城下かれいの聖地といえる場所なのだろう。

味わってみる前に、もう少し城下町を歩いてみましょう。