ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

ローカル魚でとれたてごはん…札幌・すすきの 『ろばた大助』の、いくら醤油漬けとサケのちゃんちゃん焼き

2015年09月16日 | ◆ローカル魚でとれたてごはん
札幌郊外にある北海道博物館の展示を見ていると、北海道と歴史や自然、文化が本州のそれと異なる流れであるのがよく分かる。弥生時代は北海道になく、飛鳥〜鎌倉期にあたる7世紀から13世紀は、「擦文(さつもん)文化」やオホーツク文化が広がっていた。日本から見たら北の最果てだが、極東的視野で見るとセンター。内地よりむしろ、大陸に近い文化圏だったのだろう。

江戸期に入ると蝦夷地の時代となり、「蝦夷地の産物コレクション」というコーナーには、徳川の献上品となった海産物などが展示されていた。潜りで獲った干しアワビやいりこ(干海鼠)は、長崎俵物として中国へ。18世紀に本州から網が伝来してから漁獲高が向上した干ニシンは、肥料として西日本へ。ほか干しダラや松前のコンブなども。本州との繋がりは、こうした品物による交易で始まったのだろう。

コーナーには、サケが荒縄でひとくくりにされた模型も。「乾鮭」という干したサケで、アイヌが浜で干してから屋内の囲炉裏で燻して仕上げた、冬用の保存食だったという。サケはアイヌ語でカムイチュプ、「神の魚」と呼ばれ、彼らの生活に密接に結びついた魚である。注釈には交易で米1俵と交換していたともあり、その数なんと100本。アイヌ側の条件の不利益さを、表した数値といえる。

アイヌ文化展示のコーナーには、川魚漁に用いられていた丸木舟と漁具が展示されていた。「打頭棒」は名の通り、サケの頭を叩いて仕留める棒。「マレク」という銛は刺さる場所が可動式で、一度刺さると抜けない構造。原始的なのと工夫が凝らされたもの、それぞれの当時の技術が興味深い。

今宵のサケ料理は、そんなアイヌのサケ文化史に思いを馳せつついきたいところ。市街に戻りすすきののど真ん中、ニッカのネオンの隣のビルにある「ろばた大助」は、斜里水揚げの北斗水産直送の魚介が売りとある。壁には「限定品・アムール川生まれ時知らず鮭」「幻の鮭・鮭児」などの板標も掲げられ、サケも期待ができそうだ。最初の一杯がブラックフリージングハイボールなのは、さすがニッカのお膝下。

本日のメニューでサケを用いた2品をオーダー、いくらしょうゆ漬けは粒が大きく、パチッとはじけて中身がとろり。新物なので皮が薄く口に残らず、後味もサラリとべたつかない。塩や醤油がアイヌの食文化に入ったのはかなり後の時代で、いくらや筋子、塩鮭はまだ、彼らの頃にはなかったという。

サケと野菜のちゃんちゃん焼きは、サケの身をキャベツや玉ねぎの野菜とともに、味噌ダレで鉄板焼きにしたもの。道内沿岸部の漁師料理だが、名の由来はアイヌ後の「混ぜ合わせる」から来た説もある。この店ではカボチャとコーンも入っていて、サケの塩気に野菜と味噌の甘さが、うまくマッチしている。熱々のをガツガツいただけば、これぞ北の大地のワイルドさだ。

店名の「大助」は、サケの王様の意味もあるという。いつもよりちょっと味が深く感じられるのは、北海道のサケ料理の歴史をたどったからか、極東ならぬススキノのセンターで杯をあげているからだろうか。

札幌郊外てくてくさんぽ1

2015年09月16日 | てくてくさんぽ・取材紀行
千歳から恵庭に移動、体験農業でトウキビもぎにチャレンジ。頭の方を握って詰まっているのを選ぶのがコツで、ねじりとったのはなかなかのアタリだった。

種類は恵味ゴールドといい、糖度18度とメロンより甘いそう。半分に折って片方はゆでて、もう片方はなんと生のままでいける。梨のような柿のような、ガッとかじればブシャーと甘い。いやはや北海道の野菜の凄みだ。

ローカル魚でとれたてごはん…千歳・道の駅サーモンパーク『奥芝商店』 の、鮭たま島

2015年09月16日 | ◆ローカル魚でとれたてごはん
千歳サケのふるさと館のサケの展示は、歴史や食文化も充実している。2階のコーナーで目をひくのは、各地の様々なサケの料理法。北海道代表として、石狩鍋とちゃんちゃん焼きが取り上げられていた。石狩鍋は札幌郊外の石狩が発祥で、サケの身や骨やアラを豆腐や野菜と味噌で煮た郷土の鍋。ちゃんちゃんはサケと野菜を鉄板で焼く、道内沿岸部の漁師料理。味噌ダレにバターを使うのが、実に北海道らしい。

隣接してアイヌの伝統料理の展示もあり、「チタタプ」という細切れ料理、「オハウ」という煮込み汁なども。サケは自然の恵みとして珍重され、頭や骨やヒレはもちろん「メフン」と呼ばれる腎臓は麹漬けに、「シキヒ」と呼ばれる目は塩にして生で食べたりと、まさに食べ尽くし。捨てるところが無い魚として、古くからの無駄のない用いられ方が伝わってくる。

盛りだくさんなサケの展示を楽しんだら、お昼はやはりサケを味わいたいところ。隣接する道の駅の、その名も「サーモンパーク」のフードコートには、サケイクラ丼やサケごはんのほか、ご当地名物玉子丼とサケのコラボメニューも品書きに見られる。遡上のサケは採卵用なので、食材はもちろん地物ではないが、まあそこは気分か。

その中に「奥芝商店」の看板を見つけ、思わずビックリ。札幌市内で行列必至の人気スープカレー店で、限定10食のサケゆかりのメニュー「鮭たま島(サーモンエッグアイランド)」を即、オーダーだ。器にはひたひたのカレースープに、巨大なサケのつみれが、まさに島のごとくドンと浮かぶ。割ると温玉の黄身と白身に、サケの身のほのかなピンクの彩りが食欲をそそること。

スープを絡めてひとかじりすりと、サケの香ばしさがビシッ。スープのスパイス香に負けるどころか、下地にして立つぐらいの鮮烈さだ。温玉のまろやかなコクと渾然一体となり、これはサケ好きにはたまらない。スープに使ったエビが、サケの力強さとの相乗効果。つみれがスープにほぐれ混じると、カレーがエビサケだしに変わってゆく。

サケの身と地野菜がたっぷりのところは、構造が石狩鍋に似ているような。アイヌの伝統料理から漁師料理、郷土料理、そしてご当地グルメへ。人気店のこの一杯にも、北海道のサケ食文化の変遷が刻まれているのだろう。

ローカル魚でとれたてごはん…北海道千歳 『千歳サケのふるさと館』の、千歳川のサケあれこれ

2015年09月16日 | ◆ローカル魚でとれたてごはん
日本人にとって、もっとも親しみある魚といえば、サケを筆頭に挙げる人も多いのでは。中でも北海道は日本のサケ・マス類の水揚げの9割を占め、採卵放流も古くから盛んな、いわばサケの聖地である。十勝、標津、石狩など、土地ごとに歴史や漁業技術が伝承されており、所以を訪ね歩けば日本の「サケ史」の一端を垣間見ることができる。

新千歳空港最寄りの、北海道の玄関口である千歳も、サケと関わりの深い街である。市街を南北に貫く千歳川では、8月下旬から12月にかけて、サケが遡上する様子が観察できる。駅から徒歩10分ほどのサケの総合展示施設「千歳サケのふるさと館」は、すぐ裏手に千歳川が流れており、橋の上から遡上を見物する人の姿も見られる。下流の簗の下には、おびただしい数のサケの魚影が。ひしめき合い時折跳ね上がりと、まさに遡上の最盛期たる眺めだ。

河岸にはサケを捕獲する「インディアン水車」が設けられ、捉えたサケは採卵放流に用いられる。千歳は日本の人工孵化放流事業発祥といわれ、1888(明治21)年に北海道庁初代水産課長の伊藤一隆が、官営ふ化場を設置したのがはじまり。インデアン水車は、氏がアメリカのメイン州でサケのふ化法を学んだ際、持ち帰った図面により1896(明治29)年に設置されたものである。

「魚とり」というカゴが流れで1分に4〜5回転して、掬い取られたサケが「魚落とし」に落下、滑り台で生簀に落ちる仕組みは、100年前からそのままなのだとか。眺めていると一定のリズムで回る水車に時折サケが入り、バタコバタコと音がして川の中の生簀へ落ちていく。川のせせらぎに緑、青空、それに赤青で塗色された水車が、色彩鮮やかな眺めである。

展示施設の中でも目をひくのは、入ってすぐの二つの水槽。左側はインディアン水車で捕獲したサケを入れており、漁期のみの限定展示である。産卵期を示す、鼻先が曲がり体がまだらのブナ色をしたサケが目立ち、遡上で傷ついたのか鱗が剥げたのや顔がところどころ白くなったのも。壁面を遡上のように登ろうとしたり、メスの取り合いでかみ合ったり、カップル成立で寄り添い踊るように回ったりと、産卵期のサケの世界がまとめられているように見える。

右の水槽は稚魚の群れで、体長は4センチほど、細長いずん胴で成魚とはかなり形が違う。目が大きく童顔、ウロコが汚れなく、まだ川を下り海の荒さを経験してない素朴さだ。稚魚は2月ごろから千歳川で見られ始め、4月下旬に雪解けと海へ下り、石狩川を経て石狩湾へ。さらに日本海を沿岸沿いに北上、宗谷岬を経てカムチャツカへと至る。成長するまでは夏はベーリング海、冬はアラスカ湾で過ごし、4年で60センチ以上になると産卵のため千歳川へと向け戻ってくる。きちんと生まれた川へもどるのは、サケに太陽コンパスや地磁気を識別する能力があるかららしく、優れたGPSを体内装備しているということか。

ほか、体験コーナーで4〜5キロほどのサケの像を持ち上げてみたり、川面に面して窓が設置された観察コーナーで、遡上するサケを眺めてみたりと、盛りだくさんなサケの展示を楽しんだら、お昼はやはりサケを味わいたいところ。以下、続く。