ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

ローカル魚でとれたてごはん98…岩手県宮古・宮古市魚市場と宮古魚菜市場で、震災と津波の復興を見る

2011年07月17日 | ◆ローカル魚でとれたてごはん

 

 

 宮古市は東日本大震災で被害をこうむった、北三陸の主要都市の中でも、比較的復興が早い方である。盛岡と宮古を結ぶ幹線道路である、国道106号線がほぼ被害を受けなかったため、復興関連の人的物的支援がなされやすかったおかげでもある。現在は盛岡~宮古の都市間バスが1時間おき程度で運行しており、所要約2時間半。JR宮古駅前に降り立つと、周囲の商店はごく普通に営業しており地震や津波の被害はさほど感じられないが、案内人のクルマで魚市場方面へ向かうに連れ、その爪跡が次第にあらわになってきた。 

駅前から魚市場までの宮古街道の沿道は商店街になっており、このあたりは水が揚がったのは床下ぐらいまでだったため、最近営業を再開した店舗も出てきた。しかし閉伊川河口に近い本町から築地にかけての地区は、1階部分はほぼ水没してしまったため、まだ閉鎖された建物が目立つ。川に臨む宮古市役所は2階まで冠水し、すぐ前の歩道橋にはしばらくの間、漁船がのりっぱなしだったそう。役場から撮影した、黒い波が堤防を乗り越えて市街に押し寄せる映像は、ニュースで見た方もいるのでは。

 

 

 

左上は魚市場そばのがれき置き場。右上が仮設の魚市場事務所。

下2つは鍬ケ崎で見かけた被災した建物。「解体OK」と記しておくと、市が無償で処理してくれる

 

 宮古市魚市場での水揚げとセリが再開したのは、震災のほぼひと月後の4月11日である。この日も昼過ぎに水揚げが行われるため、真っ先に訪れてみた。魚市場の建屋も当時、屋根まで津波をかぶってしまい外壁などが損傷し、現在も一部が修復中である。市場の事務所や近隣にあった漁協の建物も流されてしまったため、現在は魚市場そばのプレハブで仮営業中。ガラス窓に貼られた、「がんばろう宮古の水産」の貼り紙が目を引く。そのやや先ではがれきの山を重機が処理しており、「市街で出るがれきの一時的置き場で、これでもかなり少なくなりました」と案内の方が話す。 

魚市場周辺の鍬ケ崎は、宮古市街で最も津波の被害が大きかった地区である。漁業施設が集中する、いわば宮古の漁業の中枢地区なのだが、冷凍工場や製氷工場などの多くが損壊。さらに目を覆うのが周辺の集落の惨状で、見渡す限り続く上物だけさらわれた基礎部分や、半壊の建物に掲示された「解体してください」の張り紙が痛々しい。

 

 

 

左上が宮古市魚市場の建物。この日の水揚げはトロール船が2隻。タラが大漁だった

 

 そんな中、トロール船が水揚げ岸壁に近づいてくる様子を見ると、宮古の水産業復興の息吹が感じられて元気が出てくる。現在、セリは7時半からと14時半からの1日2回で、朝が定置網、夜が底引き網の漁獲を主に扱っている。 この日は台風の影響で、やや早めの帰港となった。

船が接岸すると魚倉からクレーンでスチロール箱が吊り上げられ、フォークリフトで荷捌き場へと運ばれていく。係の人に聞くと、この日はタラやカレイ類が豊漁だそう。さらに荷捌き場へ行ってみると、各種底魚が勢ぞろい。巨大な水ダコがでろりとたたきに広がり、小さなヤナギダコが満載のトロ箱も。カレイは名の通り腹側が赤みを帯びたアカガレイに菱形で腹が白いヤナギガレイ、座布団のように大きく正方形っぽい形が独特なセイタガレイなど。ほか今が旬のキンキにその親分の太ったメヌケ、腹がパンパンのドンコなど、深場の魚もいるわいるわ。職員たちも手鈎でタコやキチジをひょいひょい仕分けたり、アブラガレイが詰まったトロ箱を曳いたりと、なかなか活気がある。

 

 

 

 

着岸する漁船が少ないので、荷捌き場はややがらんとしている。左上から

時計回りにキチジ、ギンザケ、マダラ、セイタガレイ、バラメヌケ、ドンコ

 

トロ箱に1匹ずつ入った、赤く目が飛び出した似たような魚を、右からマメヌケ、バラメヌケ、そしてめったにとれない「幸神」と教えてくれた親父さんによると、今は6月までが漁期のタラの終漁期、そしてサケ漁が始まったばかりの時期という。タラは地元では刺身で食べるそうで、この時期はもう白子が入っていないとか。サケはアラスカや北洋を回遊して4年で戻ってきたのを、河口手前の定置網で捕える。11~12月がサケ漁の最盛期で、冬の魚である腹が丸々太いマダラと、秋の魚である魚体が瑞々しく輝くギンザケのトロ箱が、6月の終わりに一緒に並んでいるのが宮古ならではだ。

 聞いたところこの日の水揚げは2隻だけで、仕分けも広々した荷捌き場の半分ほどだけで行われている。震災があった時はちょうど底引き網船が水揚げをしている最中で、帰港していた船が被害を受けた一方、大型船は沖合で操業中だったため、津波による損壊を免れたという。

 操業している船が少ないのは、被災して数が減ってしまったこともあるが、現在底引きの漁船で海底のがれきを何組かに分かれて、交代で回収していることもある。トロール船は沖合で操業するため、がれきの影響は比較的小さいけれど、念のため通常より浅めの海域を引くため、とれる魚種がやや異なるとか。漁場の整備とはいえ、がれきを引くことで漁網は傷んでしまうけれど、「それでもまずは、漁業再生のためだから。何といっても水揚げがあり、魚があることが我々の一番の喜びだからね」と、親父さんは笑顔で答えてくれた。

 

 

 

地元の買い物客でにぎわう宮古魚菜市場。豊漁で話題のマダイと

旬のトキシラズ(大目サケ)が目をひく

 

 水揚げの見学後に向かった宮古魚菜市場は、宮古駅を挟んで魚市場とほぼ同じ距離の反対側に位置する。そのため津波の浸水は逃れ、震災後間もない3月16日には営業を再開していた。当時は漁が行われておらず、地物の鮮魚が入らないため、品ぞろえは塩サケなど日持ちする塩干ものや、他県産の加工品が中心だったという。今日はざっと見てみると、アジやサバ、カツオといった大衆魚に、市場で見た大タラやセイタガレイ、カサゴの仲間のローカル魚のスイなど、「宮古産」の札を掲げたローカル魚が、どの店でも並んでいる。

 トロールや底引き網漁が再開されたおかげで、地物の鮮魚が流通し始めた一方、ホタテは青森、ホヤやウニは北海道など、夏が旬の磯物はほぼ他県産である。栽培や磯浜漁で漁獲される地物の魚介は、津波の影響で施設や漁場がほぼ全滅してしまったことに加え、漁に使う小舟の「サッパ船」もほとんどが流されてしまったため、店頭にはわずかに地物のホヤと真崎のワカメなどが見られる程度と、少々さびしい気がする。

 

 地物の鮮魚で特に目を引くのがサケで、「大目サケ」と記された巨大なサケを並べた店では「今朝上がったばかりのよ」とおばちゃんが元気がいい。春から初夏にかけてとれるサケは、季節外れという意味から「トキシラズ」との呼び名がついている。時期外れの分、卵に栄養を取られていないので、身の甘みと脂ののりはものすごく、秋サケよりワンランク上の味の良さで人気がある。1本1万円と値が張る分、脂がよくのって身の厚みがあり、まるで私みたいでしょ、とおばちゃんが笑わせる。サケは現在豊漁とはいえ、この時期に数十トンもとれることは珍しく、震災で海に何らかの影響が出たことが指摘されている。

 同じく震災の影響によるとされるのが、サケと並んで店頭で目立つマダイの豊漁だ。マダイは普段、三陸沿岸であまりとれない魚だが、重茂半島付近で大量に水揚げされたことが話題になり、養殖施設が損壊して逃げたマダイだとか、餌の甲殻類が地震の影響で変化した海流や水温により、宮古沿岸に集中したおかげとか、理由が諸説唱えられている。店頭の品札によると、いい型のマダイが一尾で1000円ちょっとと、理由はどうあれ破格。ちなみに地元ではマダイはあまり珍重しないらしく、あまりに安いので試しに食べてみたらうまかった、と、ひょんなことで評価が上がっているとか。

 

 

 

 

 

1段目左の宮古市役所は2階まで冠水した。右は集落のほとんどが損壊した鍬ケ崎地区の遠景。

2段目はともに鍬ケ崎で、損壊した喫茶店と船置き場付近。

3段目左は引き波の強さで右方向につぶれた岩手県栽培漁業センター。

3段目右はど真ん中が津波でえぐられた隣接の防波堤。

4段目左は宮古駅近くの繁華街・大通付近で、船員たちで賑わった飲み屋街の1階部分がほぼ冠水。

4段目右は浄土ヶ浜。石浜の清掃と海中のがれき撤去が行われ、美しい景観が回復しつつある。

 

 このように、宮古の水産業はまだまだ復興が始まったばかりで、ローカル魚をぶらり食べに行く、という雰囲気になるまでは、もう少し時間がかかりそうだ。そんな中で味わった、魚菜市場の食堂の焼鮭定食は外がカリッ、中がホッコリ、皮目にトロリと軽く脂がのった塩ザケでご飯が進んだ。また宿泊した宿は復興関係者の拠点で、食事はごく普通の定食に限られる中、特別に出していただいた重茂名物の焼きウニは、ホコホコ、ねっとりと粘りがありこちらは酒が進んだ。

焼鮭は地物のトキシラズではないし、ウニも前年にとれたものを冷凍したものだが、こうした状況下の宮古で魚料理を味わえたこと自体、実に身にしみる。これからさらに元気になっていく宮古へ再訪する際には、旬の地魚三昧を楽しめるようになっていることを、願ってやまない。(2011年6月24日訪問)