ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

病気差別

2023年03月25日 | 精神障害

 今日は一日本降りの雨。
 千葉市の桜は満開だというのに、雨で家に閉じ込められました。
 これでは的屋もあがったりでしょうね。

 コロナ禍に見舞われて3年。
 ようやく私の職場でもマスクの着用は個人の判断ということになりました。
 オンラインでしか認められていなかった会議や打ち合わせも、5月8日以降は対面が認められる予定です。
 この措置のせいでまたコロナが猛威を振るう可能性もありますが、少しづつ、正常な日常が取り戻されつつあります。

 例年であれば目黒川や上野公園などで花見を楽しんでいましたが、3年もままならず、やっと認められるようになったと思ったら雨。
 コロナの最後の悪あがきのような気配が漂っています。

 感染症というものは古くはペスト、時代がくだってスペイン風邪など、何度も人類を襲ってきました。
 しかしそれらすべてが、やがては終焉を迎えています。
 コロナもやがて過去の物になり、そんなこともあったと思い出す日が来るでしょう。

 そしてこれからも、新しい感染症が生まれては消えていくのでしょうね。

 人の世は栄枯盛衰。
 疾病もまた然りです。

 今回の疾病流行で痛感させられたのは、マスクの着用や手の消毒、他人との接触を避けるといった対策が非常に有効だということ。
 現にこの3年、風邪ひとつひきませんでした。
 こんなことは生涯初めてです。
 そうすると、コロナの流行が去った後も、それらの対策は風邪などにも効くということでしょう。

 しかし私は、もうマスクを着用していません。
 個人の判断ですから、誰にも文句は言われないはずで、職場のほとんどの人、というか私以外全員マスクを着用していますが、誰も私がマスクを外して働いていることを批判しません。

 マスクは暑苦しいし、頬のあたりが擦れて非常に不快だったので、早々にマスクの着用は止めました。

 そして、なんだか最近、健康状態の悪化に無頓着になりました。
 今でこそ人生100年時代なんて言っていますが、縄文人の寿命は30年くらいだったと聞きますし、つい最近まで、50年くらいが普通だったと思います。
 今でもアフリカには平均寿命が40歳くらいの国があるそうです。
 50歳を過ぎて、今の心境に至ったものと思います。

 私は精神科の薬、特に習慣性が強いと言われる抗不安薬や睡眠導入剤を飲み続けることに軽い恐怖を感じていましたが、今は医師の処方なのだし、薬なんかじゃんじゃん飲めば良いと思うようになりました。
 私は幼い頃から副鼻腔炎を患い、今でも鼻づまりやくしゃみに悩まされますが、長期連用は禁忌とされる鼻炎カプセルを毎日のように飲んでいます。

 それで良いと思います。
 薬はより良く生きるためのもの。
 副作用や依存性を恐れるよりも、今、楽になれれば十分だと思います。
 あらゆる薬への抵抗感がなくなりました。

 精神病患者のなかには、精神科に通院しながら、処方された薬を飲まない人が結構いると聞いたことがあります。
 愚かなことです。
 精神病患者自体が、精神病を差別しているとしか思えません。

 私が精神病を発症した時も、薬なんて効かない、酒のほうが効くだとか、運動で良くなるという人が大勢いました。
 また、良くなったら勝手に薬を止めてしまえ、とか。
 再発街道まっしぐらみたいな馬鹿げた言説だと思いますが、そういう人は精神病も肉体の病気と同様、薬で良くなることを知らずに、差別的な発言をするのでしょうね。

 嘆かわしいことではありますが、私の職場にも精神病を差別する意識が根強く残っています。
 肝炎などで一か月程度休んでも昇任に響くことはありませんが、ひとたび精神疾患で病気休暇を取ると、何年も昇任が見送られます。
 精神疾患だけがあらゆる病気のなかで、罹患したらおしまいみたいな空気が漂っています。
 確かに再発を繰り返し、何度も長期の病気休職に追い込まれる人がいるのは事実です。
 しかし私はもう14年くらい再発せず、出勤を続けています。
 それでも同世代と比較すると、昇任が著しく遅れました。

 キング牧師が言う肌の色による差別を無くすことが夢みたいなもので、医学の進歩による精神病差別が無くなることを願ってやみません。 


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