ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

緩慢な自殺

2023年03月12日 | その他

 今日、同居人は休日出勤を命じられ、私は一人でのんびり過ごしました。
 一週間分の食料の買い出しに行った他は、眠ったり、You Tubeで遊んだり、無為に時を過ごしました。
 読書という悪癖からも離れ、私の精神は落ち着いています。
 
 激躁状態だった時期には悪行に走ったりしましたが、大量の精神病薬を飲むようになって、体調は安定しています。
 寛解に至って職場に完全復帰してから13年。
 もう若いやつは私が病人であることすら知らないでしょうし、今の私を見て病気を持っていると思うやつもいないでしょう。

 就職してから、この3月で丸31年となります。
 ずいぶん長く働いてしまいました。

 結婚してからは6月で丸25年。

 我儘で傲慢で精神病患者の私のような愚か者と25年も生活をともにしてくれた同居人には感謝しています。
 互いに干渉しないことにしているので、一度も喧嘩したことがありません。
 そもそも喧嘩する原因がありません。
 意見が相違し、擦り合わせることが不可能ならば、互いを尊重して放っておけば良いし、意見の相違を放っておくことが出来ないのならば、冷製に話し合えば良いだけです。
 感情的になって罵りあうなんて馬鹿げているし、幼稚な振舞いだと思います。
 私は同居人の部屋に入ったことが無いし、同居人も私の部屋に入ることはありません。
 互いの年収も知らないし、どんな保険に入っているのかも知りません。
 それが円満の秘訣だと思っています。
 冷たい関係に見えるかもしれませんが、付かず離れず、仲良くやっています。

 たまに休日を一人で過ごすのは気楽で良いのですが、同居人に先立たれると、休日はいつもこんな風に過ごすのかと思うと、恐怖すら感じます。
 平たく言えば、寂しいのです。
 私がこんなに寂しがり屋だったなんて、一人暮らしをしている時には思いもしませんでした。
 それだけ同居人に依存しているということなんでしょう。

 こういう穏やかな暮らしがいつまで続くのかは分かりません。
 時の流れというものは、全てを変化させていきますから。

 穏やかな暮らしというのは、裏を返せば夢も希望も刺激も無い、つまらないものですが、私のような平凡な小役人には相応しい生き方なのかもしれません。
 給料は少ないですが、二人そろって小役人をやっているので、世帯年収はそこそこあるし、年金もある程度はもらえると思うので、生活に困るということは無いんじゃないかと思います。

 しかし表面上の穏やかな暮らしとは裏腹に、私は激しい精神の流浪を続けています。
 これは生涯続くでしょう。
 流浪さえ感じなくなったなら、それはお迎えが近いということで、生きながら死んでいるという状況に陥ると思います。
 そうなったら、私は日々酒や合法ドラッグに溺れ、肉体を衰えさせ、緩慢な自殺を遂げることになるでしょう。

 それはそれで良いと思います。

 後悔の無い人生というのはあり得ないと思いますが、老齢にいたれば、あらゆることを諦めるようになるのでしょう。
 事実、40代を迎えてから、著述業で暮らしていくという希望はきれいに無くなり、今の職にしがみつくしか無いと思うようになりました。

 今年の8月で54歳を迎えます。
 体のあちこちにガタが来て、気力体力ともに衰え、やたらと疲れやすくなり、病院通いばかりが増えてきて、私は自分が衰えていく姿を静かに観察しています。

 観察することすら億劫になった時、私は計画どおり緩慢な自殺を遂げようと思っています。

 小林恭二という私が深く敬愛する小説家がいますが、この人のお父上は神戸製鋼の重役まで務めながら、引退後は毎日大量の風邪薬や咳止めシロップを飲み、副作用によって朦朧としながら死んでいったと聞き及びます。
 それは痛みも無く、良い最期だと感じます。

 これが私のお手本になるような気がしています。 
 生きると言うことに、少し飽きてきたのです。 
 


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