今朝、目を覚ましたらひどい偏頭痛がします。
私はいわゆる頭痛持ちというほどではありませんが、時折、偏頭痛に見舞われます。
決まって、頭の右側が、脈をうつたびにピリピリと痛むのです。
こうなると、眼鏡をかけるだけで痛みが走ります。
やむなく、今日は休むことにしました。
幸いなことに、私の直接の上司が頭痛持ちで、偏頭痛には理解があります。
経験したことがない人には分からないでしょうね。
風邪なんかは誰でも罹りますが、頭痛とは縁がないという人も多いでしょうから。
朝7時半に飯を食い、市販の頭痛薬を飲んだら、少なくとも眼鏡がかけられないというほどの痛みはなくなりました。
それでも、時折、鋭い痛みが走ります。
偏頭痛はストレスや気候の変化により、頭の血管が膨張して炎症を起こすのだと聞いたことがあります。
したがって、患部を冷やすのが効果的だとか。
まさしく、頭を冷やすというわけですね。
頭痛薬を飲んで、氷で患部を冷やしたら、だいぶ楽になりました。
かといって、出勤する気にはなれません。
ゆっくりと休んで、明日に備えましょう。
昨夜、カズオ・イシグロの「わたしたちが孤児だったころ」を一気に読了しました。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫) | |
Kazuo Ishiguro,入江 真佐子 | |
早川書房 |
この作者に特有の、どこか切ない感じや、時の流れとともに必然的に訪れる喪失感のようなものを強く感じました。
第一次大戦後。
クリストファー・バンクスは上海の租界で生まれ育ちます。
前半はわりとゆっくりした感じで、隣に住む日本人少年との友情などが描かれます。
ただし、それはクリストファーの追憶という形を通して。
したがって、記憶の錯誤などがあり、必ずしも真実ではありません。
クリストファーが10歳の頃、両親が相次いで謎の失踪を遂げ、彼は孤児になってしまいます。
やむを得ず、英国の伯母のもとに引き取られます。
長じて、彼は探偵になります。
それは、やがて失踪した両親を探すためでもあったのでしょうか。
彼はいくつもの難事件を解決して名声を得、ロンドンの社交界で知られた存在になります。
そしてついに、日中戦争まっただ中の上海に戻り、両親を取り戻すべく、無謀ともいえる捜査に乗り出すのです。
クリストファーの印象はどこかおぼろげです。
むしろ、3人の女性の個性が際立って感じられます。
母親、養女、恋人です。
わけても物語の終わりに語られる母親の人生は壮絶です。
1950年代半ばにいたって、数十年ぶりに彼は母親に再会します。
そこは香港の養護施設。
母親は認知症を患い、息子を息子と認識することが出来ません。
しかし、幼いころのあだ名である、パフィンという名を口にすると、老いた母親は、目の前の紳士がパフィンそのものであることに気づくこともなく、思い出話を始めるのです。
この物語は、時間の流れと、それに伴う喪失を描いた、叙事詩といってよいでしょう。
ただ、この作者の作品としては、やや物語の後半に破綻がみられ、それが残念なところです。
なんだか今日はダメな一日でした。
まったく働く気が起きず、最低限今日やらないとまずいことだけやって、後はぼんやりと、働く意味について考えていました。
もちろん、働くことの最大の意味は、生活するための収入を得ることです。
金がなければ生きていけませんからねぇ。
社会とのつながりとか、働くことが生きがいとか言う人もいますが、私にとっては苦役以外の何物でもありません。
これをまだ続けなければいけないとは、しんどいことです。
転職しても同じでしょう。
ていうか、給料は下がるでしょうし、よけい辛いだけでしょう。
なんだか愚痴っぽくなってしまいましたね。
月曜日のせいでしょうか。
あるいは軽いうつ状態に入ったのでしょうか。
今日は雲って涼しかったので、散歩に出かけました。
どこに行こうかなと考えて、向島の花街に行ったことがなかったので、向島や隅田川のあたりを歩こうと、車を飛ばしました。
首都高速7号線を錦糸町で降り、10分ほどで向島花街駐車場に到着。
花街とはいっても、神楽坂のように店が密集しているのではなく、点在している感じです。
2つほど、目に付いた料亭を写真におさめました。
立派なお寺もありました。
珍しく、黄檗宗のお寺だそうです。
その後塩ラーメンのお昼。
さっぱりとした味で、満足しました。
私は基本、ラーメンは塩味しか食しません。
腹ごしらえが終ってから、隅田川の川っぺりを散策。
隅田川では、走っている人、散策を楽しむ人、ベンチで缶ビールを飲む人など、日曜日のひと時を思い思いに楽しんでいる様子。
わが国は今、平和です。
桜橋という、歩行者と自転車専用の橋があって、そこを渡って台東区側へ。
桜橋、知りませんでした。
ほとんど車でしか隅田川を渡ることはありませんから。
桜橋を渡ると、東京スカイツリーがきれいに見えます。
夜はライトが点灯してさぞかしきれいでしょうね。
台東区側の隅田川岸を言問橋まで歩き、そこを渡って墨田区側に戻りました。
墨田区側の隅田川沿いの公園は、水戸徳川家の下屋敷だったそうで、たいそう立派です。
なぜか小さな釣堀があり、わずか30円で釣りを楽しめるとかで、多くの人が釣りを楽しんでいました。
土曜日の散歩が多い私ですが、今日は日曜日。
早めに切り上げて、近所のスーパーで一週間分の食料の買出しをしました。
もうしばらく、散歩に適した陽気が続くと嬉しいのですが、すぐに暑くなっちゃうんでしょうねぇ。
昨日は何かと忙しい土曜日でした。
午前中は床屋で散髪。
その後内科。
もう15年も通っている内科で、コレステロールを下げる薬と血圧を下げる薬も貰っています。
自覚症状は何もないのですが、職場の健康診断でひっかかり、以来通い続けています。
お昼はパスタ。
熱い珈琲を2杯いただきました。
そのまま夕飯の買い物。
真鯛とカツオの刺身、フルーツトマト、それにブロッコリーを購入。
午後は少しだけうとうとして精神科。
もう相談することもありませんが、精神病薬は死ぬまで飲み続けなければいけないらしいので、月に一度、やむなく通っています。
帰宅して風呂に入り、米焼酎のロックをちびちびyりながら、夕飯を楽しみました。
昨日は東大安田講堂で行われた科学研究費助成事業の説明会に行ってきました。
赤門前や安田講堂前で記念写真を撮っている旅行者、特に外国人がけっこういて、びっくり。
東大は観光スポットでもあったのですねぇ。
で、説明会。
これでもか、とばかりに危機感を煽る内容のオンパレード。
嫌な気分になりました。
帰宅して、少しのつもりが深酒になってしまい、午前中はだるかったですねぇ。
でもやっと金曜日の終業を迎えました。
週末はのんびり過ごしたいものです。
今週も水曜日が終わりました。
やっと半分。
明日は東大安田講堂で科学研究費助成事業改革の説明会。
午後からですが、午前中は年休を取ったので直行直帰です。
座って聞いているだけなので気楽なものです。
今、学術行政の世界は、一昔前では考えられなかったほど、予算的に厳しい時代を迎えています。
文科省による護送船団と呼ばれた、国立大学をはじめとする文科省所管の研究機関はすべて法人化され、淘汰の時代に突入しつつあります。
どこの機関も生き残りをかけて必死になり、特に科学研究費助成事業などの外部資金獲得は死活問題です。
昔は事務職は見向きもしなかったのですが、研究費に30%が上乗せされ、それは管理経費に使ってよいことになったのがきっかけです。
もし1億円の大型の外部資金を獲得すれば、3千万円が管理経費として上乗せされるのですから、目の色も変わろうというもの。
本来ならば、国立の機関であれば、金にならない基礎研究などに重点を置かなければならないのでしょうけれど。
いずこに行っても、世の中金、ですかねぇ。
最近、なぜだか高速道路の高架橋を走るのが怖くて仕方ありません。
レインボーブリッジ、ベイブリッジ、首都高速中央環状線の葛西に向かう道など。
走ることは走りますが、脂汗がでて、どきどきします。
景色が良くて気持ち良い。と思う人のほうが多いんじゃないかとおもいますが。
前はこんなことはなかったのですが。
どうも見晴しが良くて高いところにある道がダメなようです。
で、ネットで「高架橋 怖い」で引っ張ったら、出るは出るは。
私と同じようなタイプの人がたくさんいました。
防音壁で囲われていれば平気なのと、若いころは平気だったのが、ある時を境に怖くなった、という人がほとんどでした。
軽い高所恐怖症なんでしょうね。
重くなると脚立にも乗れないと言いますから。
これも一種の老化現象なんでしょうねぇ。
だんだんと、できないことが増えていくんでしょうか。
昨日は23区内で最狭の路地が張り巡らされているという赤羽あたりを散策しました。
赤羽といえば、小岩と並び称される東京の場末の繁華街。
小岩は故郷、江戸川区に在るので馴染み深いですが、赤羽は初上陸。
車を赤羽駅西口のコインパーキングにとめ、歩き始めました。
アップダウンの激しい町でした。
こんな坂の上にお寺がありました。
こんなお寺に住んでいたら足腰が鍛えられるでしょうねぇ。
この近辺が、狭い路地が密集している地帯。
地元の人は、路地とは言わず、道と言うそうです。
こんなのは広いほうです。
なかには横にならなければ通れない道もありました。
肥満の人は通れません。
そんな狭い路地でも、ちゃんと玄関がある一戸建てが密集しています。
宅配業者も使う、生活道路でした。
まさに都区内最狭。
赤羽駅に出て、パスタで昼食。
午後は繁華街が広がる東口へ。
たいそうにぎやかな町です。
アートモードで写真をパチリ。
OK横丁と言うのだそうです。
こんな横丁が縦横に広がり、真昼間から多くの人が酒を飲んでいます。
真昼間に電柱に向かって立小便をしている爺さんがいてびっくり。
昭和というより大正を感じさせる喫茶店がありました。
なんとなく、、郷愁を感じさせる町です。
お店や病院が多く、住みやすそうでした。
ただし、お洒落感は0です。
最近暑いせいか、食欲が落ちています。
5年前、74キロ体重があったのですが、父の死をきっかけに食欲が落ち、みるみる痩せてしまいました。
1年で25キロ落ちて、49キロになってしまいました。
その後しばらくは50キロ前後だったのですが、やっと父の死を克服したのか、少しづつ体重が戻って、54キロになりました。
ちょうど、学生の頃と同じで、ベストだと喜んでいたのですが、このところの食欲不振で、また1キロ体重が落ち、53キロになりました。
50キロを切ったときはなんだか力が入らず、ふらふらしたものです。
もうそこまで体重を落としたくありません。
53キロは維持したいものです。