昨夜、カズオ・イシグロの「わたしたちが孤児だったころ」を一気に読了しました。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫) | |
Kazuo Ishiguro,入江 真佐子 | |
早川書房 |
この作者に特有の、どこか切ない感じや、時の流れとともに必然的に訪れる喪失感のようなものを強く感じました。
第一次大戦後。
クリストファー・バンクスは上海の租界で生まれ育ちます。
前半はわりとゆっくりした感じで、隣に住む日本人少年との友情などが描かれます。
ただし、それはクリストファーの追憶という形を通して。
したがって、記憶の錯誤などがあり、必ずしも真実ではありません。
クリストファーが10歳の頃、両親が相次いで謎の失踪を遂げ、彼は孤児になってしまいます。
やむを得ず、英国の伯母のもとに引き取られます。
長じて、彼は探偵になります。
それは、やがて失踪した両親を探すためでもあったのでしょうか。
彼はいくつもの難事件を解決して名声を得、ロンドンの社交界で知られた存在になります。
そしてついに、日中戦争まっただ中の上海に戻り、両親を取り戻すべく、無謀ともいえる捜査に乗り出すのです。
クリストファーの印象はどこかおぼろげです。
むしろ、3人の女性の個性が際立って感じられます。
母親、養女、恋人です。
わけても物語の終わりに語られる母親の人生は壮絶です。
1950年代半ばにいたって、数十年ぶりに彼は母親に再会します。
そこは香港の養護施設。
母親は認知症を患い、息子を息子と認識することが出来ません。
しかし、幼いころのあだ名である、パフィンという名を口にすると、老いた母親は、目の前の紳士がパフィンそのものであることに気づくこともなく、思い出話を始めるのです。
この物語は、時間の流れと、それに伴う喪失を描いた、叙事詩といってよいでしょう。
ただ、この作者の作品としては、やや物語の後半に破綻がみられ、それが残念なところです。