早いもので、来週はお彼岸ですね。
現在、仏教行事が主ではありますが、戦前は秋季皇霊祭と言って、神道のお祭りとしての休日でした。
いずれにしても、自然現象にかこつけた行事ですので、仏教だ、神道だと、目くじら立てることもありますまい。
起源も明確ではありませんし、比較的近いご先祖様が行ってきたことを、私たちもやろう、というだけの話です。
仏教と神道といえば、わが国が仏教を受容するに際しては、比較的静かに進んだように見えます。多少の争いはあったにせよ、国を二分するようなことはありませんでした。
聖徳太子の父帝の用明天皇は、「自分は仏法を信じ、神道を敬う」と言って、あっさり両者併存を決めてしまいました。
平安の御代になると、この矛盾が出てきます。
「源氏物語」で、六条御息所の娘が伊勢斎宮となるため伊勢に下向しますが、六条御息所は伊勢神宮を罪深き所と呼んで、娘の身を案じています。
伊勢斎宮と言えば、最高神、天照大神を祀る、最高の格式を持った巫女で、皇族から少女が選ばれるならわしがあります。
仏教から見れば、格が高い神様ほど、罪も深いのです。
ちなみに伊勢神宮の正式名称をご存知でしょうか。
神宮とだけ。
「源氏物語」は女性の物語と言ってもよく、当時の女性は法華経の中に女人成仏が説かれていることから、法華経を特別な経典と考えていた節があります。
じつに頻繁に法華経が出てきます。
葵上のお産の場面では、「加持の僧ども声静めて法華経を読みたる、いみじう尊し」。
紫上が六条御息所の霊に取りつかれたときは、「物の怪の罪救ふべきわざ、日ごとに法華経供養ぜさせたまふ」。
作者、紫式部も女性でしたから、龍女成仏の教理を説いた法華経第五巻「提婆達多品」には、特別の思い入れを持ち、物の怪になってしまった六条御息所をも救おうとし、それはもはや女人成仏というより、(親鸞ではありませんが)悪女正機ともいうべき様相を呈してきます。
「源氏物語」は神道よりも仏教に重きを置いていたのは明らかですが、神道が衰退の道を歩むわけではありません。
神道と仏教は近づいたり、離れたりしながら、現在に至るまで脈々と日本人の精神史に足跡を刻んでいます。
日本人が幼いころから神道と仏教とに同時並行的に接するのは、宗教的寛容又は無関心を養ううえで、有効だろうと考えます。
昔はこれに儒教も加わっていたのですがねぇ。
源氏物語と仏教 | |
中井 和子 | |
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