師走も下旬に入り、寒さ厳しくなってきました。
以前、蕪村の冬の句を取り上げて、冬ごもりの幸せな文学を紹介しました。
そこで今日は、冬の文学の中でも、陰惨なイメージのある梶井基次郎の「冬の蠅」を取り上げます。
所収は新潮文庫の「檸檬」から。
病気療養のために山中の温泉に長逗留している主人公。
居室には、冬だというのに蠅がいます。
冬の蠅は弱弱しく、日向ぼっこしているときだけ元気がよさそうに見えます。
弱弱しい蠅は、病で衰えた主人公自身の投影でしょう。
蠅と日向ぼっこしている主人公は、同時に太陽を憎んでもいます。
病鬱の主人公にとって、太陽は健康の象徴であり、それにあやかりたいと思いながら、憎まずにはいられないのです。
ある日、主人公は郵便局に行った帰り、通りかかった乗合自動車に乗ってしまいます。
そして夕暮れ時、山中におりて、次の温泉地までの道のりを歩き始めます。
自身を歩き殺す気概をもって。
港のその町に三日ほど滞在して、元の山中の温泉宿に戻ります。
すると、蠅が一匹残らずいなくなっています。
主人公は愕然とします。
あの冬の蠅は自分が暖房を焚き、日光を部屋に入れるそのおこぼれにあずかって生きていたのか、と。
いわゆる私小説で、しかも自己憐憫の暗い小説です。
浪漫主義や耽美主義の文学者から最も嫌われるタイプの作品です。
私も私小説でしかも病気自慢と聞いただけで読む気が失せたのですが、この作品にはピュアな幻想美があるように思います。
冬の蠅に己の生を仮託し、しかもその蠅は主人公が留守にしていた3日間に一匹残らずいなくなってしまう。
そのはかなさは主人公の将来を暗示してもいましょう。
この作家は好悪が分かれるので、とりあえず読んでみればすぐ気付くと思います。
許せないほど嫌いか、または感動するか。
檸檬 (新潮文庫) | |
梶井 基次郎 | |
新潮社 |