ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

常不軽(じょうふきょう)

2016年12月12日 | 思想・学問

  法華経の中に、常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)という章があります。
 法華経は大部の経典で、さまざまな、品つまり章立てがなされています。

法華経〈上〉 (岩波文庫)
坂本 幸男,岩本 裕
岩波書店

 

法華経〈中〉 (岩波文庫)
坂本 幸男,岩本 裕
岩波書店

 

法華経〈下〉 (岩波文庫 青 304-3)
坂本 幸男,岩本 裕
岩波書店

  火宅、つまり火事になっているのに気付かず、燃え盛る家で遊んでいる子供をとおして、人類の在り様を描いた譬喩品や、観音様の力の偉大さを描いた観世音菩薩普門品などは、なんとなく知っているという人が多いのではないかと思います。

 で、常不軽菩薩品
 これは不思議な話です。
 常不軽菩薩は、特段仏典を勉強するわけでもなく、ただひたすら、誰に対しても、

「私はあなたを決して軽んじない、あなたは、菩薩としての修行を行ないなさい。あたながたは、正しく完全に覚った尊敬されるべき如来になるでありましょう」
 
 と言い続け、時には逆にバカにされたと感じて怒り出す人もいるなか、ひたすらそれを言い続けるのです。

 私は仏教を完全に独学で学びましたので、この品の正しい理解をしているとは思っていません。

 しかし、法華経の中でそれほど重要視されていないと思われるこの品に、私は強く惹かれました。

 すなわち、形式的な仏道修行をしなくても、ひたすら他人を尊重するという態度を貫くことは、如来(悟った人)への道だということでしょう。

 人間、これがなかなか出来ません。
 ほとんどの人は、他人を憎んだり妬んだり恨んだりするものです。

 すべての人に等しく敬意を払うのは、山川草木悉皆成仏 (さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)という壮大な思想に繋がるように感じられます。
 人間のみならず、この世に存在するすべての物に仏性があり、成仏できる、という思想です。

 もちろん、私にも嫌いな人はいますし、喧嘩をすることもありますし、人を恨んだり妬んだりします。
 愚かな凡人にすぎません。

 非常に読みやすい「日本語の法華経」では、常不軽菩薩バカに出来ない菩薩と訳しています。
 バカにしてよい人などいない、ということです。

日本語の法華経
江南 文三
大蔵出版

 この、あらゆる人を尊重し、さらには山や草木をも尊重するという態度は、法華経の平等思想を端的に象徴しているように思います。

 有名な宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は、常不軽菩薩の精神を著しているとも言われています。
 宮沢賢治が熱心な法華者であったことは有名ですね。

雨ニモマケズ風ニモマケズ―宮沢賢治詩集百選
宮沢賢治
宮帯出版社

 私が目指さなければいけない境地だろうとは思いますが、そういう心境になることはまず無いでしょうね。

 なにしろ私は、法華経を仏典というよりは、面白い読み物、一種のエンターテイメントとして読みましたから。
 ですから、坊さんのように繰り返し読むことはありません。
 20代の頃一回通読して、その後は興がのったときに、ぱらぱらと読み返すだけです。

 窪田空穂は、我は神の造ったもの、精霊の宿る神殿で、限りなく重んずべきものである、と述べました。

 それならば当然、ありとあらゆる人、植物、動物、山や川もまた、限りなく重んずべき精霊の宿る神殿ということになるでしょう。

 不可能は承知のうえですが、私もまた、誰をも等しく重んじることができる者になりたいですねぇ。

 その時こそ私は、輪廻の輪から抜け出して、涅槃に至る道を歩み始めるのであろうと思います。

 
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