安倍総理、ハワイで真珠湾攻撃の被害者らに鎮魂を捧げたとのことで、まことに結構なことだと思います。
これはおそらく、オバマ大統領が広島を訪問したことへの返礼という意味があるのでしょうし、中露などに、日米関係の強固さを見せつける意味もあるのでしょう。
歴史に学ぶ、ということでしょうか。
しかし私は、歴史に学ぶとか、事件や事故を風化させない、という言説は、いい加減なものだと思っています。
我々が歴史から学ぶことは、人間は決して歴史から学ばないということだ、と喝破したのは、ヘーゲルでしたか?
人間は何度も何度も殺し合いを繰り返し、今もシリアや南スーダンなどで殺し合いは続いています。
人類が歴史に学ぶ生き物であれば、あり得ない事態です。
軍事大国同士のガチンコ対決は絶えて久しいですが、それだって、些細なきっかけで起こるものだろうと思っています。
戦争や自然災害などの悲惨な事態を、忘れない、風化させない、という言葉は虚しく響きます。
それらは歴史として残りこそすれ、そのことがあったからと言って、それらを未然に防いだりする強い動機づけにはならないでしょう。
人は忘れる生き物。
そして、未来に向かって、今現在にしか生きられないものです。
今この瞬間、首都直下型の大地震が起きても、東日本大震災や、まして関東大震災の教訓を生かせるとは思えません。
当然、太平洋戦争が悲惨だったとか、さらには応仁の乱が凄惨だったからとかいう理由で、戦を回避することは不可能でしょうね。
戦を回避できるのは、要するに戦をすると大損をする、ということを敵対する国同士が双方とも肝に銘じている場合だけでしょう。
これが核による平和の本質です。
逆に戦を誘発するのは、戦わなければ大損する、さらには国が衰退する、と一方の国あるいは双方の国が考えた場合。
要するに、損得勘定でしかありえず、正義だの悪だのという話は関係ありません。
どっちにしろ勝ってしまえば、自ずと勝った側が正義になるのですから、勝利を信じて、また利益を得られることを期待して、戦う他なくなります。
絶望的な考え方かもしれませんが、おそらくこれが戦をめぐる人間の真実なのだろうと思います。
出来ることは、平和を維持することが最も大きな利益を得る手段なのだということを頭に叩き込み、敵対する相手がいたなら押したり引いたりしながら、面倒な交渉を続けるしかありません。
最も愚かなのは、戦争反対を唱えてデモ行進するなど、思考停止に陥ることだろうと思います。
戦争反対の運動は、一夜にしてイケイケドンドンの運動に変貌するでしょう。
どちらも流行りを追う大衆運動に過ぎないからです。
戦争反対の運動は、戦時中の、ある一戦の勝利を祝う提灯行列と、本質的には同じようなものでしょうから。
そういう運動は、気楽だし楽しいでしょうが、困難な交渉を粘り強く続ける努力なくして、平和の維持はあり得ないでしょう。