今朝、自室のエアコンが壊れたので、修理を頼みました。
室外機が動いていないとのこと。
もう10年近く経つエアコンで、修理するより買い換えたほうが安いと言われ、仕方なく家電量販店でエアコンを購入しました。
設置工事は12月11日の日曜日。
それまでは、自室は使わず、リビングで過ごそうと思っています。
お昼はきのことベーコンのぺペロンチーノを食し、珈琲などいただいてから自宅マンションに戻り、小説を読みました。
貫井徳郎の「微笑む人」を一気に読みました。
殺人劇ですから、ミステリということになるのでしょうが、不思議な構成の作品でした。
小説家の「私」が事件を取材し、ノン・フィクションにまとめるまでの過程を描く、という形になっています。
物語の冒頭、妻子を殺した犯人が逮捕され、犯人の真実を探るため、犯人の過去を、小学生時代にいたるまで追っていく、というお話。
いきなり、犯人は不可解な動機を口にし、マスコミが大騒ぎ。
本が増えて家が手狭になったため、妻子を殺せば本がきれいに整理できるから殺した、と言うのです。
そんな動機あり得ますか。
しかも犯人は常に微笑みを絶やさず、温厚で、誰からも慕われる誠実な人物として描かれます。
不可解な動機と犯人の人柄が、読む者を混乱させます。
様々な人物が登場し、「私」のインタビューに応える形で、犯人の人物像が多角的に描かれます。
しかし、動機の謎は解けません。
ラストちかく、
最終的に理解できる結末が必ずあるのなんて、フィクションの中だけですよ。身近な人が考えていることだって、本当のことなんて分からないじゃないですか。
と、犯人に関係する女に語らせます。
これは読者を混乱に陥れる、一種の読者への挑発と言えるでしょう。
確かに、凶悪犯人の気持ちに限らず、親子兄弟、配偶者や恋人などの親しい間柄であっても、他人の気持ちを100%理解することなど不可能です。
いや、50%も無理かもしれません。
怖ろしい真実を突きつけてくれるものです。
そして物語は、理解できる結末を提示することなく、微笑む人=犯人の真実を解明できずに終わるのです。
しかもこれは小説です。
フィクションの中だけは、分かりやすい結末があるのではなかったのですか。
後味の悪いミステリです。
しかしそれだけに、考えさせられる、高い文学性を持ったミステリと言えるでしょう。
微笑む人 (実業之日本社文庫) | |
貫井 徳郎 | |
実業之日本社 |