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ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

時間

2021年06月18日 | 思想・学問

 今週もやっと終わりました。
 長いような、短いような。
 
 20年近く前、連日22時くらいまで(時には完徹)残業を余儀なくされるブラックな機関で働いていたことがあります。

 任期を終え、無事出所(3年間の出向任期を終え、出身機関に戻ることを出所と呼んでいました)の際に催される送別の宴の際、「3年間は短かったけど、1日は長かった」とスピーチする人がいました。

 うまいこと言うなぁと感心したことを覚えています。

 時間が流れることを短いととらえるか、長いととらえるかは、個人差はありますが、一般に子供や若者が時間の流れを長いと感じ、中高年は短いと感じるような気がします。

 考えてみれば、20年の間に、生まれた赤子は一人では何も出来なかったのが、歩けるようになり、喋れるようになり、幼稚園、小学校、中学校、高校と卒業し、大学に入る人は入って、無事成人と相成るわけです。
 この20年間は思い出しても長かったと感じます。

 しかるに、20歳~40歳は少し短く感じます。
 大学生が就職し、仕事を覚え、中間管理職になり、という一般的なコースをたどれば、そこそこ長く感じるかもしれませんが、0歳~20歳ほどではないでしょう。

 おそらく、40歳~60歳、60歳~80歳と、どんどん時間は短く感じられるのかもしれません。

 私の先輩は、「人生は雑誌みたいなもので、最初のほうは華やかであったり、社会問題であったり、読み応えのある記事が続くが、後半にいたると広告ばかりで誰も読まない」、と喝破しました。

 年を取って、先輩よりも後輩が多くなると、雑事をこなすことが増えるような気がします。
 労務管理であったり、予算管理であったり。

 これもお役目ですから、厭だと投げ出すわけにはいきません。

 それと同時に、雑誌のトップを飾るような、もう一花があったら良いなぁと思います


嘆きの週あたま

2021年05月10日 | 思想・学問

 月曜日、これからの一週間を思うと、気が重くなります。


 電車通勤をしていた頃、電車に揺られながらよく読んだ夕刊紙に、毎週「嘆きの週あたま」という記事が連載されていました。

 サラリーマンなら誰もが、月曜日を嘆いているのでしょうね。

 月曜日を嘆くその理由の奥深くをのぞき込むと、私は私が何者でも無いと感じてぞっとします。
 世間的には事務職の小役人ということになるのでしょうが、私の心のなかでは、そういう肩書には違和感を覚えます。
 30年近く小役人をやっているにも関わらず。

 では月曜日を嘆いている私は何者でしょうね。

 私は何者か、という疑問を敷衍すれば、人間とは何者だ、という疑問が湧き上がってくるのは当然の仕儀と言えましょう。

 ソクラテスは「人間とは自己を追求する存在だ」と言い、カントは「人間とは共同体のなかで善を追求する存在だ」としました。
 また、私の亡き祖母は、「人間は褒められたくて生きている」と言いました。
 どれもあたっていると思います。

 そのような考え方は、いずれも「人間は~だ」という風に語られますが、20世紀にいたって、人間は何者でもなく、何者かになるのだ、という考えが広まります。

 善でもなければ悪でもない、本質的な価値や意味など存在しない、のっぺらぼうな人間が、後に何者かになる。

 サルトルの実存主義ですね。

 

 最も分かりやすいのは、サルトルの妻、ボーヴォワールの「女は女に生まれない、女になるのだ」という言葉。

 これらは、多くの宗教で認められた魂=本質を認めない、苛烈な言説です。
 有名な、実存は本質に先立つ、という言葉。

 これらの言説をまともに実践するのは極めて困難です。
 実存するだけで本質(魂)が存在しないのだとすれば、人は精一杯の苦労をして、本質(魂)を手に入れなければなりません。

 月曜日を嘆くその嘆きは、人間の本質によるものか、あるいはサラリーマンになったがゆえのものなのか、という卑近な疑問がわき、はるか昔に読んだサルトルの著作を思い出しました。

 多分サルトルが聞いたら腹を立てるか、失笑するか、いずれにしても私の解釈は極めて幼稚なものであろうと思います。

 あるいはまるで的外れか。

 私は西洋哲学には弱いので、的外れであっても構わないと思っています。
 私なりの解釈で、十分です。

 そのように考えてきて、結局小役人の意匠をまとった私はどういう本質(魂)を手に入れたのでしょうね。

 あるいは実存主義は間違いで、人間は元来本質(魂)を持っているのか。

 ここでは仮に実存は本質に先立つ、という意見を採ってみましょう。

 私は役所に就職し、役人になった、その後役所の世界にどっぷりとつかり、すっかり小役人の意匠を身に着けることに慣れてしまった。
 しかしそういう自分に違和感を感じ、おのれの本質であるところの魂を手に入れたのかが分からず、不安である。

 というのが正直な気持ちです。

 では小学校高学年くらいから夢見ていた小説家として生きることがかなったのなら、私は本質(魂)を手に入れることができたのか。

 それは誰にも分かりません。
 もちろん、私にも。

 私は8月で52歳になります。
 こんな年になっても、ある概念に囚われて雑文を物すようになるとは、正直思っていませんでした。

 役人ならば役人の世界で、疑問を抱かず生きていけるものだと思っていました。
 30年も勤めて、知識や経験は増えたものの、物事を青臭い考えでとらえてしまう悪癖は、変わりませんね。

 私が身に着けた本質(魂)は、嘆くこと、嘆きを忘れるために酒を呷り、浪漫的な文学や美術に逃避してしまうこと、でしょうか。

 それならば嘆きの週あたまに描かれていたようなサラリーマンらしい生態こそが、私の本質=魂なのかもしれません。

とても悲しいことではありますが。


絶対に知りえない

2021年05月03日 | 思想・学問

 今日もお上の要請に従って、昼飯を食いに外出した以外は、家に閉じこもっていました。
 コロナ太りは必至でしょうねぇ。

 帰宅後、かの有名な「ベン・ハー」がテレビで放送されていたので、なんとなく、観てしまいました。
 ローマ時代のユダヤの王族を描いた大河ドラマ、というくらいしか知識がなかったのですが、観てみたら、キリスト礼賛みたいな話なのですね。 

 大河ドラマとしては面白く鑑賞しましたが、ラストがキリストの磔と奇跡の誕生というのでは、少々白けます。

 まともにキリスト教を信じている人には、必然とも言うべきラストなのかもしれませんが、日本人の大半はキリスト教徒ではありませんし、私がそうであるように、ずっこけたのではないでしょうか。
 あの長い長い映画は、何のために作られたんだろうという疑問を感じます。

 キリスト教のことはよく知りませんが、隆盛の始まりが教祖の磔というのは、なかなかに残酷なものです。
 後に多く生まれるキリスト教の宗教絵画は、私にはどれもSMっぽく感じられます。

 しかしながら、欧州を始めとして、多くの人々があの宗教を信じ、信じるからこそカソリックとプロテスタントの殺し合いなどが生まれ、さらには多くの亜種とも言うべき新興宗教が生まれたのでしょうね。

 魔女裁判やら異端やらアンチ・キリストやらの弾圧が生まれ、時代が進むと植民地獲得の道具となり、キリスト教は悪の帝国たちの精神的支柱として生き残ることになりました。

 今となってはキリスト教は形骸化し、もはや過去の遺物のごとき存在になり果てました。
 
 もっとも、葬式仏教と揶揄されるわが国における仏教の様相も、キリスト教以上に形骸化しているとしか言えませんが。

 私の知り合いにスイス人の青年がいますが、彼曰く、欧州においてはまともにキリスト教を信じている者は少数で、多くは形だけの信者だとか。
 わが国における仏教と一緒ですね。

 
 一人の青年が言うことですから、それを信じてはいけないのかもしれませんが、キリスト教にしろ、仏教にしろ、もはやその命脈は風前の灯と言ってよいのではないでしょうか。

 太古の昔から、人間が知りたいと願い続けてきた唯一のことは、生と死の問題だと思います。

 なぜ、あるいはどこから生まれ、なぜ、あるいはどこへ死にいくのか。

 そしてこれだけは、絶対に知りえないことでしょう。
 唯一知りたいことは絶対に知りえない。
 悲しいことです。

 人間の願望に応えようとしたものが宗教なのではないでしょうか。
 ただし、そこに答えを見出すには、矛盾や疑問を封印して、頭から信じ込むしかありません。
 信じ込めれば幸せでしょうが、現代を生きる人々は、なかなか信じ込むことが出来ないでいます。

 キリスト教にしろ仏教にしろ、頭から信じられる宗教になるには、大幅なリニューアルが必要なようです。
 あるいはまったく新しい、世界的宗教の出現を待つしかないのでしょうか。


滅ぶ

2021年04月11日 | 思想・学問

  SEKAI  NO OWARIというバンドがありますね。
 中二病を地で行くような名前です。
 縁起でもないと言えばそのとおりです。

 しかし、全世界が破滅する、という観念には、どこか人を浮かれさせる作用があるように思います。

 滅ぶということ。

 誰でしたか、自滅を美とせず、と書いた小説家がいました。
 それは自滅を美と感じる人が多いからこそでた言葉。
 自滅を美としない人が圧倒的に多かったならば、わざわざ書くこともありますまい。

 三島由紀夫は、破滅に向かってまっしぐらに突き進む姿こそ美しい、という意味の言葉を残しました。

 私もまた、破滅ということに、どこか浪漫的な美を感じてしまう不届者の一人です。
 しかしそれは、観念の遊びに過ぎません。
 
 やったことはともかく、ナチのファッションや深夜の集会などは、美的であったと感じます。
 そしてまた、ヒトラーは、我々は世界を焼き尽くす、と、中二病のようなことを言っています。 

 世界の終わりという観念が人を浮かれさせたとしても、それが現実のものになろうとした時、人々は全力でそれを阻止しようとするでしょう。

 多くの国がナチの滑稽とも言うべき野望を打ち砕いたように。

 今、中国と米国の間にきな臭い雰囲気が漂っています。
 新しい冷戦だと言う人もいます。

 米国は太平洋の支配を誰にも渡さない、という強い意志があるようで、それが証拠に、我が国は太平洋に進出したとき、ほとんど難癖のようなハル・ノートを突き付けられます。
 どこの国もとても飲めないような内容。
 
 あれは事実上の宣戦布告でしょうねえ。
 当時列強の一角を担っていたわが国は、当然、米国と戦うことを選びます。
 そして当然、敗れます。
 かくて太平洋は米国の海である、という米国の意志は守られます。

 今、中国が、当時の大日本帝国のような立ち位置に置かれているように思います。
 実際に戦争になある可能性は低いと思っていますが、こればっかりは分かりません。

 どうか中国には野望を捨てることを、米国には自重を促したいと思っています。

 そうでなければ、単なる観念の遊びであったはずの滅びの美学が現実のものになっていまいます。
 


建国記念

2021年02月11日 | 思想・学問

 今日は建国記念の日。

 戦前は紀元節と称され、初代である神武天皇が即位した日とされています。
 なんでも紀元前の何年かは忘れましたが、その何年だかの1月1日に即位されたと古事記や日本書紀などに記されており、それを西暦に直した日が今日なのだとか。 

 なんとも嘘くさい日ではありますが、国家や民族には物語が必要です。

 革命で国家が成立したとか、独立戦争で勝利したとかいうのは、概ね近い過去の出来事であり、日付ははっきりしています。
 革命前も独立前も、国家や民族というのはあったはずですが、現代の国家という意味では分かりやすいでしょう。
 そういう意味では、わが国の場合、連合国と講和を結んだサンフランシスコ平和条約締結の日が新生日本の建国の日にあたるのかもしれません。

 しかしそれでは、戦前の日本を否定することにもつながり、わが国の伝統文化であり、物語であるところの、民族の中核とでもいうべきものが、忘れられてしまうかもしれません。
 そういう意味で、神武天皇の即位の日という、信じがたい、いわば嗤うべき日に建国の日を定めたことは、明治政府の、欧米列強に対する矜持だったのかもしれません。

 おかげ様をもちまして、嗤うべき日は尊ぶべき日となりました。

 わが国の人々にとって、大切な日です。
 普段はその意味など考えず、ただお休みできる日としか思わなくなっているとしても。


ブッダ・ダンマあるいは至高体験

2021年01月24日 | 思想・学問

 私は学生の頃、英国の思想家にして神秘主義に深い関心を寄せたコリン・ウィルソンの著作を好んで読みました。
 なかでもマズローが唱えた至高体験を独自に解釈っした「至高体験 自己実現のための心理学」には感銘を受け、何度も読み返しました。

 至高体験とは、なにも神秘主義的な体験ではありません。
 例えば晴れた土曜日の朝に感じる、何事にも代えがたい幸福感に包まれた感じとか、分かりやすい言葉で解説さあれています。
 しかしそこに至るには階段を上らなければなりません。

 これは健康な人が感じる幸福感で、マズローはこの至高体験を繰り返して生きることを良しとしました。

 当たり前といえば当たり前ですが。

 マズローは至高体験に至る道を、5段階で説明しています。
 すなわち、①生理的欲求、②安全の欲求、③所属と愛の欲求、④承認欲求、④自己実現の欲求、そして、その先にあるものこそが至高体験というわけです。

 大抵の人は食えて、安全で、家族や恋人などに愛され、愛し、自れが認められれば、それでよしとするでしょう。
 しかしその先には、自己実現欲求さらには至高体験が待っているというわけです。

 私自身は病んでいながら、この健康的な心理学に惹かれます。

 また、ある仏教学者は、仏教の研究だけでは飽き足らず、自ら禅を組み、南無阿弥陀仏を唱え、南無妙法蓮華経も唱え、と、仏教のハシゴのようなことを行います。
 そしてある時、自分には禅が合っていると思い至り、もっぱら禅門の修行に取り掛かります。
 そんなことを続けているうち、ブッダ・ダンマ(仏法)が体の中を駆け抜ける、という神秘体験を経験し、ますます禅にのめりこんでいきます。

 これもまた、至高体験でしょうか。

 私は躁状態に陥ったとき、病気だとは思わず、うつが治癒し、さらにはその喜びから至高体験を繰り返しているのだと勘違いしました。

 それは魔道に落ちる道だったのです。

 幸いにして、私は精神科に通っていましたから、それは至高体験などではなく、単なる躁状態だと知ることになります。

 病気を知って、薬によって抑えられた時、私は寂しさを感じました。
 躁状態に現れる多幸感、全能感は素晴らしい体験で、例えば性欲が異常に高まるとか、浪費していますとかいう負の側面をさっぴいても、もう一度経験したい、と、今でも思うときがあります。
 麻薬のようなものだとしても。

 マズローの心理学を知っていながら、この体たらくです。
 もう嗤うしかありません。

 至高体験にしても、ブッダ・ダンマが全身を駆け抜けるという神秘体験にしても、段階を踏まなければなりません。

 私には仏道修行は無理ですから、至高体験に至る道を、地道に歩いていければ、と思っています。


二つの夢

2020年12月30日 | 思想・学問

  年末年始の長い休暇、夢をみているように楽しく過ごしています。
 1月4日への恐怖は、まだわいてきません。

 夢と言えば、沢庵禅師の禅語を思い出します。

 是(ぜ)も亦夢(またゆめ) 非(ひ)も亦夢(またゆめ)

 色々と解釈できると思いますが、是とか非とかの相対的な知識や判断の境地、といったところでしょうか。
 是も非も夢ならば、人生そのものが夢ととらえられるかもしれません。

  沢庵禅師は夢に託して人生を歩むことを好んだようで、夢百首という歌集を残しています。

 また、道元禅師は、

 本末(もとすえ)も みな偽りの つくも髪 思い乱るる 夢をこそ説け

 という短歌を残しています。

 沢庵禅師にしても道元禅師にしても、夢と言う言葉に、二つの意味を見出しているように思えます。

 一つは睡眠中にみる夢。
 一つは夢から醒めたのちに見る夢。

 例えば修行僧でいえば、さとりを開くことに執着し、夢の中でさとりを開こうとするのが第一の夢。
 修行僧が夢から醒め、夢には実態がないように、この世界に存在するらしいものは、すべて実相がないと実感できる境地が第二の夢。

 第一の夢では執着を、第二の夢では執着を離れた境地と言えば分かりやすいでしょうか。

 坊主の世界でも、禅坊主は特に分かりにくい、難解な物言いをする印象がありますが、夢に関しては、わりと常識的というか、易しい禅語や短歌でその意味を説こうとしているように思えます。

  しかしこの世を生きる私たちにとって、夢はあくまで睡眠中に見る実態の無いものに過ぎず、日々の忙しさの中では、第二の夢の境地に至ることはありません。

 この言葉は、例えば将来の夢、などと、希望する職業に使ったり、夢は大金持ちなどと、欲望を表すこともありますが、私はそういう使い方を好みません。

 第一と第二の夢。
 人間はこの狭間で、ただ死んでいくのでしょうね。 

 それでも希望は残っています。
 平林たい子女史は、次のような言葉を残していますから。

 平々凡々な私は生きるから、私には生きることが力作なのだ、と。

 


ふしだらな娘

2020年08月30日 | 思想・学問

 14歳の少女が男と駆け落ちし、家に連れ戻されたのは良いとして、就寝中、父親に斬首されるという事件がイランで起きたそうです。

 イスラム社会で時折見られる名誉殺人というやつです。

 少女は警察に保護された時、家に帰れば命の危険があるので、どこか別の場所で保護してほしいと懇願したそうですが、結局少女の危惧は当たってしまいました。

 江戸時代、不義密通は死刑だったと聞きますが、それは大人のこと。

 14歳で恋に落ちれば、何も見えなくなって愚かな行動にでるというのは、大人になれば大抵の人は知っています。

 父親は我が子をふしだらな娘と決めつけ、殺害に及んだということです。
 父親は禁固9年の刑を言い渡されました。

 軽い。

 殺人を犯して、禁固9年とは何事ですか。
 ましてイランは重罰を科すお国柄。

 母親は、夫を死刑に処すことを求めているとか。
 9年後に出てきたら、他の家族も危ないと危惧しているそうです。

 名誉と暴力については、米国南部の人々を対象とした研究で考察されています。

 それはさておき。
 
 我が国では、恥辱を受けた時、何か月も蟄居したり、腹を切ったり、己の身を傷つけることでそれを晴らそうとしました。

 しかしイスラム社会では、恥辱の原因となった相手に危害を加えることで、名誉を回復しようと図るようです。

 そしてまた、イランの司法当局も名誉殺人をある程度認めていると思えてなりません。
 司法といえども己が文化の影響からは逃れられないようで、だからこそ、懲役9年という軽い刑を言い渡したのでしょう。

 名誉とは何でしょうね。

 おそらくは、共同体の中の価値観を守り、それを継続することによって得られるものだと思います。
 したがって、共同体によって価値観は異なるので、名誉の概念は共同体ごとに異なるものにならざるを得ません。

 イスラム社会は性に対して厳しい価値観を持っているようで、例えば同性愛は未だに死刑だそうです。

 また、イスラム教に絶対の価値を見出しているため、尊敬する人物を問われたご婦人が、当時イランで放送されて大人気だった、おしんと答えたところ、逮捕されて死刑を言い渡されたそうです。

 理由は、イスラム教徒ではない人物を尊敬したから。
 ただし、すぐに恩赦となり、釈放されたそうですが。

 そのような価値観を持つ人々が数多く存在すると知って、世界の価値観はあまりにも多様であることを思い、慄然とします。

 我が国の倫理観は逆におおらかです。
 
 源氏物語の昔から、性的逸脱は認められていたようですし、戦国武将にいたっては、バイセクシャルが良いとされ、ストレートは無粋なやつとみなされたと聞いたことがあります。

 江戸時代には、少年を買う陰間茶屋なるものが堂々と営業していたとか。

 明治にいたって、西洋的倫理観が入ってきて、性的逸脱は許されない(表向きは)とされたようです。 

 今、自由民主主義を標榜する国家では、同性愛者に対する差別は根強く残っているとはいうものの、同性愛者やトランスジェンダーなど、性的少数者を差別してはいけないことになりました。

 しかしそれは、我が国においては元の価値観にもどっただけのこと。

 私は女性にしか興味がない異性愛者ですが、両刀使いだったら人生が二倍楽しくなったんじゃないかと思います。

 世界の性に対する価値感が大きく変わろうとしている今、イスラム社会ではあまりにも厳しい倫理観を保っているのですね。

 イスラム教徒の考えを否定する気はありませんが、少々羽目を外した我が娘を殺さなければならない、という考えがあるのだとすれば、私は日本に生まれて本当に良かったと思います。 


信じ込む

2019年08月23日 | 思想・学問

   明日から土日月と3連休です。
 月曜日は電気設備の一斉点検のため、電気が使えないことから、休暇となりました。

 8月は休んでばかりのような気がします。

 休みが多いのはうれしいですが、仕事が溜まるのが嫌ですねぇ。

 月曜日から金曜日まで働き、土日休むというのが基本の生活で、どこか円環的に感じます。
 繰り返し、というわけです。

 しかし、繰り返しのように見えて、一秒とて同じ瞬間はありません。

 常に違う一瞬を生き、その一瞬は消えていきます。
 そう考えると、私たちの生は円環的というより直線的と言えるのではないでしょうか。

 死に向かって真っすぐに進む道。
 それは、生まれ落ちた瞬間から。

 先般の義父の通夜・告別式を見て、改めて人は儚いと感じました。

 実父の時は、ショックが大きすぎて、人が死んだというより、実父の存在が消えたことが信じられず、儚さを感じる余裕はありませんでしたね。

 儚くても、生きている以上、死に向かう一本道をひたすら歩まなくてはなりません。

 これは考えてみると怖ろしいことです。
 刻一刻と死の瞬間が迫っているわけですから。
 言ってみれば、人は生まれ落ちた瞬間から、全員死刑を言い渡されているようなものです。

 そのような生をよりよく生きるため、宗教や哲学は生まれたのでしょうね。
 あまり効果はありませんが。

 ただし、何であれ、信じ込んだ場合、効果は絶大です。
 麻薬みたいなものです。

 私は麻薬と知りながら、何か宗教でも哲学でも、頭の先からしっぽの先まで信じ込んで、脳内麻薬を放出し、人生をやり過ごしたい、という昏い欲求に駆られます。


義理

2019年02月14日 | 思想・学問

 かつて、私の職場においては、今日という日、義理チョコなるものをを10個も15個ももらい、それらを食したなら、歯を悪くし、血糖値を上げる、憎むべき日でした。

 それがここ10年ばかりの間に廃れてきて、歯にも血液にも害を及ぼさない、爽やかな、というか普通の日になりました。

 誠に喜ばしいことです。

 義理チョコなるものは廃れてきましたが、世の中には止めてしまったほうが良いように思われる悪習がたくさん残っています。

 中元歳暮、年賀状、香典に香典返し。

 さらには、さして親しくも無い親戚、友人、知人とのお付き合い。

 虚礼、と言ってしまっては大げさでしょうか。

 世の中、義理を欠いてわたっていくのは困難で、私自身、これらの面倒事を引きずりながら生きています。

 しかしながらスッタニパーダ(原始仏典)において、お釈迦様は、「犀の角のようにただ独り歩め」と説いています。

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)
中村 元
岩波書店

 同時に、真に優れた友との交友をも重視する文言を残していますが、人間関係から苦悩が生まれることが多いことから、孤独は怖れるものではなく、むしろこれを求めて修行しなさい、ということなのでしょう。

 人付き合いというのは面倒くさいものですし、自己の内面に分け入っていく時間を喪失させるものでもあります。

 自己の内面を成熟させていくうえでは、孤独は最高の良薬です。

 しかし最近、SNS(social networking service)なるものが一般化し、くだらぬ縁でつまらぬ付き合いを広げる動きが加速しています。

 どんなものだろうかと、Facebook、Twitter、Instagramと、一通り試してみましたが、どれもつまらないのですぐに止めてしまいました。

 まぁ、長く続けているブログも広い意味ではSNSの一種でしょうけれど。

 これらは手を出さなければどうということもありませんが、新しい虚礼を生み出したとも言えるように思います。

 また、ボッチという言葉をよく耳にします。
 一人ぼっちの略称のようですが、これが否定的にも、時には肯定的にも使われることは、興味深いものです。

 当初は友達がいない寂しい人、といった意味で使われていたように思いますが、そのうち友達がいなくて何が悪い的な、一人を楽しむみたいな意味が加わったのだろうと推測します。

 私はこれを頼もしく思います。

 人間は極めて社会的な生き物で、古来、群れをなして生活し、一人きりで生きることは困難です。

 税金で作られた学校を卒業し、お百姓さんやら漁師さんやらが取った食べ物を食し、各種インフラのお世話にならなければ生きていけないし、全ては繋がっていることは事実です。

 この見えない繋がりに、深く感謝したいと思います。

 それはそれとして、内面の問題として、あらゆる虚礼を廃止し、仕事も辞め、家庭も捨て、行乞の旅に出たい、という昏い欲求を覚えます。

 その時こそ私は、犀の角のようにただ一人歩めるような気がするのです。

 


過激なものへの憧憬

2018年10月17日 | 思想・学問

   10月も半ばを過ぎ、すっかり秋めいてきました。
 今年は晴れる日が少なくて、なんだか嫌になります。

 10月というと、10月事件という、はるか昔のクーデター未遂事件を思い起こします。
 錦旗革命事件とも言われ、昭和6年、満州事変の直後に起きた、陸軍の青年将校らによる秘密結社、桜会が画策したものです。

 海軍の一部とも結託し、北一輝や大川周明ら民間右翼の大物、大本教などの宗教団体をも巻き込んだ大規模な計画で、時の総理大臣をはじめとして、閣僚らをことごとく暗殺もしくは捕縛し、超国家主義的な軍事独裁政権を目指したものです。

 計画は事前に露見し、首謀者たちは捉えられますが、満州に左遷されるなどの処遇を受けただけで、特段処罰されませんでした。

 このことは、後の二.二六事件などの重大なクーデターに影響を及ぼしたものと思います。

 どうせ大した罰は受けないだろう、みたいな。

 ところが、 二.二六事件の首謀者たちは、先帝陛下の逆鱗に触れ、弁護士なし、一審のみ、という形ばかりの裁判を受けて処刑されるに至りました。


 私は国家主義者でも共産主義者でもありませんが、なぜか過激な思想や宗教に魅せられ、悪事に突き進んでいく者達の姿に魅かれます。

 近くはオウム真理教事件、さらには連合赤軍事件。

 外国ではナチなんかも、やったことはともかく、そのファッション性は単純に格好良いと思います。

 過激な思想に囚われ、悪行に突き進んでいく姿は、人間の最も純粋な精神性が現れているように感じるのです。

 それは哀れを誘うような愚かさを身にまとっているからこそ、いっそ至純に見えるということのように思います。


 オウムの連中なんか人間じゃない、と思うと同時に、あれこそ人間の本性である、とも思います。

 人間の本性をむき出しにして、他を省みず、おのれ一人が正しいとばかりに蛮行に走ることは、決してあってはなりません。

 しかし世の中、あってはならぬことが起きるのが一面の真実で、その真実を見せつけられた時、人は嫌悪感と同時に、幾ばくかの魅力を感じるのでしょう。

 酒鬼薔薇聖斗を神のように崇める青少年がいると聞いたことがあります。
 私は性犯罪者には魅力を感じませんが、極端な事件を起こした犯人に魅力を感じるという精神性は、分からなくもありません。

 かつて三島由紀夫は、

 わき目もふらず破滅に向かって突進するんですよね。そういう人間だけが美しくて、わき見をするやつはみんな、愚物か、醜悪なんです。

 と述べたことがあります。

 誤解されがちな発言ですが、私には腹に落ちます。

 うろ覚えですが、何かの小説で、自滅を美とせず、と書いたのは司馬遼太郎でしたか。
 しかしそう書かなければならないほど、人は破滅に向かう姿に美を感じる生き物だとも言えます。


 今もどこかで、極右であったり極左であったり、あるいは過激な宗教団体などが、悪の計画を立てているかもしれません。
 私はそれに心酔しているような顔を装って、会合に参加してみたい、という誘惑に駆られます。

 もちろん、いざ事を起こそうとしたならば、私は迷わず通報するでしょう。
 その姿がいくら美しくても、やってしまったら犠牲者が出て、巨大な悲劇が生まれること必定だからです。

 過激さへの憧憬を持ちながら、どこまでも小市民的な態度しか取れないとは、いかにも木端役人らしいとしか言い様がありません。

 尊敬する石川淳先生が、「至福千年」等の小説群で描き出したように、せめて私もまた、虚構の世界で、おのれが正しいと信じ、蛮行に突き進む哀れな人間の姿を創り出してみたい、と思います。

至福千年 (岩波文庫 緑 94-2)
石川 淳
岩波書店

 今の私にはそんな余力はありませんが、例えば定年退職して時間が出来たなら。

 そしてそれは、誰にも読まれることがなくても構いません。
 私一人を慰める、あるいは鼓舞する物語であれば十分だと思っています。



   


8月15日の物思い

2018年08月15日 | 思想・学問

   今日は終戦記念日ですね。
 今上陛下は近く退位あそばすので、戦没者慰霊の式典に臨席あそばされるのも今年が最後。

 私の職場でも、正午に1分間の黙祷が捧げられました。

 実際に戦闘を経験した軍人、兵士は、現在では90歳を超えていると思われます。
 あと二十年もしたら、第二次大戦を戦った最後の兵士が亡くなった、なんていうニュースが流れることでしょう。

 第一次対戦最後の兵士が亡くなったのは、2011年だったと記憶しています。
 110歳くらい。
 くらい、というのは、私の記憶が定かではないからです。

 こうやって、どんなに凄惨な戦いも、自然災害も、人々の記憶からは消え去り、歴史上の出来事になっていくのですね。

 戦争や災害に際して、記憶を風化させない、なんて、センチメンタルに大見得を切る人を時折見かけますが、それは無理筋というものです。

 その人本人がいくら生涯かけてその悲惨さの語り部として活躍したとしても、後の世の人々は、毎日の生活に追われ、そんなこともあったのだなぁと、どうでも良いことになるであろうこと必定です。

 なぜなら、過去の戦争や災害なんて、専門家の研究者くらいしか興味がないし、事実、「源平合戦(前九年の役でも関ヶ原でもなんでもよい)は悲惨だったから戦争は止めましょう」なんていう言説は聞いたことがありません。

 これからは、第二次大戦に直接関わった人々がほぼいなくなるとともに、歴史研究の対象として、重要性を増すでしょうね。
 それを経験した人々が大勢生きている時代には、聞き取り調査という貴重な手段がありながら、なかなか歴史研究の対象にはなりにくいものです。
 
 100万人いれば100万とおりの経験があるわけで、それを全て聞いて記録に残すということは事実上不可能ですし、記憶が生々しいだけに、経験の個人差も大きいでしょう。

 よくニュースなんかで、悲惨な経験を語り継いでいかなければならない、とか言いますが、それは無理なので、歴史研究によって、何が行われたのかを明らかにしていく作業をコツコツと進めていくことが肝要かと思います。


真ん中

2018年08月14日 | 思想・学問

 仲良く談笑していたトランプ大統領と北朝鮮の3代目、3代目がなかなか核放棄への具体的な行動に出ないことに苛立って、米国は3代目への制裁を緩めようとしません。

 人というもの、誠に争いを好むものと見えます。

 特に西洋においては、古典論理学において、排中律という考えがあって、物事がどうも対立的であるように思います。

 排中律とは、あるものについて、その肯定と否定とがある場合、一方が真ならば他方は偽、他方が真ならば一方は偽であり、その両方のどちらでもない中間的第三者は認められない、という論理法則です。

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 今ではさすがに西洋においてもこのような考え方は廃れてきていると思いますが、やたらと訴訟を起こしたり自分の非を認めなかったりするというのは、上のような考えが未だに染みついているのかもしれませんね。


 一方、東洋においては、真ん中が良いとされてきました。

 孔子が説いた中庸、お釈迦様が示された中道

 どちらも極端はいけません、真ん中を歩きなさい、ということでしょう。

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 中庸中道は、現実世界に当てはめると、よく似ていますが、根本的には異なるものです。

 孔子は政治の道を示し、王たる者は中庸を歩まねばならない、と説いています。
 さらにはそれを敷衍して、一般庶民にも中庸を勧めています。
 これは現実世界をより良く生きるための知恵です。

 一方仏教で言う中道は、最終的には解脱を目指すもので、現実世界をよく生きるためだけのものではありません。
 ただ、解脱を目指す中道も、生活に取り入れれば、中庸とさして変わりません。

 そのような考え方を持つ東洋人もしかし、西洋人と変わることなく、争いを繰り返してきました。

 思想では、戦いを止められないかの如くです。 
 それは歴史を見れば明らかでしょう。

 お釈迦様は、シャカ国に攻め入ろうとするコーサラ国の王子(お釈迦様を信奉していたそうです)を二度まで思いとどまらせましたが、三度目は止めようとしませんでした。
 複雑な利害関係がある政治状況に鑑み、仕方ないと思ったのでしょうか。

 お釈迦様の教えを信奉していながら、尊い人の故郷を攻めなければならなかった王子の心中も察して余りあります。

 あれやこれやが複雑に絡み合い、必然とさえ思えるような偶発的な出来事が起これば、人もしくは為政者は戦うことを選ぶのでしょう。

 嘆かわしいことです。

 それでも私たちは、日本という国に生まれ育ち、東洋文化にどっぷりと浸かって生きてきたのですから、ど真ん中を歩いていく覚悟を持つべきでしょう。

 そしてそれが、やがては、争いの無い世界に近づく道なのだと信じるより他ありません。


1年は短いか?

2018年07月24日 | 思想・学問

 最近お気に入りの、「チコちゃんに叱られる」という番組で、大人になるとなぜ1年が短く感じられるのか、ということが話題になっていました。

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 子供の頃は、毎日新たな発見や疑問があり、楽しいことも多く、ときめきながら生きているため、1年が長く感じられるそうです。
 年とともにときめきは薄れ、早くも19歳くらいから、時間の流れが速いと感じるようになるそうです。

 大人は惰性で毎日の繰り返しを生きている、ということでしょうか?

 しかし、私は1年があっという間に過ぎる、という、よく聞く言説が理解できません。
 1年どころか、一か月だって、地獄のように長く感じる、というのが私の偽らざる実感です。

 ときめきなんて言うものがあるわけではありません。
 惰性の繰り返しだからこそ、長く感じるのだと思います。

 1年前なんてはるか大昔だし、1年後は遠い未来です。

 もちろん、過ぎてしまえばあっという間、というのは理解できなくもありませんが、今を生きる私たちは、常に過ぎ行く月日を生きているのであって、過ぎてしまった過去を生きているわけではなく、過去は後悔の対象だったり、甘美な思い出だったりはするものの、もはや過去を生きることはできません。

 だからこそ、タイム・トラベルを扱ったSF作品が数多く作られるのでしょう。
 絶対に不可能なことだからこそ。

 未来に向かって生きることは、とりもなおさず死が近づいているということでもあります。
 最後は必ず死ぬのであり、未来は絶望的です。

 それでも、生物は生きなければなりません。
 生まれてしまったものは、生きるほかありません。

 そんな貴重な時間を、やれあっという間だの、1年が短いだのと、嘆いている場合ではありません。

 地獄のような生を全うすることを、私たちは義務付けられているのですから。


あり得ない幸福状態

2018年04月16日 | 思想・学問

 どこの職場もそうでしょうが、4月は業務量が多いうえ、人の異動などもあり、ひどく忙しいものです。
 そのせいか、軽いうつ状態が続いています。

 今、服薬している薬は気分安定剤と抗不安薬で、抗うつ薬は飲んでいません。
 抗うつ薬も出してもらったほうが良いのか、一過性のものだと思うので我慢したほうが良いか、迷うところです。

 精神障害(双極性障害)がひどい時は、これさえ治ればバラ色の人生が待っている、と思っていましたが、ほぼ治癒した今、思うのは、バラ色の人生などあり得るはずもなく、ただ普通に戻るだけなのだな、ということです。

 ユングは、心理療法について、心理療法の最高の目的は、患者をあり得ない幸福状態に移そうとすることではなく、彼に苦しみに耐えられる強さと哲学的忍耐を可能にさせることである、と述べています。 

 むべなるかな。

 しかし、苦しみに耐えられる強さ、というのは分かりやすいですが、哲学的忍耐とはいかなるものでしょうね。

 ユングの心理学から考えると、おそらくそれは全体性を身に着ける、ということではないかと思います。
 全体性とは、人間心理のこの部分が理性で、この部分が欲望で、この部分が宗教性で、といった分け方をすることは不可能であり、人間は全体として存在している、という意味です。

 人間の存在はそもそも哲学的であると言え、全体性を身に着けることは、とりもなおさず哲学的であるということで、それを哲学的忍耐と呼んだのではないかと推測します。

 ユングは東洋哲学、わけても仏教に深い関心を持ち、それらの考え方を心理療法に取り入れようとした人です。
 上の言葉も、東洋的と言うか、仏教的な感じがします。

 それならば、東洋の島国で、東洋の精神性にどっぷりと浸かって生きてきた私は、ユング派の心理療法が向いているのかもしれません。

 いずれにせよ、あり得ない幸福状態など、望むべくもありません。


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