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ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

描かない絵画

2011年12月11日 | 美術

 先ほどNHKの日曜美術館で、現代抽象絵画に革命を起こしたとされるジャクソン・ポロックを取り上げていました。
 ポーリングと言われる、絵の具ではなくペンキを縦横にたらして描く技法を生み出した画家です。

 まずは彼の最高傑作と言われる「one」をご覧ください。


 観てお分かりのとおり、一見、適当に描いた偶然の産物のように見えます。

 しかしポロックは、「私は偶然を否定している。ペンキの線の一本一本をコントロールしている」と語ったそうです。
 一方で、「絵の中にいるとき、私は何をしているのかわからない」とも語っているそうです。

 筆を握るとトランス状態に陥ってしまうのでしょうか。

 タイトルの「one」は、1という意味ではなく、ポロックと絵が一つのものになっている、という意味だそうです。


 抽象画ではピカソが最も偉大な画家ですが、少なくともピカソの絵には形あるものが描かれており、無意識や幻想を形にしようとしたシュールレアリスムの延長上にいます。
 ポロックは若い頃ピカソを超えようとして果たせず、「ちきしょう、あいつが全部やっちまった」と言ってピカソの画集を床にたたきつけたそうです。

 それから20年後、アルコール依存症に苦しみながら、ポーリングという新しい技法で、ピカソの先にあるものにたどり着いたというのです。

 しかし正直、私はポーリングによって描かれた彼の絵画を、美しいとは思いません。
 ただ、怖ろしいほどの精神の混沌が示されていることは感じます。
 シュールレアリスムも無意識下にある人間精神を描こうとした運動ですが、そこには美の探究という絵画が本来的に持つ原則が維持されていました。

 しかしポロックポーリングは、美の探究すら行わず、無意識をむきだしにしようとしているように私には感じられます。

 それはもはや、画家の仕事というより呪術師や霊能者のそれであると感じます。

「№18」です。

 番組で解説していたポロック研究者は、自由な精神だとか勢いだとか言っていましたが、私が感じるのは、人間精神の底知れぬ暗さと、人間の集合無意識が持つ激流の激しさです。

 ポロックは見てはいけないものを観て、描いてはいけないものを描いたのではないでしょうか。

 いやそれは、描くということですらないと感じます。

 トランス状態に陥って、誰かが彼を操っていたのだとしか思えません。

 私はポロックよりも前に活躍したシャガールの絵画を好みます。
 ポロックまで行ってしまうと、美を感じられません。

 去年の九月に東京藝術大学美術館で開かれたロシア・アバンギャルド展に行った時は、多くのシャガール作品を観ることができて幸せでした。
 




 色彩の魔術師と言われるシャガールの代表作2点です。

ジャクソン・ポロック (ニューベーシック) (ニューベーシック・アート・シリーズ)
レオンハルト・エマリング
タッシェン
新版ジャクソン・ポロック
藤枝 晃雄
東信堂
シャガール (ニュー・ベーシック・アート・シリーズ)
インゴ・F・ヴァルター/ライナー・メッツガー
タッシェン

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老少女 やなぎみわ

2011年11月17日 | 美術

 朝一番の記事で、下手な理屈をこねくり回したので少々気分が悪いです。
 そこで昼休みの記事では趣向を代えて、私が今最も注目している美術家、やなぎみわの寓話シリーズを見て目の保養をしてみます。

 無垢な少女と無慈悲な老女が特殊メイクで繰り広げる、怖ろしくも耽美的な作品群で、私はただうっとりと見つめる他ないのです。



 糸で老女を責める少女。
 モノクロームの映像が美的です。



 裸で眠る少女の脇に、不自然なほど長い杖を持った老女。
 裸の少女より、グロテスクな老女に目が行ってしまうのが不思議です。



 マッチ売りの少女でしょうか。
 少女の不自然な笑顔が、雪とマッチの光と相まって、独特の異空間をつくりあげています。



 異形の老女が鳥となった少女を運ぶ姿。
 老女はこれを食うんでしょうか?
 怖ろしいですねぇ。



 老女の顔をした少女の顔に装飾を施す少女。
 世界はぐるぐる回っています。



 鮮やかなカラー映像、老女たちが着飾っています。
 ここは日本昔話の異界への入り口でしょうか?

 いずれも癖の強い作品で、猛毒を仕込んであるようです。
 私はむせかえるような香気を放つこれら作品群を偏愛しています。

 でもあんまり一般向きではないかもしれませんね。
 美醜の壁を乗り越えるような作品は、猛烈に嫌う人もいますから。

 私と同世代で、美術界を疾走するやなぎみわ
 神戸芸術工科大学の准教授を務めているとか。
 私としては、そんな宮仕えは辞めて、作品制作に専念してもらいたいと願っています。

Fairly Tale 老少女綺譚
やなぎ みわ
青幻舎
WINDSWEPT WOMEN:老少女劇団
やなぎみわ
青幻舎
やなぎみわ―マイ・グランドマザーズ
東京都写真美術館
淡交社
Elevator Girls
やなぎ みわ
青幻舎

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酒井抱一と江戸琳派の全貌

2011年10月16日 | 美術

 今日は芸術の秋としゃれ込み、千葉市美術館「酒井抱一と江戸琳派の全貌」を観にいきました。
 超有名画家の名前を銘打っているだけあって、客の入りは上々。

 琳派というとなんと言っても大胆な構図が得意の尾形光琳ですが、私は酒井抱一の絵のほうが、大胆さには欠けるものの、どこか上品で、力が入っていない感じがして好きです。
 江戸後期、譜代大名酒井家の次男として生まれ、様々な大名家への養子の話があったようですが、すべて断り、己が信じる美の世界を貫き通したのは、なかなか見上げた根性です。



 その画業は花鳥風月や俳画に留まらず、仏画や「伊勢物語」などの古典の一場面の絵などにも及んでおり、武家らしからぬ奔放さをも併せ持っています。

 私が気に入ったのは、初期の頃の紅梅図です。
 図録から写真を撮りましたが、うまくいきません。
 下のようになってしまいました。


 梅が枝を伸ばす様が、まるで何かを掴み取ろうとしている指先のように、躍動感があふれていました。
 腐っても琳派といったところでしょうか。

 帰りは千葉三越に寄って、スッコチハウスのシャツを二枚購入し、ドトールで珈琲を飲んで帰宅しました。
 近いので楽でしたが、絵を観るのは疲れますね。
 知らず知らずのうちに体に力が入り、目を酷使するんでしょうねぇ。

酒井抱一と江戸琳派の全貌
松尾 知子,岡野 智子
求龍堂
酒井抱一 (新潮日本美術文庫)
玉蟲 敏子
新潮社

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草間弥生展

2011年09月10日 | 美術

 今日は残暑厳しいなか、青山のワタリウム美術館に出かけました。
 この美術館は、小規模ながら現代アーティストの実験的な作品を展示することで知られ、好事家の間では有名です。
 今日観たのは、もはや巨匠と言うべき草間弥生展です。



 草間弥生といえば、水玉模様を執拗に描き続ける画家であり、数々の小説やエッセイを発表した著作家であり、1960年代には米国で数々のスキャンダラスなパフォーマンスを繰り広げた異能の人です。

 今回の展示は、主に1960年代、彼女が最も過激であった頃を写真や動画で回顧するもので、残念なことに作品そのものはわずかしか展示されておらず、草間弥生の作品展ではなく、まさしく草間弥生展でした。

 当時はベトナム戦争が行われ、若者の間ではベトナム反戦運動や、霊的な進化を模索するニュー・エイジ運動が流行、それにヒッピーなどが活躍していました。
 草間弥生もその流れに乗り、自ら全裸になって水玉模様を体に描き、ニューヨークの町をゲリラ的に襲ったり、馬や猫にまで水玉のペインティングをしたりしたそうです。
 今では真っ赤なおかっぱのかつらをかぶった不気味な婆さんですが、当時はあふれ出る創作意欲をもてあましていた感じがします。

 その後帰国し、統合失調症を発症して精神病院に30年以上入院し、病院からアトリエに通って絵画制作に打ち込む日々を今も続けているようです。
 水玉の幻覚が絶えず彼女を襲い、その水玉を美術品に昇華させてしまうあたり、並の精神病患者ではありません。

 ただ残念なのは、自らの作品に対する解説をやってしまうこと。
 「無限の網 草間弥生自伝」に詳しく書かれています。
 それは著述家ならではの悪癖というべきで、絵画はその作品だけを提示し、作者は沈黙すべきでしょう。

  NHKの日曜美術館を見ていていつも思うのですが、必ず大学教授やら美術館学芸員やらが出てきて講釈をたれますが、あれは時間の無駄ですね。
 そんな時間があるなら、もっとじっくり作品を紹介すべきでしょう。
 美術にしろ、舞台芸術にしろ、言語芸術にしろ、また音楽にしろ、芸術作品は感じるもの。
 理解する必要はありませんし、そもそも正しい理解なんて存在しません。
 芸術家と鑑賞者が共同作業で作り上げる神秘体験が芸術の本質であって、ある作品を難解だなどと言う必要はありません。
 一言、つまらん、と言ってうっちゃっとけば良いのです。
 要はその作品にもっと接していたいと思うか、接していて心地よいか、それだけが判断基準であって、どんな巨匠の作品でも、鑑賞する者がつまらんと思えばそれは駄作なのです。

 いかれた作品に億単位の金額がつく大芸術家。
 彼女の画業を見たかったのに、彼女の半生を見せる展覧会で、残念です。

無限の網―草間弥生自伝
草間 弥生
作品社
草間彌生全版画集 All prints of KUSAMA YAYOI 1979-2004
草間 弥生
阿部出版
草間弥生永遠の現在
草間 弥生
美術出版社

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空海と密教美術

2011年07月30日 | 美術

 今日は東京国立博物館に「空海と密教美術」展を観に行きました。
 東京国立博物館の特別展示はいつも混むので、9時半の開館に間に合うようにしたところ、混んではいましたが想像ほどではありませんでした。



 密教美術というと、法具ですねぇ。
 こんな感じです。
   ↓


 本来は仏の教えを広めるための有難い道具ですが、伝奇小説の読みすぎか、妖しい戦いを連想して、私は国宝の輝く金色を前に、しばしうっとりと空想の世界に遊んだのです。



 私は美術館にはよく行きますが、博物館にはあまり行きません。
 美術鑑賞は純粋に娯楽なのですが、博物館は勉強を強いられているようで、面白くないのです。
 今日観た展覧会も、正直言って9割方は面白くありませんでした。

 そんな中、密教法具のほかに、醍醐寺如意輪観音菩薩坐像に圧倒されました。

 なまめかしく、美しく、柔らかな体の線と、瞑想しているのであろう観音のもの思わしげな表情、そしてグロテスクに生える六本の腕。
 混んでいたので長時間観ていられませんでしたが、半日くらいぼけっーと観ていたいような、素晴らしい美術品でした。

枕草子」に、如意輪の人を渡しわづらひてつらづえをつきてなげき給へる、いとあはれにかたじけなし、とある様に、如意輪観音は普通六臂を持ち、右第一手で頬杖を突いて沈思瞑想する姿に造らています。
 右足の膝を立て、左足裏の上に右足を重ねる、いわゆる輪王坐という座り方で、豊満な身体に現われた、柔軟な身のこなし方に如何にも、インドに源流を持つ密教像の感じが漂っています。
 天、人、阿修羅、餓鬼、畜生、地獄の六道を、生まれ変わり死に変わりして、その外に出る事が出来ない、いわゆる仏教でいう輪廻転生の衆生を救うため、この観音は六臂を持っているのだとか。

 写真撮影禁止であったことが残念です。 

カラー版 空海と密教美術 (カラー新書y)
武内 孝善,川辺 秀美
洋泉社

枕草子 (岩波文庫)
清少納言,池田 亀鑑
岩波書店

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2011年07月09日 | 美術

 今年は現在の日本橋が完成して百周年だそうで。
 日本橋の三井記念美術館で日本橋架橋100年を記念して、橋ものがたりという展覧会をやっていたので、観にいきました。

 内容は、茶器や工芸品などで橋の模様があるものや、橋が描かれた日本画を総合的に展示するもので、日本橋とは直接関係がなくても、橋が描いてあればよい、ということのようでした。



 正直言って、これは、という名品はありませんでした。
 つながりは橋だけなので、雑多なイメージがぬぐえません。
 
 そうはいってもさすがに広重の有名な「大川橋 あたけの夕立」には見惚れました。
 ゴッホがこの絵にほれ込んで模写したことで有名な作品です。


 もう一つ、北斎
「飛越の堺 つりはし」も迫力がありました。


 あまりに暑かったので散歩はせず、三越の美術品ギャラリーを冷やかしました。

 美術品はほとんど美術館で観るので、デパートで観るとまったく違った視点になります。
 つまり、値札がついているのです。
 小さな茶器に2千万円の値がついていたり、絵画作品も軒並み100万円を超えていました。
 絵描きも当たると大きいのですね。
 ふだん値段のことなど考えず、その作品が私の精神に感応するかどうかだけを基準に観ていたので、値札の威力を思い知らされました。
 高いというだけで立派な作品に観えてしまうのだから不思議です。

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橋口五葉

2011年07月03日 | 美術

 猛暑の中、千葉市美術館に行って来ました。
 ここは市町村立の美術館としては破格に規模が大きく、予算も豊富なようで、興味深い展覧会を良く開くので、たびたび足を運んでいます。
 我が家から5キロ、車で10分ほど、駐車場も無料なので、楽です。

 今日は橋口五葉展です。
 今朝、NHKの日曜美術館の後のアートシーンで紹介されており、初めて聞く名でしたが、興味を持ったというわけです。



 橋口五葉は明治から大正にかけて活躍した画家で、非常に多才な人でした。

 少年期には日本画を学び、墨絵などを描いていましたが、青年期に東京美術学校(現東京藝術大学)で洋画を学び、風景画、美人画などで頭角を現し、夏目漱石の本の装丁や、三越の宣伝用ポスターなどで大金を稼ぎ、晩年は浮世絵に没頭したとのことです。
 日本画と洋画の垣根を軽々と飛び越え、独自の境地を開きましたが、器用貧乏の感は否めません。

 世間では美人画の評判が良いようですが、私は夕焼けや木漏れ日を描いた印象派風の風景画に、彼の真髄があると見ました。

 美人画はきれいなのですが、どこか女性を物体として捉えているような感じがして、生命感が感じられないのです。
 それに比べて風景画はノスタルジーのようなものが感じられて、見飽きませんでした。

 また、真っ黒いカラスに孔雀の尻尾をつけた風刺画めいたものがありましたが、正視に堪えないほどグロテスクなものでした。
 しかもそ絵のタイトルが「美しい鳥」というんですから悪趣味です。



 画業にとり付かれたらしく、美術の毒にあたったのか、41歳でこの世を去ったそうです。
 時代に選ばれた器用すぎる画家だったのでしょう。

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アンフォルメル

2011年06月25日 | 美術

 今日は日本橋のブリジストン美術館に足を運びました。
 お目当ては「アンフォルメルとは何か?」展です。

 アンフォルメルとは、戦後パリで起こった前衛芸術運動で、ダダイズムシュールレアリスムの系譜を継ぐものです。



  しかし私には、その抽象を超えた芸術が、もう一つぴんときませんでした。
  なんというか、アンフォルメル以前の、ピカソダリの絵画は、それを描かずには入られない、という強い欲求があって、自分が一番の自分の絵のファン、という感じが前面に出ているのですが、アンフォルメルの作家の絵は、何か奇抜なことをやってやろう、という強迫観念のようなものに動かされている感じがするのです。

 現に、今日観た絵ではアンフォルメルが起こるずっと以前、印象派全盛の頃に神話や聖書から題材をとった幻想的で浪漫的な絵を描いたギュスターブ・モロー「化粧」に最も魅かれました。
 
モローの「化粧」です。
 私は「化粧」の前に一時間も立ち尽くしました。
 その間、何度も絵画の女のスカートの裾が風にあおられたように私に迫ってきて、私はそれをとらえようと両手を出し、その手は空を切ったのです。
  私は幻覚を見たのでしょうか。
  それにしては変にリアルでした。
 
 アンフォルメルの展覧会に行って最大の収穫がアンフォルメルからみたら時代遅れで古臭いモローの絵だったとは、私もよほど酔狂と見えます。

ギュスターヴ・モロー―絵の具で描かれたデカダン文学 (六耀社アートビュウシリーズ)
鹿島 茂
六耀社
ギュスターヴ・モロー―夢を編む画家 (「知の再発見」双書)
Genevi`eve Lacambre,南条 郁子
創元社
アンフォルム―無形なものの事典 (芸術論叢書)
Yve-Alain Bois,Rosalind E. Krauss,加治屋 健司,近藤 學,高桑 和巳
月曜社

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五百羅漢

2011年06月11日 | 美術

 
 
 雨の中、両国の江戸東京博物館に行ってきました。
 展覧会は、「五百羅漢」展です。
 五百羅漢とは、釈迦の後を継いで仏法を広めた阿羅漢たちのことです。
 ちなみに阿羅漢は、修行を積んで悟りを開いた僧ということになっています。

 しかし狩野一信描く増上寺秘蔵の仏画100幅は、たやすく仏画と呼べるような代物ではありません。
 その絵は悪趣味と言えるほど毒々しく、観る者の心をえぐります。
 地獄を描いた絵など、天上から阿羅漢が苦しむ人々を救おうと杓や糸を垂らすのですが、阿羅漢はまるで子どもが小さな虫をいたぶって悦に入っているような、喜悦の表情を浮かべています。
 その絵の強烈さを思い知らされるのは、97幅目に至ったときです。
 タッチはそっくりながら、97~100幅は、まるで魂が抜けたように、あるいは上品とも、抜け殻ともいうべき絵なのです。
 解説を読んで得心しました。
 狩野一信は96幅目を書き終えたところで亡くなっており、残りを妻と弟子が描いたというのです。

 今でいえば、梅図かずおの絵のような、不気味な迫力に満ちています。
 幕末の高僧たちが、これらの羅漢図を良しとしたことに、驚きを感じます。
 絵の持つ力の強さに、見終わると非常な疲労を感じました。

 http://500rakan.exhn.jp/⇒「五百羅漢」展の公式HPです。

狩野一信
松嶋 雅人
ぎょうせい
狩野一信 五百羅漢図
山下 裕二
小学館

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2011年05月26日 | 美術

 青という色、爽やかな青春のイメージが強いでしょうか。

 白鳥は かなしからずや 空の青 海のあをにも染まず漂ふ  
若山牧水

 この有名な和歌は、青という色の持つ印象を端的に表しているように思います。
 言わば、正の青。

 しかし青には、邪のそれが存在することを、認めないわけにはいきません。

 例えば、青髭男爵、ジル・ド・レー
 彼は領地の村に住む少年を次から次にさらっては虐殺し、悪魔に捧げて後はその死骸で淫らな欲望を満たしました。
 一説には、その数、600名とも。
 酒鬼薔薇聖斗や宮崎勤が権力を握った場合を想像してみれば分かりやすいでしょう。

 そしてまた、「雨月物語」に見られる青頭巾
 美濃の国の高僧が、越の国から来た稚児を寵愛し、稚児が病に没すると稚児の遺骸を何日も抱き、ついには稚児の死肉を喰らい、骨をしゃぶり、気がふれて鬼に変じてしまいます。
 以来、墓を暴いては死肉を喰らうすさまじい生活を送るようになり、村人たちから恐れられます。
 それを旅の禅師が説得し、悪行を止めさせます。
 青頭巾は、鬼から高僧へと戻るためのまじないのような役割を果たします。

 映画「ブルークリスマス」では、UFOを目撃した者の血が青くなってしまうという異常な現象を題材にしています。
 各国政府は、あまりにも青い血の者が増えたため、クリスマス・イブに彼らを大虐殺しようとするのです。
 皮肉なことに、血が青くなった者は、闘争心を失っているというのに。
 異種の存在を許せない人間の本性を表すのに、青い血を象徴的に使っているあたり、あざとさすら感じます。

 「グラン・ブルー」は正のように見えて、人を魅了して死に追いやる海の青の美と恐怖を描いた邪の青に関する映画史に残る名作ですね。

 キタノ・ブルーは、画面を観ただけで条件反射のように激しい暴力描写を思い起こさせます。

 美しく爽やかな青が、なぜかくも人々を恐れさせる物語の象徴足りうるのでしょうね。
 なんだか不思議です。

若山牧水歌集 (岩波文庫)
伊藤 一彦
岩波書店
『青髯』ジル・ド・レの生涯
清水 正晴
現代書館
雨月物語 (ちくま学芸文庫)
上田 秋成,高田 衛,稲田 篤信
筑摩書房
ブルークリスマス [DVD]
倉本聰
東宝
グラン・ブルー [DVD]
ジャン=マルク・バール,ジャン・レノ,ロザンナ・アークェット
ビクターエンタテインメント/20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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シュール・レアリスム展

2011年03月27日 | 美術



 六本木の国立新美術館「シュールレアリスム展」を観にいきました。
 関東の国立博物館・美術館が震災の影響で軒並み休館しているなか、根性の営業です。
 客の入りもまずまず、といったところでしょうか。

 シュールレアリスムというと、アンドレ・ブルトン「シュールレアリスム宣言」が有名ですが、彼の小説は面白くありません。
 自動筆記や、多数の作家が一単語か二単語ずつ書き綴っていくとか、実験的な手法を試みましたが、どれも成功したとは言いがたいように思います。

 甘美な死は、新しい、ワインを、飲む。

 というのがその一例です。

 それに比べて、後にシュールレアリスムから離れていくことになるダリピカソの絵は、永遠の命を得たと言っても過言ではないと思います。
 シュールレアリスム運動から離れていった多くの芸術家が、アンドレ・ブルトンとの不仲によるものだった、と言われていますが、偉大な理論家は平凡な実作者に過ぎず、さらには無能な鑑賞者であったのだろうと推測します。

 観るものを挑発するような不可思議な抽象絵画ばかりを集めた展覧会。
 インパクトは十分でしたが、こちらの精神的エネルギーを害されたようで、少々疲れました。

 その中で、私が気に入ったルーマニアのヴィクトル・ブローネルという画家の絵を二点。
 絵葉書を購入し、それを写真で撮ったものです。





 前衛的でありながらどこかユーモラスで、激しい絵ばかりの展覧会にあって、異彩を放っていました。

ヴィクトル・ブローネル―燐光するイメージ (シュルレアリスムの25時)
齊藤 哲也
水声社
シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (岩波文庫)
Andre Breton,巖谷 國士
岩波書店

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金子国義の魔道

2011年03月10日 | 美術

 私は高校生の頃、サド侯爵の狂気じみたアンチ・キリストの文学作品に熱狂しました。
 それはことごとく後にサド裁判で有罪となる渋澤龍彦訳のもので、金子国義の挿絵が挿入されていました。
 当然のように、私は金子国義の絵画作品にも熱狂することになります。

 
「かもめ」です。

 
妖しいエロティシズムが感じられます。

 
「悪徳の栄え」です。

 アンチ・キリストの象徴でしょうか。

 「火の番をする女」です。

 嫌になってきましたか?


「股のぞき」です。

最後に最も有名な、「アリスの画廊」です。


 サド侯爵の文学同様、濃い感じの作品群で、それは幻想的ともユーモラスとも感じられます。
 
 私はこの魔道へ足を踏み外しそうになりましたが、大学入学後、嫌と言うほど古文漢文を勉強させられ、魔道に落ちることはありませんでした。
 
 しかし今でも時折、魔道への誘惑に囚われることがあります。
 そんな時は逆に、思いっきり魔道へ導く書物や絵画に触れることにしています。
 そうすると、くどい料理はすぐ飽きるのと同様、飽きてくるのです。

 そういえば渋澤龍彦は稲垣足穂をわが魔道の先達とよんでいましたっけ。
 稲垣足穂「少年愛の美学」で日本文学大賞をとり、不本意だったようですが、メジャー作家になってしまったのでした。

OIL PAINTINGS―金子国義油彩集
金子 国義
メディアファクトリー
金子國義の世界 (コロナ・ブックス)
金子 國義,平地 勲
平凡社
よこしまな天使 (Asahi Art Collection)
金子 国義
朝日新聞社
少年愛の美学―稲垣足穂コレクション〈5〉 (ちくま文庫)
萩原 幸子
筑摩書房
一千一秒物語
たむらしげる
ブッキング
A感覚とV感覚 (河出文庫―稲垣足穂コレクション)
稲垣 足穂
河出書房新社

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鎌倉銀閣

2011年02月22日 | 美術

 もう五年以上前になりますでしょうか。

 私の友人の女性が、現代美術家と結婚して、個展をやるので見に来てほしい、との招待を受けました。
 渡辺五大という作家で、元は東京藝術大学の先生だったらしいのですが、作品制作の時間が欲しいと、大学を退職して作品制作に打ち込んでいるストイックな人らしい、と聞きました。
 彼女は貧乏でもいいから夢を追う人と一緒になりたい、と日頃から言っていましたので、ぴったりの相手と結婚したのですね。
 恋多き女性というか、失恋話にずいぶんつきあいました。

 で、鎌倉でやっているという個展に出向きました。
 タイトルはずばり、鎌倉銀閣
 要するに荒れたお堂に銀紙を貼り付けただけのものです。
 しかしなぜか、それが山中の隠れ家のような立地と相まって、幻想美を醸し出しているのです。

 
鎌倉銀閣です。

 
そこで、作家本人と会い、言葉を交わしました。
 もっと狂気じみた芸術家を想像していたのですが、いたって常識的な、一見するとサラリーマンのような人でした。
 残念ながら奥様と再会、というわけにはいきませんでしたが、二人の子供に恵まれ、元気に過ごしているとのことで、安心しました。

 友人の旦那さんというだけに留まらず、何か面白いことをやってくれそうだと、期待しているのです。

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幽体の知覚

2011年02月05日 | 美術

 今日は六本木ヒルズの森美術館に出かけました。
 展覧会は、小谷元彦展 幽体の知覚です。


 現在活躍中の30代の芸術家による作品群は、美と醜の垣根を軽々と乗り越え、物思わしげな雰囲気で、私に迫ってきました。
 床と天井に鏡を張り、四方を滝の映像を流します。
 すると、上を向けば滝に上っていくように見え、下を向くと奈落に落ちていくように見えます。
 私は上を向いたり下を向いたりして、自然の造形を自在に操る技に酔ったのです。

 また、痩せた馬に乗った骸骨のように痩せた男が刀を振り上げている等身大の彫刻は、ぞっとするほどの迫力がありました。
 この作家は、造形の根源を覗きたいという深い欲望を抱えているかのごとく、骸骨だったり、鍾乳洞だったり、少女だったりを、哲学的とも言える問いかけをもって投げかけてくるのです。
 そのため、見終わったあと、非常な疲労を感じました。



 帰りは六本木ヒルズから麻布に向かい、麻布十番商店街を冷やかし、疲労を癒すため珈琲をいただき、大江戸線の麻布十番駅から帰りました。
 疲れましたが、むしろ心地よい疲れで、充実した美術鑑賞だったように思います。

小谷元彦 幽体の知覚 Odani Motohiko Phantom Limb
小谷元彦
美術出版社


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ホキ美術館

2011年01月22日 | 美術

 小春日和に恵まれ、芸術に接したくなった私は、昨年11月に開館したばかりのホキ美術館に出かけました。
 場所は千葉市緑区あすみが丘です。



 ここは写実絵画の専門美術館ということで、写真と見まがうばかりの見事な写実絵画がこれでもか、と並んでいました。
 裸婦であったり、滝であったり、静物であったり。
 写実絵画に見慣れていない私には、新鮮な驚きでした。
 しかし、あまりに写実に忠実であるためか、そこから画家の意図なり思いなりを汲み取ることができませんでした。
 勉強不足を痛感したしだいです。

http://www.hoki-museum.jp/ ⇒ ホキ美術館のHPです。

 すぐ隣が昭和の森という広大な自然公園になっており、絵画に集中して疲れた神経を休めるため、しばし散策しました。
 アップダウンが多く、木々も豊富で、ここは千葉市内か、と疑うほど、自然豊かな公園です。
 早いもので、梅が咲き始めていました。



 長い一週間を終えて好天に恵まれ、ふらふらと出かけるのはこの上ない喜びです。
 これからもう一つの喜び、焼酎をいただきましょう。

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