このところ徴用工の問題で、日韓関係が最悪ですね。
私の職場には韓国人の研究者が何人もいて、彼らと一杯やったこともありますが、反日というのは日本でいう右翼のようなもので、韓国人のごく一部しかおらず、日本のマスコミが面白おかしく大きく取り上げているだけだ、と口をそろえて言います。
また、来日前は韓国人というだけでひどい差別を受けるかと思っていたら、全然そんなことはなかった、とも。
あちらではわが国の全員が嫌韓感情を持っているかのように報道されているようです。
お互い様、ということでしょうか。
一般庶民レベルではそれほど関係が悪いとは思いませんが、国同士となるとまた別なのでしょうね。
確かに私も、韓国人そのものに嫌悪感は持っていませんが、今回の韓国の判決はあり得ないと思います。
お隣同士、うまくやれないものでしょうかねぇ。
今日は9月11日。
現代社会を生きる者にとって、忘れられない日です。
2001年のこの日、悪夢の同時多発テロが起きました。
あの日、私は遅い夏休み中で、同居人が山寺に行きたいというので、山形旅行に行き、ちょうど帰った日でした。
東北はひどい台風で、山形新幹線が止まってしまい、山形からバスで仙台に向かい、仙台から東北新幹線に乗りました。
ひどく疲れてしまい、夜9時頃には、一人、床に着いたのですが、テレビを見ていた同居人から大変なことが起きていると、たたき起こされたのを思い出します。
惨劇の映像を見た時は、疲れも眠気も吹き飛びました。
旅客機が2機続けて高層ビルに突っ込むなんてあり得ないし、その後ビルが倒壊する映像も衝撃的でした。
映像は繰り返し流されましたから、多くの人の目に焼き付いたのではないでしょうか。
あれから、世界は変わりました。
国と国との戦争から、テロとの長い長い戦いが始まり、それは今も続いています。
いつ終わるのか、見当が付きません。
あるいは終わらないのかも。
それに先んじて、わが国ではオウム事件が起きており、死刑囚はすべて処刑されましたが、世界がテロとの戦いに突き進む露払いのような役割を、結果的に彼らは演じてしまったのかもしれません。
米国では銃の乱射事件が途絶えることがありません。
国家間の戦争と違い、利害を度外視しておのれの思想信条、もしくは欲望のために行う虐殺は、歯止めが効きません。
殺し合いが愚かなことだと口を酸っぱくして説いたところで、頭が凝り固まったテロリストの耳には届かないことでしょう。
また、テロリストを放っておくことは、国家として許されざる不作為になることから、国家もまた、戦いを続けざるを得ません。
永遠のループにはまってしまっているかの如くです。
私はただ、それら凄惨なニュースに接して、瞑目することしか出来ません。
私には何も出来ないし、究極のところ、米国大統領だって、根本的解決の方法など知り得ないでしょう。
いくらテロ組織を壊滅に追いやったところで、雨後の筍のごとく、奴らは生まれるのですから。
このような状況の中、私たちは生きていかなければなりません。
戦いの無い世など、所詮は絵に描いた餅なのでしょうか。
あぁ、はれ。
最近、自民党総裁選の話題を多く聞くようになりました。
前から不思議に思っていたのですが、この手の話になると、大手新聞やテレビ局なども含めて、どうして誰と誰が手を組んだの、負けたら徹底的に干されるだの、ゴシップみたいな話題ばかり垂れ流すんでしょうね。
総裁選立候補者の政策とか、当選者が誰かによって日本社会はこう変わる、とか言ったような、国民が知りたい情報を流してくれません。
知らないはずはないと思うのですが。
誰と誰が組んだとか、誰と誰は仲が悪いとかいう話は、面白いかもしれませんが、ほとんどどうでも良い、噂話のようなものです。
もっと実のある報道を願います。
私は昔から、高校野球、特に夏の大会が嫌いです。
勝っても負けても泣くし、なんだか根性論みたいなことをほざく解説者は出てくるし。
今年の夏は記録的な猛暑で、熱中症などで多くの死者が出ています。
テレビのニュースでは、小まめな水分・塩分補給と冷房の活用を繰り返し呼びかけています。
そして何より、野外での運動を避けることを強調しています。
ところが高校野球。
続々と各都道府県の代表が決まっていますが、この酷暑のなか、選手も、応援する人も、へとへとだろうと思います。
いくら若いとは言っても、死人が出てもおかしくない状況で大会を強行しようとするのは、無謀とさえ言えるかと思います。
中止するか、延期すべきでしょうね。
ていうか、春の大会だけやって、夏はやめてしまったほうが良いと思います。
夏に無理やりやるのは、教育上もよろしくありません。
無理して頑張るやつが偉い、みたいな誤った考えを子供たちに植え付けてしまうでしょう。
時代錯誤というか、旧日本軍っぽいというか。
同じことは、2年後に迫った東京オリンピックにも当てはまります。
今からでも、東京近郊の暑さを世界に訴えて、10月開催とかにすべきです。
大人の事情があるのでしょうが、夏にやるなんて馬鹿げています。
どんな暑さ対策を打ったところで、高が知れています。
前の東京オリンピックも10月でしたし。
マラソンなどで死人が出たり、死なないまでもバタバタ倒れる選手がでたりしたら、もう東京オリンピックは失敗です。
おそらく、死の大会とかなんとか言われて、国際社会に恥をさらすでしょう。
首都圏近郊に住んでいる者なら、8月に首都圏で大運動会をやるなど狂気の沙汰だということくらい、誰だって分かっています。
政治家のセンセイだって、オリンピック委員会のお偉方だって。
分かってて声を上げないのは、夏の高校野球は健康に悪いから止めようと誰も言い出さないのとよく似ています。
高校野球の夏の大会の中止と、東京オリンピックの開催時期を秋にずらすことを、強く求めます。
今日、オウム真理教の教祖、麻原彰晃(本名・松本智津夫)を含む、オウム真理教の元幹部7名を処刑したそうですね。
正直、驚きました。
処刑すれば、今も少なくない熱心な信者から殉教者扱いされてしまう惧れがあるため、死刑が確定したまま、何十年も執行せずに牢につないでおくのかと思っていたからです。
ちょうど、浅間山荘事件の確定死刑囚が処刑されないように。
法務大臣、重い判断を下しましたね。
しかも13人いる死刑囚の過半数に及ぶ7名を同じ日に処刑するとは。
私は死刑制度には絶対反対ですが、現行の法律が死刑を認めている以上、死刑が確定したならば、粛々と執行するのが、遵法精神というものでしょうね。
考えてみれば、キリストは磔にされましたし、日蓮聖人は佐渡に流されました。
新しい宗教の指導者が迫害されるのは昔から変わりませんが、オウム真理教に限っては、宗教弾圧とか言うものではありません。
そもそも新しい宗教なんてものではなく、テロ集団です。
しかし、今もその教えを信じている者から見れば、典型的、かつ徹底的な宗教弾圧に見えるでしょうね。
オウム真理教の施設に小鳥を持った大量の警察官が入っていくのをテレビで見たのは、20代後半の頃でした。
私は密かに北朝鮮が行ったテロなのかと思っていたのですが、まさかオウム真理教だったとは、と、驚きました。
当時はオウム・シスターズが象の帽子をかぶって踊ったりだとか、麻原のお面を被って踊ったりだとか、国政選挙に出たりとか、滑稽だけど憎めない、面白い連中としか見ていませんでした。
しかも高学歴のインテリが多いイメージでした。
そういう受験エリートがコロッといっちゃうんですから不思議です。
しかし、警察は知っていたのですね。
危険なテロ集団であることを。
地下鉄サリン事件からいくらも経たずに、オウム真理教の施設に家宅捜索に入ったのですから。
餅は餅屋、ということでしょうか。
今後も、宗教だかなんちゃらセミナーだかを装った奇妙は集団は現れるでしょう。
しかし、国家転覆を目指したオウム真理教ほど大規模な集団は、もう現れないかもしれませんね。
馬鹿げているというか、滑稽ですから。
文部科学省の現職局長が収賄で逮捕された、とのニュースが飛び込んできました。
私は文部科学省所管の機関で働いていますので、いやぁな気分です。
部下には綱紀粛正とかなんとか言って、自分には甘いのですね。
昔の官僚を彷彿とさせます。
しかも、収賄というのが、息子の東京医科大への裏口入学だったというから笑えません。
教育を担当する文部科学省の大幹部が裏口入学なんて。
わが子可愛さということなんでしょうか。
親馬鹿というか何というか。
裏から入って表から出れば良いとでも思っていたのでしょうか。
でもそんな医者に診てもらいたくないですねぇ。
今は捜査段階ですから、断定はいけませんが、この人、上司には従順で部下には高圧的だったそうです。
しかも、旧文部省出身者と旧科学技術庁出身者では、どちらかと言うと前者が要職に就く傾向があると言われるなか、旧科学技術庁出身ながら、事務次官間違いなし、と言われ、出世レースのトップを走っていたそうです。
出世志向で嫌なやつだったんだろうなと思います。
有罪になれば懲戒処分になりますので、高額の退職金はパーになり、天下り(最近は再就職とか言っていますが)もダメ。
身から出た錆とは言うものの、同じ業界に身を置く下っ端としては、憤慨せざるを得ません。
公務員人生の最後でつまずくとは、愚かな話です。
少し前のことになりますが、米国の大統領と北朝鮮の独裁者がシンガポールで会談を行いました。
朝鮮半島の非核化と、米国による北朝鮮への体制保障、ということが合意されたそうですが、結局、何も変わらないような気がします。
北朝鮮、これから核兵器を増産するのは止めるでしょうが、すでに完成した核兵器を手放すとは思えません。
また、米国が北朝鮮の体制を保障した、と言いますが、今までだって、べつに北朝鮮を武力で壊滅させようとか、デブの独裁者を暗殺しようとか、そんな噂はありましたが、実際には行動を起こしていません。
また、テレビなどで有識者と称する人々は、北朝鮮の出方を注視したいとか、北朝鮮は約束を守るとは限らない、とか言っていましたが、それを言ったら米国も一緒。
米国は北朝鮮が非核化を進めなかったら、それを口実に北朝鮮に攻め入るかもしれません。
米国の出方も注視し、約束を守るかどうか見極めなければなりません。
無理な要求を吹っかけて、戦争に突入するのは米国の常套手段。
その手で、我が大日本帝國もやられてしまいました。
私には、この会談は戦争への第一歩のように見えました。
米国は、力による解決を決意したように感じられて仕方ないのです。
米国のスター・バックスが8000もの店舗を休業にして、人種差別に対する研修を行ったそうですね。
店員が人種差別的な対応をしたことが問題とされたようです。
自由の国と自称しながら、米国は人種差別が根強いのだなと、実感します。
意外に思いますが、黒人やヒスパニック、アラブ系などよりも、アジア系への差別のほうが多い、という統計もあるそうです。
小中学校でイジメに関する調査をしたところ、白人で1割程度、黒人やヒスパニック、アラブ系では3割程度の子供がイジメを経験したことがある、と答えたのに対し、アジア系では54%に跳ね上がるんだとか。
うつ病になったり自殺したりする人の割合も、アジア系が明らかに多いそうです。
アジア系は黒人やヒスパニックなどに比べると、米国に移住し始めたのが遅く、そのため米国社会で確固たる地位を占めていないのかもしれませんね。
戦前の日系移民排斥や、戦中の日系人の強制収容、近いところでは、80年代以降、日本製の車や家電が米国市場を席巻し、主に経済的理由による日本人差別が顕在化しました。
今は亡き中村勘三郎も、公演のため米国を訪れた際、米国の警官から差別的な扱いを受け、激怒した、という話が残っています。
また、米国ではありませんが、学生時代、友人がヨーロッパを周遊する旅に出た際、ロンドンのタクシー運転手から英語の発音を揶揄された、と言っていました。
そういう話を聞くと、どんな国であれ、海外には行きたくない、と思ってしまいます。
わが国は、アイヌや沖縄など、もともと日本では無かった地域を抱え、単一民族国家ではありませんが、多民族国家でもありません。
米国などと比べれば、ほぼ単一民族国家と言っても間違いではないでしょう。
そういう国で生まれ育つと、人種差別というのものが、どうもピンときません。
戦中までは朝鮮人差別や中国人差別などが明らかに存在したそうですが、今となっては昔の話。
そもそも朝鮮人も中国人も、見た目は日本人と変わりません。
私の職場は、研究教育機関ということもあって、中国人、韓国人、米国人、ヨーロッパの人など、多くの人種が出入りしています。
分野の関係もあって、黒人は見たことがありませんが、そういう人々を一々差別していたら仕事にならないし、差別するような職員は皆無です。
浅草などに行くと、近頃外国人観光客であふれかえっており、これ以上来ないでくれ、と思いますが、差別感情というよりは、日本にはそれほどの受け入れ能力が無いと思うからです。
人間は、自分が属する共同体とは異なる文化、風習、風貌を持った人々を嫌い、差別する、ということから、どうしても抜け出せないようです。
例えば高校時代、同じ足立区の西新井と五反野に住む級友同士が、互いに相手の地元に関して悪口を言い合い、西新井・五反野戦争と呼ばれていました。
正直、江戸川区に住んでいた私には、両者の違いが分かりませんでしたが、ことほど左様に、地元意識と言うか、おのれの郷土を愛し、他を排する気持ちというのが強いのでしょうね。
しかし、世界は近くなりました。
異なる民族、文化、風習を持った人々と共生できなければ、人類に未来は無いでしょう。
悲しいかな、もう鎖国は出来ないのですから。
マレーシアでマハティール氏が92歳にして首相に返り咲いたそうですね。
お元気ですねぇ。
マハティール氏と言えば、30年も前でしょうか、ルック・イースト政策を推し進めた人です。
要するに、欧米とは距離を置き、イースト、すなわち日本を手本として経済発展を成し遂げようという政策で、それはある程度成功したものと思います。
失われた20数年を経た今のわが国を手本とするのは剣呑ですが、さて、今度はどうするのでしょうね。
老害と言われなければ良いですが。
一方、104歳のオーストラリアの科学者が、安楽死が認められているスイスまで行って、安楽死を遂げたそうです。
92歳と104歳では一回りも違いますが、対照的なニュースです。
これからわが国はますます高齢化が進み、100歳超えも珍しくない時代が訪れるでしょうね。
その時、年金と退職金だけで生きていけるのか、甚だ疑問です。
私は100歳超えを目指したいと思っていますが、年老いて極貧生活に陥るのはしんどいですから、せっせと貯金しなければなりませんが、生来、お金の話が苦手で、資産運用とかは全くダメです。
もっとも、運用するほどの資産など持ち合わせてはいませんが。
92歳で働くのも嫌だし、104歳で安楽死するのも嫌です。
安楽に生きるのが一番。
引退して健康で安楽な日々をおくるのが楽しみです。
麻生副総理、行政文書の管理に関する質問で、決裁について、「全文書を全部読んでいるかと言われると自信がない」旨の答弁をし、立憲民主党の枝野代表があきれ返っていましたね。
しかし、役所の世界では、中身を見ずに決裁の印を押すのはよくあること。
特に高い役職であればあるほど決裁文書は厖大になり、一々読んでいたら仕事が滞ってしまいます。
差別用語らしいですが、俗に盲判(めくらばん)などと呼ばれます。
そうはいっても、押印した以上、責任は決裁権者にあります。
中身を読もうと読むまいと、責任を取るのは押印した決裁権者です。
それなのに、馬鹿正直に「全部は読んでいない」みたいなことを言うのは反則です。
読んでいなくても、読んだ、と言い張らなければいけません。
私のような下っ端でも、下の者から上がってきた決裁文書を穴のあくほど読むことはありません。
決裁文書の種類にもよりますが、軽微なものは斜め読みだけで押印します。
そうじゃないと書類が溜まって仕方ありません。
役所に限らず、稟議制を取っている組織では多かれ久なかれそうなんじゃないでしょうか。
でもまぁ、本当のことだからこそ、それ言っちゃおしまいよ、って感じでしょうか。
50年前、1968年の今日、ベトナム戦争中にソンミ村虐殺事件が起きました。
これは、南ベトナムの米軍基地の周辺に潜むゲリラを掃討するための作戦の一環で、ソンミ村に派遣された、24歳の中尉を隊長とする小隊が、女性や子供、僧侶などの無抵抗な村民、500人以上を虐殺したものです。
中尉は終身重労働の判決を受けますが、時の米国大統領の命令で即日釈放。
結局誰も責任を取っていません。
中尉、軍法会議では上官の命令に従っただけ、と繰り返すばかりでした。
あのナチのアイヒマンは、上官の命令を忠実に実行しただけ、と弁明しましたが、処刑されています。
南京虐殺(諸説ありますが)にしたって、ソンミ村虐殺にしたって、あるいはナチの蛮行にしたって、結局どれも同じ心性から発していると思います。
上官の命令による裏付けのもと、狂気をはらみながらも冷静に多くの人を虐殺する、という。
戦時における民間人への蛮行や虐殺は無くなることが無いようです。
ベトナム戦争では米軍はゲリラに悩まされましたから、発覚していないだけで、他にも虐殺事件はあったのではないかと邪推してしまいます。
ゲリラに最初に悩まされたのは、日中戦争における日本軍であろうと思います。
それまでは、軍服を着た正規の軍隊と軍隊が戦う、というのがルールでしたが、民間人に紛れて、民間人と同じ格好をして、密かに武装し、突如襲ってくるゲリラが発生。
日本軍はそれら中国人ゲリラを便衣兵と呼んで大層恐れたそうです。
それは当然です。
いつ、どこから、男のみならず、女や子供が襲ってくるか分からないのですから。
それ以来、ゲリラは弱者にとって非常に有効な戦闘手段になりました。
現代社会を悩ますテロも、元をただせばゲリラ戦法に行き着くと思います。
人間には戦闘本能とでも呼ぶべきものがあり、矛盾するようですが、それは他者の心情に共感する、という能力に多くを負っていると思います。
ただし、他者と言っても、仲間にほぼ限定されます。
同じ村に住む者が隣村の者に暴行を受けたとします。
同じ村の者たちは結局は他者でしかない暴行を受けた者の心情に共感し、隣村に復讐のための攻撃を仕掛ける、という図式です。
他人の心情に共感する、というのは、人間の良い面であろうと思います。
それがなければ、共同体など成立し得ません。
しかし、復讐心や敵愾心など、負の感情に共感すると、それこそ進め一億火の玉だ、みたいになってしまいます。
共感力をコントロールする方法を見つければ、争いは減少するのではないか、などと夢想します。
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今日は北方領土の日、なんだそうですね。
昭和56年の1月に閣議決定されたそうです。
1855年のこの日に、日露通好条約が調印されたことにちなんでいるのだとか。
しかし一般的に言って、実効支配している国が領土を平和的に返還するということはあり得ません。
そのあり得ない奇跡が、沖縄返還でしょうね。
しかしそれは、米国軍の広大な基地という副産物を残しました。
米国にとってみれば、いざとなったら戦わずして撤退する、という選択肢も取れます。
なにしろ沖縄は米国領から外国になったのですから。
近い将来、北方領土問題が解決することは無いとは思いますが、万が一の奇跡を信じて、言い続けるしかありますまい。
かつてソ連邦の崩壊や、東西ドイツの統一など、誰も信じていませんでした。
しかし、それが成ってもう30年ちかくが経とうとしています。
この世に起こりえないことなどないと知れば、北方領土返還を言い続けるのも、必要なことなのでしょう。
最近、貴の岩への暴行問題が、変な方向に向かっているように感じます。
貴乃花親方の対応が一番悪い、みたいな論調が目立つようになってきました。
執行部の一員である理事として、相撲協会に報告しなかったことや、相撲協会の聴取になかなか応じなかったことや、自分の正しさをひたすら主張する態度などが、相撲協会から見ると面倒くさいやつに見えるようです。
面白いのは、マスコミやら相撲関係者と称する人やら、外部の人も、貴乃花親方を困った駄々っ子のように報道していること。
しかし、貴乃花親方は、最初から刑事事件として警察に届けたわけです。
このこと自体は、不思議なことではない、むしろ当たり前のことです。
暴行を受けて怪我をさせられれば、警察に被害届を出すのは、至極真っ当なことです。
また、警察に被害届を出した場合、被害者が、警察以外に何も語らない、というのも当たり前です。
「捜査中だからコメントしません」とか、「判決が出るまで何も話しません」という言葉に、私は違和感を感じません。
むしろ、組織の一員としてその組織にまずは報告すべき、というほうが、私には不思議な論理に思えます。
そんなことをすれば組織によってうやむやにされ、果ては看板力士である白鳳や日馬富士を守るため、なぁなぁで納めてくれ、と言い出す可能性が極めて大きいと思います。
弟子が受けた暴行は刑事事件であり、そのことをはっきりさせたいため、刑事告発し、裁判に持ち込むのが一番効果的だと考えたのなら、警察以外には何も話さないほうがよろしいでしょう。
組織の一員としての報告義務を怠った、と言いますが、それは報告することでこの問題を隠蔽されるのを怖れたからだとも言え、理事にそのような危惧を抱かせた協会及び理事長の責任をもっと厳しく問うべきです。
おそらく貴乃花親方は相撲関係者から見ると、相撲界の因習に染まらない変なやつに見えるのでしょう。
もう10年近くなりますが、私は職場のトップからパワー・ハラスメントを受けて精神障害が再発し、これを正すために、弁護士を立ててトップの非を攻めたてました。
しかしこの時、職場では陰に陽に、弁護士を立てることを阻止しようと、立てた後では取り下げさせようと、圧力を受けました。
その時よく言われたセリフが、「同じ職場の仲間じゃないか。行き過ぎた発言はあったかもしれないけど、大人の態度で穏便に済ませてくれよ」みたいなこと。
同じ職場だからこそ、第三者である弁護士を入れなければ、公正な話し合いが出来ないと考えただけなのに。
それらの、私に翻意を促す発言は、私に油を注ぐ効果しかありませんでした。
私をして、職場内で不利益を被ろうと、変人扱いされようと、徹底的にやってやる、と決意させたのです。
理は我にあり、という強い思いを抱きました。
それで結局、公文書による謝罪と和解金をせしめたわけです。
私は世の中を変えるのは変人だと思っています。
偉人と言われる人は、大抵変人でもあります。
貴乃花親方は偉大な変人であり、私もそうありたいと思っています。
相撲協会及びマスコミの報道などを見ていると、貴乃花親方の心情がよく理解できます。
被害を受けたのは自分の弟子であって、加害者に対し正当な罰を下してほしい、相撲協会内部の調査では、きっと揉み消されてしまう、というものだと思います。
私はふてぶてしいというか、駄々っ子のようなというか、あの堂々とした貴乃花親方の姿勢を全面的に支持します。
もし貴乃花親方に降格などの重い処分が出たなら、それを不服として別の裁判を起こして欲しいと思います。
なぜなら、少なくとも貴乃花親方は、自身の行動に間違いはない、と確信しているのでしょうから。
わが国で蔓延する、組織防衛のためには少々の悪は許される、みたいな、ムラ社会的な論理は、徹底的に破壊されるべきです。
まして相撲界なんて、ムラ社会の典型のような組織であるように見受けられます。
貴乃花親方には、信念を貫いてほしい、と切に願います。
その姿を見せることは、相撲協会のみならず、わが国全体を覆う、ムラ社会的な、ドロドロしたものを、多少なりとも浄化する作用があると、私は思っています。
今日は12月8日。
終戦の日の8月15日のように騒がれることはありませんが、忘れてはならない日です。
太平洋戦争開戦の日。
降伏を決めるよりも、開戦を決意するほうが重いような気がします。
開戦を間近にひかえ、総力戦研究所という機関が立ち上げられ、中堅どころの役人や軍人、民間人などが、模擬内閣を作って机上演習を行っています。
その報告書は驚くべきものです。
開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に日本の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能、という「日本必敗」、でした。
これは、ほぼ実際の戦争の推移を言い当てています。
気持ち悪いほど正確な未来予測です。
さすがに原爆の投下までは予測していませんが。
これに対し、東条英機は、机上演習に過ぎず、実際の戦争はそういうものではない、事実、誰が日露戦争の勝利を予想し得たか、と、一蹴し、この結果を口外してはならない、と釘を刺しています。
すでに過去を知っている現在の目から見れば、恐るべき正確さと冷静さで導き出された報告だということが分かりますが、報告書が出された時点ではあくまで未来予想。
これに反発したくなる気持ちも分かります。
ヒトラーはわが国と軍事同盟を結んだ際、我々は3千年間、外国との戦争に負けたことが無い国と手を結んだ!、と狂喜した、と伝えられます。
そのくらいですから、本邦の軍人や国民が、日本は戦争に負けることはない、と信じていたとしても不思議ではありません。
開戦のちょっと前に、冷静に、日本は必ず敗れる、という結論を導き出し、それを政府首脳に報告するのは、勇気が要ったでしょうね。
しかし少なくとも、わが国が狂気に駆られて戦争に突き進んでいったわけではない、ということの傍証にはなるでしょう。
必ず負ける、という報告を受けながら、それを口外するなと命令し、戦争に突き進んでいったという過去を、肝に銘じなければなりません。
今後訪れるであろう戦争の危機を回避するための教訓になるでしょうから。
![]() |
昭和16年夏の敗戦 (中公文庫) |
猪瀬 直樹 | |
中央公論新社 |
北朝鮮、またミサイルを発射しましたね。
どういうつもりなんでしょうねぇ。
これでは米国は本当に武力行使という選択肢を選ばざるを得ません。
まさかガチンコで米国と戦う気などあるとも思えませんが。
核大国幻想を抱いてしまっているんですねぇ。
もう手が付けられません。
時あたかもわが国では改憲論議が本格化しようとしています。
自衛隊を明記するんだとか。
当たり前すぎて、今まで書かれていなかったのが笑えますが、米国が憲法を作ったときは、大日本帝国の悪夢が鮮明だったため、全議員の3分の2で発議、というほとんど不可能な条文を加えてしまったのだから仕方ありません。
しかしまぁ、よくも外国人が作った憲法を後生大事にいじらずに来たものです。
西暦701年に制定され、形式上だけ、明治維新まで生きていたという、養老律令を思い出します。
わが国は古くなって時代に合わなくなった法律を、とくだん手直しもせずに放っておくのがお好きと見えます。
しかし改憲が成れば、その最大の功労者は北朝鮮のデブ、でしょうかねぇ。