ロシアによるウクライナへの侵攻、まだ終結する気配はありません。
ロシアはウクライナのNATO加盟を許すまじと侵略を始めたわけですが、ジョージアとかフィンランドとか、今までNATO加盟の意志を示してこなかったロシア周辺の国々が、大慌てでNATO加盟を求めていると聞きました。
NATOに加盟していれば、侵略された際、共同で防衛してくれるでしょうから。
おそらくプーチンは、ウクライナのごとき小国は、ロシアのような大国に攻撃されれば、ひとたまりもなく降伏すると思い込んでいたのではないでしょうか。
甘い。
ウクライナは言論の自由があり、民主的な国家です。
そのような国は、全体主義的、権威主義的な体制に組み入れられるのを嫌います。
まして今は情報革命の真っ最中。
新聞やテレビのニュースよりも早く、SNSで動画付きの情報が得られます。
そこにはフェイクニュースもあるでしょうが、多くは本物と見て良いのではないでしょうか。
世界は最前線の動画を見ることができ、そこで何が起きているか知ることができます。
いくらロシアやその友好国が情報を遮断したところで、他の国々にまでそんなことをすることは出来ません。
私には、プーチン政権の終わりが始まったように思えます。
よそから攻められれば、自国を守るために必死で戦うでしょうが、攻める側には大義もなければ戦闘意欲もないでしょう。
西側諸国をはじめとして多くの国々がロシアに対して制裁を課しています。
欧米諸国が参戦すれば、第三次世界大戦になってしまうので、そのような選択肢はないものと思いますが、制裁は苛烈を極めていくことでしょう。
そしてロシアが干上がってしまえば、ロシア人はプーチン政権の打倒を求めて立ち上がるものと思います。
日曜日。
同居人は今日も実家で義母のお世話。
大変です。
私はひとり、寅さんのDVDを2本借りてきて、しばし、笑い転げました。
最近、寅さんばかり観ています。
寅さんをはじめ柴又の人々の切れの良い江戸弁も爽やかで、耳に心地よい。
失恋しては旅に出る寅さんの姿には哀愁が漂い、何度観ても飽きさせません。
すでにシリーズの全てを観ていますが、つい、2回、3回と借りてきてしまいます。
明日からの仕事を思うととてつもなく憂鬱になりますが、これが勤め人の辛いところ。
寅さんのような渡世人には渡世人の辛さがあるごとく、勤め人には勤め人の辛さがあります。
わずか48時間前、金曜日の夜には格別の解放感を覚えますが、日曜日の夜はその真逆。
48時間前に戻りたいと毎週思います。
会議資料の作成、会議のお世話、印刷物の作成、そして年度末の予算の管理執行、わずかばかり狂気じみた職場の人々。
どれも辛いことばかり。
世のサラリーマンがみな同じ思いをしていると自らを慰めてみても、他人が辛いからといって自分の辛さが軽減されるわけではありません。
思えば就職して30年、時代は悪い方へ悪い方へと向かっていきます。
就職して10年ばかりは景気が良かったのですが、もうダメです。
バブルがはじけてから給料は上がらず、人員削減で一人一人の仕事が増え、メンタルをやられる者も多くいます。
私が学生の頃、バブルで浮かれる人々は、最強の通貨となった円を握りしめて海外旅行を楽しみ、我が日本国は永遠の繁栄を続けるのだと信じていました。
私も円を頼みに海外へ出かけ、面白おかしい旅行を味わったものです。
それが今では、わが国は貧しい国へと落ちつつあります。
栄枯盛衰は人の世のならいとはいうものの、落ちていく感じが気持ちを沈ませます。
そんな時だからこそ、高度経済成長期からバブルの頃までを舞台にした「男はつらいよ」というシリーズに、郷愁を感じるのかもしれません。
今朝は珍しく早朝4時に目が覚め、もう眠れませんでした。
土曜日で気分が上がっているせいかもしれません。
5時には早くも朝飯を食いました。
卵と納豆で白飯をたっぷり。
平日は朝コンビニに寄ってサンドウィッチを購入し、職場で食すことが恒例になっていますから、白飯の朝食は休日にのみ許された贅沢です。
その後8時に内科に行き、コレステロールを下げる薬をもらいました。
帰宅後、ソファでウトウトとしてしまいました。
さすがに4時起きは早すぎたようです。
BSで山本五十六と軍縮会議のドキュメンタリーを鑑賞。
山本元帥、日米開戦を阻止しようと努力しながら、結局は真珠湾攻撃の中心人物になってしまったという悲劇の海軍軍人です。
この番組を観るかぎり、海軍は軍縮交渉を受け入れるべきだとする人々が次々に予備役(事実上の首)にまわされたり左遷されたりするなかで、山本元帥だけが海軍内部で出世していったそうです。
山本元帥、忍び寄る日米開戦の足音を聞きながら出世していくことに、忸怩たる思いを抱いていたのではないでしょうか。
山本元帥は米国と戦えば、2年くらいは太平洋を舞台に日本海軍は大いに暴れて見せるが、その後は彼我の生産力の違いから劣勢に立たされ、敗戦は必至だと考えていたようです。
敗戦を見たくなかったのか、あえて激戦地に飛行機で赴こうとし、撃墜されて戦死してしまいました。
元帥は戦後の日本がどうなるか、考えていたのでしょうか。
ヒトラーは敗戦必至となった終戦間際、軍需大臣のシュペーアから敗戦後のドイツをどうするかを問われ、「戦後などない」、と応えたそうです。
千年王国を目指して戦い、それが叶わないと悟った時、ヒトラーはドイツ全土の建築物やインフラを破壊するように命令しました。
敗れたドイツ国民に生きる資格は無く、千年王国の夢とともに滅ぶべきだと考えたのでしょうね。
幼稚な考えです。
幸いにして、シュペーアはドイツ全土を自ら焦土と化す愚かな命令をサボタージュし、もって戦後のドイツ復興に寄与したそうです。
ベルリンの総統地下壕が陥落するまで戦い続けたドイツですが、戦後は確かに存在しました。
我が大日本帝國で言えば、皇居や首相官邸が落ちるまで戦い続けるようなもので、本土決戦を回避したおかげで、そんな悲惨な目には会わずに済みました。
米国は、大日本帝國は必ずや本土決戦を選択し、その結果100万人の米軍将兵が戦死すると試算していたようです。
本土決戦もやらずにポツダム宣言受託を決心した帝國に拍子抜けするとともに、安堵したことでしょう。
帝国は空襲でひどい被害にあいましたが、ドイツや沖縄の例を見るまでもなく、地上戦は悲惨です。
それこそ国が亡ぶようなものでしょう。
しかし帝国は、戦後の復興を信じていました。
そこがナチとの大きな違い。
大日本帝國はナチが信奉した国家社会主義のような理念を持ちませんでしたから、当たり前と言えば当たり前です。
戦後など無いと言い張った独裁者を持ったドイツ。
独裁者など存在せず、単に主戦派の主張が通っただけで開戦に踏み切った大日本帝國。
独裁者など存在しなくて良かったと思います。
東条英機も戦中に総理大臣を辞めていますし。
考えてみれば、明治維新以降、わが国に独裁者が存在した試しがありません。
主権は天皇にありましたが、事実上は君臨すれども統治せず、というスタンス。
現在、ロシア軍によるウクライナ侵攻が迫っていり、中国軍による台湾攻撃が論じられたりしています。
国家というもの、よほど戦争がお好きなようです。
しかし軍事力によって他国を侵攻するなど、もはや許されないし、そういう時代は過ぎました。
時計の針を戻すような行動は成功した試しがないし、今後ともそうでしょう。
中露両国におかれては、自重を強く求めたいと思います。
昨日、12月25日でソビエト連邦崩壊からちょうど30年だそうです。
ゴルバチョフ大統領が辞任した日。
私は大学4年生で、近づく就職に恐怖していました。
ソ連の崩壊、驚きましたねぇ。
ソ連はかのレーガン大統領から悪の帝国とまで呼ばれ、共産社会に君臨していました。
当時は米ソの冷戦が激しく、まさかその一方が崩壊にいたるとは思っていませんでした。
ソ連崩壊は、米国の封じ込めによる結果だとする論や、構造的な問題、つまり共産社会という全体主義的な体制は、そもそも長持ちしない、とする論、あるいはゴルバチョフやエリツィンによる政策的な誘導によるとする説、色々飛び交いました。
その正否は歴史学者に任せるとして、私は単純に、あれほど強固に見えた体制が、わずか70年ばかりで崩壊してしまうという冷厳な事実に、ただ世の無常を感じるばかりでした。
欧州にはソ連の衛星国家とも言えた社会主義国家は存在しなくなり、今は中国や北朝鮮、ベトナムなど、アジアに見られるだけになりました。
特に中国は、その人口の多さと軍事的、経済的な力によって、米国をも脅かす超大国に成長を遂げました。
その事実を見るとき、少なくとも現時点では、ソビエトを始めとする共産国家が構造的な問題で崩壊したとまでは言えないと思います。
もし構造的な問題なら、天安門事件の時に、中華人民共和国は崩壊への道を歩み始めたのではないでしょうか。
欧米諸国は単純に中国を責める言説を繰り返しており、わが国もそれに倣うべきだという意見が聞かれます。
それは多分民主主義国家としては正しい態度なのでしょう。
しかしわが国は中国とあまりにも地理的な距離が近い。
下手を打つと簡単にやられてしまいます。
必ず米軍が駆けつけてくるとは思えません。
米国だって無駄な血は流したくないでしょうから、まずは自国の防衛は自国でなんとかする覚悟を持つのが肝要かと思います。
最近は今にも赤い大帝国が台湾に攻め込むのではないかという報道を目にします。
その時、米国や日本はどうすれば良いのでしょうね。
それは起きてみないと誰にも分かりません。
過去の出来事を振り返ってみると、起きるはずがないと思えることが、何度も起きてきました。
古くはテロ事件を端に発するとしか思えない大化の改新。
新しくは太平洋戦争の敗戦による大日本帝國の崩壊。
ソ連崩壊のような出来事がアジアでも起きるのか、あるいは半永久的にアジアにおいては共産国家が繁栄を極めるのか。
私は120歳までも長生きして、その行く末を見届けたいと願っています。
昨日は日米開戦の日だったのですね。
忘れていました。
真珠湾攻撃から80年。
日本の国の在り様は変わりました。
しかし、大日本帝国臣民も、日本国民も、本質的には変わっていないと思います。
昭和50年代でしたか、昭和陛下が米国を訪れた際、米国の記者に「戦後、日本人はどう変わったか」と問われ、「何も変わっていない」と答えて米国人記者を唖然とさせたとか。
大戦とはいえ、一度負けたくらいで国民性が変わるはずもありません。
これからも変わらないでしょう。
最近、5080問題という言葉を耳にする機会が増えました。
50代の引きこもりを80代の親が面倒を見ている、という状態を指す言葉だそうです。
20年くらい前までは、引きこもりというのは若者が多く、若者の問題として語られていました。
しかし、長く引きこもっていれば、若者は中年になるに違いなく、当然予測しえた事態です。
そもそもある一定の年齢になれば引きこもりから脱することが出来る、と考えるのだとしたら、それは頭にお花が咲いている人でしょう。
引きこもりは長引けば長引くほどそこから脱することが困難になりますから、20年、30年の長期にわたることになり、ついには死ぬまで引きこもり、ということになるのだと思います。
5080問題は数年で6090問題になるでしょうし、親が亡くなれば引きこもりの孤独死、それも餓死などの悲惨な末路を遂げること必定です。
しかしこれ、政治や行政がいくら頑張っても解決しないでしょうね。
引きこもっている当のご本人が行政の支援を受けて働こうなんていう気がないでしょうから。
私はかつて職場ストレスがもとで長期病気休職に追い込まれましたが、リワーク・プログラムに通うなど、復帰への道を本気で探っていました。
そしてそれは成功したわけです。
そんな風に、本人がその気にならなければ引きこもりからの脱出は難しいでしょうね。
親が亡くなっても葬式にも参列せず、社会人経験が無いか、あってもごく短期間であるがゆえ、遺産相続などの手続きも満足に出来ず、生活に困り果てる、そんな事例が実際に起きているそうです。
引きこもりという現象、私の個人的な考えでは、まず自分が傷付きたくないこと、さらに、他人を傷つけたくないこと、この2点が主な原因ではないかと考えます。
もちろん、親子関係とか、友人関係とか、学校や職場への不適応など、様々な問題が複雑に絡み合っているのだろうと思います。
しかしその底の底には、傷付きたくない、傷付けたくないという気持ちがあるのではないでしょうか。
深夜、コンビニに行くことすら蛮勇を奮わなければできない、もしくは奮ってもできない、そういう状態はさぞかし辛いだろうと思います。
個別具体的には様々でしょうが、大きな目で見ると、この問題の根本的解決は不可能だと思います。
大人になれない50代、そしてその親、どうしたらいいんでしょうね。
私には解決策が見えませんが、とりあえず生活保護の申請を、対面ではなく、ネットのみで出来るようにするとかいったことが必要なのではないでしょうか。
もう30年以上昔の話です。
某国に、にわかに大きな勢力となった新興宗教が存在しました。
その教祖は、人類滅亡の日は近いと説き、しかもその日は何年何月何日と、明確に予言したのです。
その日はわずか数年後に迫っていました。
信者たちは恐れおののき、しかしその宗教を信じている者だけは救われて、永遠の安寧を得られると確信したのです。
多くの一般の人々はそんな彼らを、嘲笑いました。
そしてその日が来ました。
何も起こるはずがありません。
人々は飯を食って糞を垂れ、学校や会社に行きました。
それでも、信者たちは、その瞬間が起こるのを心待ちにしました。
何事もなく、その日は終わりました。
信者たちは深い絶望を味わったことでしょう。
しかし本当に深い絶望を覚えたのは、彼らを嘲笑った一般の人々であったに違いありません。
かく言う私もその一人。
私が大学生の頃の話です。
新興宗教は瓦解し、教祖は行方知れずになりました。
信者たちはどうしているのでしょう?
もう30年以上昔の話です。
金曜日、終業を迎えましたが、もう一つ、心が晴れません。
明日、土曜日が、朝一番で内科の診察、夕方は精神科の診察と、病院の梯子をしなければならないこと。
それ以上に、明後日、日曜日は休日出勤を命じられていること。
週末らしい余裕がありません。
幸い、11月3日(水)が文化の日でお休みなので、それだけは良かったと思います。
なにしろ10月31日(日)の振替休日はもう取ってしまいましたので。
文化の日、明治天皇の誕生日ですが、なぜ文化になったのか、寡聞にして知りません。
戦前は天長節と呼んでいたそうです。
皇室といえば、小室圭氏と無事結婚された眞子さん。
かなり異例というか、いびつというか、儀式の一切を行わずに結婚してしまいました。
二人で開いた記者会見、なかなかに刺激的で、多くの皇室ファンを落胆させたのではないかと思います。
こうであってほしい皇族の結婚とはおよそかけ離れたものでしたから。
私はかねてよりの天皇制廃止論者。
人間に高貴な血を認めれば、必ず、下賤な血を認めなければならず、ましてや皇族から生存権以外のほとんどの権利、社会権等を奪わなければ成立し得ない制度など、とっとと止めてしまえば良いのにと思います。
宮内庁や皇宮警察、その他皇室に関わる経費は年間200億円にも上ると聞いたことがあります。
もったいない。
これを無駄遣いと言うのです。
しかし、国民の8割強が天皇制を支持している現状では、これを維持するしかありませんね。
今日は先週の日曜日に出勤したため、その振替でお休みでした。
しかし、平日に休むとメールがたまるので、ちょいちょいメールの確認をしました。
そうしたところ、どこかのおじいちゃんから無理目の要求をする面倒くさいメールが届いていて、メールで関係各所に根回しをし、おじいちゃんに返信しました。
国立の学術機関が行っている若手の研究者に対する指導を、市民大学か何かと勘違いして問い合わせをしてくる、主にお年寄りが時折います。
面倒なことです。
結局、振替休日のはずが、在宅勤務みたいになってしまいました。
10月31日(日)も、某重大会議のため、出勤を命じられています。
選挙の日です。
私が住む選挙区は、小選挙区が自民1、立民1の二人だけが立候補しており、一騎討となります。
かつての民主党政権の悪夢を鮮明に覚えているうえ、共産党と閣外協力すると言うに及び、政権交代は絶対に避けなければならないと思い、期日前投票に出かけ、自民党の候補者に投票しました。
それ以外は特に何もせず、なんとなく心が休まらない、つまらない休みになってしまいました。
人生100年時代という言葉を耳にします。
そこまではいかないだろうと思っていました。
しかし、総務省の調査によると、2050年には100歳以上の人口は50万人以上になるそうです。
2050年というと、生きていれば私は81歳。
そこからさらに20年もあるとは信じられないことです。
元気な100歳なら嬉しいかもしれませんが、満身創痍みたいになって、やっと生きているなんていう状態になるなら、適当なところでお迎えが来てもらったほうが良いように思います。
人生100年時代は、当然、少子高齢化の結果として現れます。
現役世代が減少し、ご隠居が増えるわけですから、年金は減少し、長く生きる分貯金も底をつき、生きるに生きられない、ということも有り得ると思います。
で、簡単な解決方法は、老人にも働いてもらうということ。
現在、60歳が定年で、65歳まで再雇用、という組織が多いと思います。
これを5年なり10年なり伸ばせば、少子高齢化による問題の多くが解決できる、と総務省は考えているようです。
しかしこれは、なぜ定年退職というものが存在するのかを考えない、いわば机上の空論とでも言うべきものです。
年を取ると体力が落ち、病気にもなりやすくなり、記憶力等が低下し、気力もなくなり、使い物にならなくなる可能性が高いので、そうなる前に引退していただく、というのがその趣旨であろうかと思います。
もちろん、ポストを譲ることも含め、後進に道を譲るという意味もありましょう。
高齢にいたってなお働くというのは高齢者本人にも辛いだろうし、現役世代だって、迷惑に感じるのではないでしょうか。
現在52歳で現役世代の私ですら、左目がほとんど見えなくなったり、高血圧になったり、高脂血症になったりしています。
疲れやすくなり、残業がほとんど出来なくなりました。
正直、現在の定年である60歳まで持つのかどうかも心配です。
しかも60歳はゴールではありません。
おそらく私が60歳を迎える頃には、定年は65歳になっているのではないでしょうか。
懲役38年だと思っていたのが、懲役43年になってしまうなんて、ひどい話です。
真面目に働いた結果が刑期延長とは。
ただし、サラーマンという懲役は、自らの意志でいつでも出所できます。
出所した途端、生活が破綻するという事実を受け入れれば。
生活の破綻を免れるために、多くのサラリーマンは刑期を終えるまで、お勤めを辞めようとしません。
昨年度、58歳の先輩が早期退職しました。
早期退職すると、退職金に色を付けてくれます。
それで早期退職に応募して認められたわけですが、思い切ったことをしたものだと感じます。
少々退職金を上乗せされたところで高が知れています。
なんでも完全引退して、今後一切働かないそうです。
うらやましい話です。
宝くじにでも当ったのでしょうか。
そうかと思うと、管理職が定年を迎え、再雇用を希望して、収入は半減し、役職をすべて失って新聞の切り抜きくらいしかやることがない、という状態も、楽と言えば楽ですが、居心地は悪そうです。
結局私が望んでいるのは、一秒でも早く楽隠居したいということ。
生活費の心配が無ければいつでも隠居できますが、そこはうまくいきません。
人間なんて勝手なもので、少子高齢化がどのような顛末を迎えようと、私一人が被害を被らなければ、どうでもよいというのが偽らざる心境です。
岸田新内閣が発足してから株価が下がっただの、変わり映えしないだの、早くも良い話がありません。
しかし、まだ何の仕事もしていないのですから、もう少し長い目で見なければなりますまい。
岸田新内閣発足については、自民党支持者の中でもがっかりしたという声を聞きます。
私は選挙前から、他の3人よりはマシという弱い岸田氏支持でしたが、確かに地味ではあると思います。
政策に強いが政争に弱いということで、お公家集団などと揶揄され続けてきた宏池会の会長らしいと言えばらしいですね。
池田勇人以来、大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一と総理大臣を輩出し、岸田新総理で5人目だそうです。
池田総理は生まれる前の方なのでもちろん記憶にありませんが、大平首相からは記憶があります。
大平首相は私が小学生の頃に在任し、会話や演説などの際、やたらと「あー」とか「うー」とか言うので、「あーうー宰相」なんて言われていました。
しかし、政治記者によると、「あー、うー」を取ると、直しようがないほど完璧な文章になっていたというから驚きです。
鈴木善幸という人は特徴が無かったのか、あまり記憶にありません。
宮澤喜一はよく覚えています。
私が大学生の頃の総理です。
嫌味なほどインテリ臭が漂う人でした。
当時のクリントン大統領に上から目線で「よく勉強していらっしゃる」なんて言っていましたね。
そしてこのたびの岸田総理。
どんな仕事をして、どんな風に印象に残っていくのでしょうね。
正直、権力闘争に自ら望んで突入していく人の気がしれません。
なんだか虚しいような気がします。
見ている分には面白いのですが。
今日は台風で千葉県北東部は大荒れの天気。
よっぽど休もうかと思いましたが、今日が締切の調書があったので、やむを得ず出勤しました。
午前中になんとか仕上げ、早退しようかと思っていた矢先、職場から退勤命令が発出されました。
私にとっては都合が良いタイミングでした。
しかし、雨風が相当ひどくなってからの退勤命令。
ちょっと遅すぎるような気がしました。
私は車通勤なので問題ありませんが、電車通勤の人は駅まで歩いただけでずぶ濡れでしょうね。
それはともかく。
自民党総裁選、岸田候補が勝ちましたね。
決選投票、圧勝と言ってよいでしょう。
私はかねてより、岸田候補が一番良いと思っていました。
それは他よりマシという意味で、強く支持していたわではありません。
リーダーシップが感じられませんし、古いタイプの総裁候補だと思っていましたので。
しかし、河野候補は傲慢な感じと、言うことが変わるのが嫌でした。
高市候補では右に振れすぎているのが危ない感じでした。
野田候補はほぼ泡沫候補と言ってよく、論外でした。
岸田候補は消去法で選ばれたのではないかと思います。
いずれにしろ、3年間はこの人が総理・総裁を務めるわけです。
コロナ、中国、台湾、アフガニスタン、長い経済の低迷、憲法改正、難問ぞろいです。
どんな風に政権をうんえいするのか、お手並み拝見といったところでしょうか。
9月11日。
嫌でも思い出します。
米中枢同時テロ。
旅客機でニューヨークのビルに突っ込むなど、誰が想像し得たでしょう?
まして2機も。
遅い夏休みを取って山形旅行に出かけ、帰ってきた晩の出来事でした。
疲れて早寝した私を、テレビを見ていた同居人がたたき起こしました。
大変なことが起きている、と。
テレビは旅客機が突っ込む映像を繰り返し流し、ついには高層ビルは瓦解したのでした。
戦争にも自然災害にもあわずに呑気に暮らしていた私は、言いしれないほどの恐怖と衝撃を感じました。
その後ブッシュ大統領はテロとの対決を掲げ、アフガニスタンに介入し、さらにはイラク戦争を引きおこしました。
ビン・ラーディンを殺害して遺体を海に投げ捨て、イラクのフセイン大統領を処刑しました。
ここで止めておけば良かったものを、テロ後20年にわたってアフガニスタンでの戦争を続け、このたび匙を投げたのか、米国はアフガニスタンから撤退してしまいました。
20年も戦争を続けたことも、アフガニスタンを見捨てたことも、米国の失政としか言いようがありません。
アフガニスタンに残されたのは、タリバンによる、おそらくは恐怖政治。
20年たっても、イスラム過激派を駆逐することは出来ず、多くのテロリストは今も米国とその同盟国を虎視眈々と狙っていることでしょう。
わが国もいつ標的にされるか分かりません。
悲しいかなわが国は、軍事的には米国の言いなりですから。
思えば20年前、世界は冷戦終結から約10年の、いわば夢の世界でまどろんでいたと言えるでしょう。
甘美な夢からたたき起こしたのは、共産主義でも国家主義でもなく、どれだけの力を持っているのか誰にも分からない、テロリスト達でした。
世界平和という夢は、過去いつもそうであったように、潰え去ったのです。
あれから20年。
当然ですが、32歳だった私は52歳になりました。
生まれた子供が成人するほどの長い年月です。
それでも、タリバンもISも相変わらず強い力を持っています。
国家間の戦争と異なり、テロリストは参りました、と言うことがありません。
どれだけのテロリストを殺害し、アジトを破壊しても、彼らは必ず生き残り、再び力を蓄え、牙をむくのです。
この厄介な存在を駆逐することは不可能で、だからこそ米軍は撤退の決断をしたのでしょう。
今後、アフガニスタンはどうなるのでしょう。
タリバンは、イスラム法の範囲内で、女性の社会参加や自由を認める、と言います。
イスラム法の範囲内なんて、解釈しだいでどうにでもできます。
私たち自由主義国家に暮らす者が当たり前に享受している自由や民主主義。
しかしこれらは、普遍的価値ではあり得ません。
北朝鮮やレッド・チャイナ、ミャンマー、名前すらわからないアフリカ等の独裁国家。
これらの国々にはそれぞれの正義があって、それを私たちの価値観で断罪することは出来ません。
価値観の押し付け合いなど、無駄な努力です。
当然、私たち庶民にはどうすることもできないし、総理大臣にだってできません。
アフガニスタン撤退で、米国大統領ですらどうにもできないことを見せつけてしまいました。
世界は混沌としたままです。
政治家は知りませんが、私たち庶民は、ただ祈ることしか出来ません。
それも深いため息とともに。
このブログで何度も紹介した、我が家の目の前にあるイタリア料理のお店、今週末で閉店することになりました。
18年間、よく頑張りました。
常連客も増え、順風に見えたのですが、貸し切りのパーティーが全く無くなってしまったのが相当痛かったようです。
特に夜の。
コロナによる閉店、近所では初めてです。
土曜日は必ずと言っていいほど通っていたのですが、本当に残念です。
シェフはこれからの見通しは立っていないと言っていました。
ただ、開ければ開けるだけ赤字になるような状態では、とても店は続けられない、と悔しそうに話していました。
昼はそこそこ客がいたのですが、この有様です。
夜の営業でしか食えない、居酒屋やバーの現状は推して知るべしでしょうねぇ。
今のご時世、テナントは空いたままになるんでしょうね。
コロナの脅威が近付いていると感じさせられます。
昼休みにネットでニュースを見ていたら、菅総理が自民党総裁選挙に立候補しないことを表明した、との一報が飛び込んできました。
驚きましたねぇ。
最近の支持率急落やコロナ対策の失敗等で、厭になっちゃったのでしょうねぇ。
もともと安部総裁の残任期間だけのリリーフみたいな気持ちだったのでしょうか。
いずれにしろ、総理大臣の器ではなかったということでしょうね。
これから続々と立候補に名乗りを上げる大者、小者が続出するでしょう。
自民党の党員、党友ではありませんが、面白くなってきました。