長いこと愛用していた炊飯土釜のふたが割れた。手荒に扱ったわけでもなく、つい落とした、ってわけでもない。いつもの通りふたを開けて、横に置いたら、ぱかんと割れた。なんと潔い割れ方なんだ。きっと、俺の寿命はここまでだぜ、これ以上こき使うな、って意思表示なんだろう。まっ、980円で買った超廉価品、よく働いてくれた、と、丁重に葬ってやりたかったが、こっちにも事情ってもんがある。苦しい経済状況、たとえ数千円と言えども、出費は避けたい。
で、瞬間接着剤で応急手当の延命措置を試みた。湯気に当てられる過酷な環境で、果たして接着剤ごときで立ち向かえるのか?の不安は杞憂だった。治療から半年、ここまで健気に役割を全うし、日々の役割を果たしてきたのだが、さすがに寄る年波に逆らえず、またもや、破断!こりゃ、いくらなんでも、ここが寿命、諦めて土に戻っていただくしかないな。
と、なると、後継者だ、問題は。
980円でもそこそこ満足行く仕事をしてくれてたんだ、最安品を見繕えばいいんじゃねえか?今、流行りの「身の丈」ってやつだぜ。さすがに1000円切りは見当たらないが、2000円前後だと、星の数が多い製品もある。萬古焼のものなんて、ずいぶん、高評価もらってるぜ。うん、ずんぐりむっくりの見栄えも悪くない。もちん、萬古の色合いも品がある。よしっ、これに決めた、なんたって、安いし!
が、待てよ。吹きこぼれ注意って書いてあるぞ。それはまずいぜ。年寄り一家だ、ついうっかりは日常茶飯事、付きっ切りでご飯番なんて無理。うーん、ここはやっぱり中ふたありのものが無難だ。と、なると値段もワンランクアップだ。ここは考え所だ。老い先短い身としては、これが最後のご飯釜だろう。いや、そこまで持って欲しい。しかも、せっかく無農薬、無化学肥料、天日乾燥で作ってる米、食べるんだ。米の質の高さを殺いで食ってるなんて、罰当たるぜ。
ここは一つ、大奮発!ベランダから飛び降りる覚悟で、有名ブランド品を所有することにしようか。
長谷園のご飯釜!これよ、これ。
米が粒立つと評判の高級土鍋だ。なんと、他の釜ども、有象無象を圧倒して10000円という大台突破製品だ。でもなぁ、そんだけの価値あんのか?有名料理人の言葉に騙されてるだけじゃないのか?5倍の価格格差なんて本当に見合うのか?ご飯なんて炊けりゃいいんじゃねえか?飯なんて食えりゃ上等よ。いやいや、もはやカウントダウンに入った人生終末期、せめて日々のご飯くらい贅沢に味わうってのもありだろう。
なぁんて、うじうじと2000円と10000円の間を行きつ戻りつしつつ日を過ごして、翌日、ええいっ、買っちゃえ!長谷園!
重っ!!届いた段ボール、5キロはあるぜ。たかが土鍋がなんて身の程の知らずの重さなんだ。開けてみれば、なぁに、素焼き陶板の鍋敷きまで付いてる。いるか?こんなもん?田舎にゃ鍋敷き用ま木っ端などいくらだってあるんだぜ、ってのはこっちの事情か。実際、使ってみると、かなりの高温になるし、しかもその温度がなかなか冷めない。テーブルに直置きしたら、木なら焦げるし、デコラなら溶けること間違いなしだ。釜も存分に重い。底が3倍くらいの厚さがある。この容量が熱を溜めるっとことなんだろう。驚くことに、炊きあがったあとの蒸らし20分!そうか、これだとたしかにな、素焼き鍋敷きも必需品だわ。
なんか、炊き方も難しいこと言ってるぜ。米の研ぎ方から水切り時間、足す水の量、火の加減、そして蒸らし。細かく一覧表になって取説に掲げられている。美味いご飯食いたいなら、このくらいの手間は当然ですよ、って窯元の蘊蓄面が目に浮かぶ。おっと、すぐには炊けない、だとぉぉぉ?お粥さんを炊いて、土釜の気泡をご飯糊で埋めるんだと。使い終わった後も、そのま食べ残しを入れておくなと、とか、洗ったら、逆さにして乾かせ、とか、濡れたままで使うな、とか、いちいちうるせえんだよ。
が、まあ、最高級品だ、機嫌を損ねるわけにもいかん。命じられるままに、炊いてみた。初釜、違うか、意味が。
ふたを取る。漂う香り、輝く米粒、おおっ、たしかに古米のものとは思えんぞ。米粒、一粒一粒がしっかと独自性を保っていて、軟弱に堕することがない。しかも、噛めばほどよい歯ごたえを残しつつ口どけする。そうか、これがご飯が粒立つってことだったんだ。うん、たしかに、美味い!これは目から鱗、驚きの体験だ。どんだけの美味さか?おかずもほとんど口にせず、2膳、お替りしちまったって言えば、伝わるだろうか。
たしかに、面倒じゃある。が、時間に追われて暮らす身じゃなし、この程度の不便は物の数とは言えんぜ。そう、この美味いご飯が日々食べられるのならな。