終わった!
さすが、3日間の詰めきりは疲れた!仕込み初日は17000歩、二日目は10000歩、本番当日は14000歩、ホール中を舞台、客席、楽屋と、めったやたらと歩き回ったもの。が、まぁ、肉体的疲れは大したことない。うん、日ごろの鍛錬が効いてる。連日遅くなるてのが辛いところだった。あっ、舞台見つめ過ぎて、目の疲れもかなり。
が、まず、ほぼ、好評のうちに幕を下ろせた。内容が内容だろ、観客の評価はきっぱり二分?と、思ったが、そうでもなかった。だってな、元慰安婦が辛い体験語ったり、慰安婦に女たちを斡旋する女衒とか出て来るし、天皇を信じて同胞まで射殺したのに、さらなる差別を受ける朝鮮人皇軍兵士とか、ネトウヨだったら思いっ切り攻撃してきそうな題材取り上げたからな。これ、絶対、反発、非難は必死、と覚悟して、客出しに臨んだが、厳しい言葉を掛けられることもなく、険しい表情も見受けなかった。アンケートも作品としては概ね認めてもらえたようだった。
中には、高校で演じて欲しいとか、全国で、などというありがたい言葉もいただいた。戦争もはるか昔の出来事になり、かつては経験者の言葉として、そちこちで語られていた悲惨な実態、日本の罪障も、老眼の視力よろしく、霞のかなたに見えなくなっているからね。そう、日本人の老化、酷いもんだもの。そんな風化する現在の中で、歴史を学ぶ良い教材と判断していただいたのだろう。プラザに芝居を見に来る人、菜の花座のお客さんには、都合の良い歴史だけ見よう、なんて人はいないってことなんだろう。それはそれでありがたいが、もっと幅広いお客さんに見てもらって、喧々諤々もいいよなぁ、なんて、それも辛いけど。
戦地慰問の旅一座の物語も効果的だったんじゃないか?菜の花座の得意芸、歌や踊りも口上も組み込めた。途中、拍手ももらえた。重い題材を扱いながらも、エンターテインメント性も欠かさない、そんな舞台が菜の花座の目指しところだから。ただ、そのためにも、歌や踊りにもっともっと磨きをかける必要はあるだろね。
恋人の戦死を知って、悲しみを抑えつつ歌う「宵待ち草」で幕を下ろす、って最初の台本から、役者たちの見栄で旅立ちの決意を示す形で終わって、これも正解だった。八方ふさがり、奈落の底に真っ逆さまの現実の歴史の中、辛うじて脱出のほの明かりを灯すとすれば、これくらいしかないよな。
以前なら、なんだって、そんな過去のこと、と敬遠していたが、ここに来て、世の中がますますきな臭くなって、昭和をつぶさに見つめ直す作品の価値も上がってきている。女たちの昭和シリーズもさらに続ける素地が生まれているってことだろう。
そして、旅一座紅座の物語も、さらに続編もいいよなぁ、って、それ新しいアイディア、枯渇しつつある証拠じゃないか?