ステージおきたま

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残念!中村敦夫・朗読劇『線量計が鳴る』

2018-04-29 10:01:01 | 食べ物

  うーん、書いちまっていいんかなぁ?反原発運動の足引っ張りにならないか?うちの神さんが熱心に関わってる「さよなら原発 米沢」の設立5周年の記念事業なのに、否定的発言してもいいものか?

 中村敦夫・朗読劇『線量計が鳴る』。

 とても残念!ごめん、中村さん。全国回って、一生懸命反原発の意義を伝え続けてくれてるのに。2時間近くも一人ぶっ通しで、語ってくれたのに。すっごく勉強して、これでもかってほどに内容盛り込んでくれてんのになぁ。それは本当にわかる。その努力に頭下がる。原発の問題点はほぼ網羅されている。そこは素晴らしい。

 でも、これ、はっきり言って講演だ。劇と銘打つなら、あるいは、役者中村敦夫が演じるなら、もっと別の有り様があったんじゃないだろうか。正直、見事に肩透かし食らった。副題が「元・原発技術者のモノローグ」、ここにとっても興味をそそられて見に行ったんだ。

 福島第一原発で働いて来た現場技術者、双葉町に育ち、家族すべてが原発の恩恵を受けて暮らしてきた地域住民でもある主人公。原発の安全性を片時も疑うことなく、原発がもたらす明るい未来を信じて生きてきた東電社員としての彼。

 あのメルトダウン事故、奪い去られた生活、離散を余儀なくされる家族。消滅した故郷、抹消される地域社会。悩み苦しみながら、過去の全否定にたどり着く男の悔悟、喪失感。そういった深い人間ドラマを垣間見れてくれるものだと思っていた。

 安全神話の旗振りした学者、政治家、経済人、地域リーダー、選挙民・・・無責任人間たちの喉元に匕首を突きつけるような鋭いセリフを期待していたんだ。

 疑問から不審、ついには自己否定へと至る過程を、最悪の事態を免れるべく必死で復旧作業にあたった原発内での緊迫の時間を伝えつつ、表現してくれたなら。引き裂かれた家族や地域社会の癒えぬ傷跡を垣間見せてくれていたら。

 劇であるなら、そこに人間がいなくてはならない。悲しみや憤りや嘆きや、深くて尊い懊悩が描かれなければと思う。人類的な出来事に遭遇した者としての苦闘が。

 終演後、なぜ朗読劇を演じるのか、との質問に、中村さんは、私は表現者だから、と答えていた。そう、だったら、講演ではなく、劇として、人間の言葉として表現して欲しかった。役者なら、セリフで観客の心を動かさなければ。反原発の様々な論拠を伝えることも大切なことだ。中村敦夫がそれをやることの意義は決して小さくない。

 でも、学んだ知識や情報を伝えるよりも、たった一つの事柄でも、生身の現場技術者、地域住民の言葉として構成させたなら、もっともっと大きな感動を与えてくれたことだろう。そして、原発の持つ非人間的な在り方がまざまざと浮かび上がったに違いない。それが、演劇の力、役者の膂力というものじゃないだろうか。

 うーん、残念!

コメント
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