ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

傑作に打ち砕かれたら、修復作業だ!

2018-04-06 09:35:57 | 演劇

 だはっ!こ、これはすげぇ!なんて、深いんだ!なんて緊迫感に溢れてるんだ!なんて、鋭いんだ!なんて優しいんだ!

 どこまででも続く、”なんて”と、”!”マーク。凄いもの読んだ。これがプロの戯曲だ。戦争を舞台に乗せるってこういうことなんだ。って、またまた、感嘆の言葉が溢れ出て来る。

 鄭 義信『赤道下のマクベス』。公演を見たわけじゃない。そんな贅沢な!行けるわけないだろ、年金暮らしの身だぜ、せいぜい年2回、マラソン遠征のついでに、その時たまたま手に入った発展途上劇団、つまり格安チケット!の舞台観るのが精いっぱいさ。演劇界の先端シーンとの関りなんて、専門誌『悲劇喜劇』の購読が唯一の背伸び。この傑作との出会いも、そういうこと、この雑誌に載った戯曲で出会ったんだ。

 終戦直後、シンガポールのチャンギ収容所。BC級戦犯、捕虜への虐待の罪、として死刑が確定している6人の元軍人、軍属。日本人と朝鮮人(著者記載の通り)が3人ずつ。いずれも、 泰緬鉄道の強引な建設にオーストラリアやオランダ軍捕虜を酷使し死に至らしめたことの罪を裁かれた人たちだ。そうなんだ、朝鮮籍で日本軍に協力して闘った人、自らの意志か強制かは別として、はたくさんいて、その人たちの中には戦争犯罪人として断罪された者も少なくなかった。 泰緬鉄道って、ほら、映画『戦場にかける橋』の鉄道だ。英語圏では「死の鉄道」と呼ばれている。

 周囲を取り巻く独房、その中心の広場。そこで日中の大半を過ごす6人の死刑囚たちの数日間。たったこれだけ。場所も変わらず、登場人物も途中から出戻りの朝鮮人が一人と、ほとんどしゃべることない看守が数人。こんな仕掛けで、2時間近い作品を成り立たせてしまう、劇作力の見事さだ。

 題材そのものの重さは言うまでもないが、その展開のさせ方が尋常ではない。6人それぞれの背景があり、際立った個性の書き分けが見事だ。お互いの抜き差しならぬ関係も緊張感をはらんでいるし、役者くずれが常時口にする「マクベス」のセリフも生きている。届く当てのない家族への手紙、数少ない余興の思い出等、獄舎では限られた題材を的確に配置することで、劇的な対立と和解?を描き出している。3人を死刑台に送る残された3人の絶望の深さと、そこからにじみ出た謝罪と赦し。互いの憎しみを超える命のつながりの圧倒的感動のうちに幕が下りる。

 しばし、沈黙!しばし落涙!素晴らしい。すぐれた戯曲は、素材なんかじゃない。それだけで見事な芸術作品だ。

 そうなんだ、こういう作品を書かにゃならんのだ。視点の鋭さ、思考の深さ、構成の巧みさ、セリフの見事さ!

 こんなもん読んじまって、どうするよ?『予兆 女たちの昭和序奏』、軽すぎだろ。議論が上滑りだろ。人間が突き詰められてないだろ。緊張感足りんだろ。時代を切り取ってるって言えるのか?・・・・

 そうなんだ、まったくもって、そうなんだ。だったら、どうする?

 ここは、必死に自己弁護するっきゃないだろ。だからさ、『予兆』は戦争になだれ込む時代そのものがテーマなんだから、あんこ玉とかトンカツ定食とかツェッペリン伯号だとか、明るい面があって当然だろ。人々は日常生活に一喜一憂しながら戦争にのめり込んで行ったんだから。それと、目指したのは群像劇、主人公が明確じゃないのは折り込み済だ。あの時代のいろんな女たちをさらっと眺めて見たかったんだ。踊りやダンス入れたり、当時の音楽多用するて方法は、菜の花座の軽いノリを大切にしたいって思惑だし。

 そう、芝居のすべてが、ぎりぎり死の恐怖や憎悪と面と向かったものである必要なんてないんだ。戦争の描き方だって、いろいろある。そう鄭 義信には彼なりの、こっちにはこっちなりの劇作作法ってもんがある。そう考えよう。

 と、自己修復を試みてもなおかつ残る不満点は、演出と役者の力で乗り越えよう!ってことだよ。うーん、それにしても、あんな傑作、書きたいよなぁ!!

コメント
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