10日ほど締め切り破りして、ようやく台本書き上げた。いつもだと、ラストの締めというか落ちというか、エンディングがある程度頭の中で描けていて、そこに向かって書いて行くんだけど、今回は、もうどうでもいいや途中が面白ければ、ってかなり八方破れのいい加減な書きっぷりだったので、さすがに苦労した。
前にも書いたが、前回が『お遍路颪』とめっちゃ暗く辛いお話しだったから、今度はもう何が何でも楽しい話し、バカバカしいストーリー、大爆笑を目指した舞台にしたいと、頭ん中はギャグと笑いの追い掛けっこ状態にして書き進めた。
で、いつもと同じパターン、初読みは、・・・ぜーんぜん!面白くない!
毎度、毎度のことなので、ちょっとは慣れろよ、稽古してけば面白くなるんだから、って何度も自分を慰めるんだけど、ダメだ!もうがっくり、で帰りの車は鬱々ジャーニー。どうしてなんだろなぁぁぁ?
書いてる時、僕の頭に響いている役者たちの声が、本読みではまるで違ったものになってる。えっ、そういう声出すの?そっか、そういう風に読むんだ!あの普段通りやって欲しいんだけど!アクセント違うから!そこ句読点付いてるでしょ!間って書いてあったらその意味考えろ!もうも頭の中ではつっこみの速射砲!でも、言わないよ、もちろん。だって初めて目にした台本なんだから。でもねえ、・・・・も言わない!ただただ我慢!だって、彼らがやってくれるからこの本、芝居になるわけだから、根っこじゃ感謝!の一言なのさ。
コント大会からこっちずっと考えているのは、役者と笑いの相性ってことだ。本のつまらなさ棚上げして、演出の力不足振り返りもせず、役者に罪をなすりつけるつもりはないんだが、どうも、笑いがとれる人には元々備わった愛嬌のようなものがある気がして仕方がない。
へらへらしてるとか、いつも面白いこと言ってるとか、明るい人とか、そいうことじゃない。ぶすっとしていても、真面目人間でも、性格悪くても、どこか笑える、そういうものあるって思わないか?逆に、あの手この手で笑い取ろうと四苦八苦しても、聞こえてくるのは、冷笑とか嘲笑って、悲惨な例、あるよなぁ。
しかし、日常ではとても面白いのに、人前立つと途端に詰まらない人もいる。もちろんその正反対も。なんなのかなぁ、その違いを生み出す人間性ってもんは?一つ思うのは、その人の核が生真面目だとどうも周囲に笑いは起こしにくそうだ、ってまっ、当たり前って言えば当たり前だけどね。あとは、その生真面目さを支える遊びの少なさとか。隙の無さ、なんかも笑いを遠ざけそうだ。一見、隙が無いように身構えていても、とんでもないところに穴が開いてたりすると、笑いを誘うことになるんだけど、付け入る隙が無いって人は、どうもねぇ、笑いを取るってことでは失格だ。
なんて、あやふやなことをああだこうだ書いてるってのも、初読みのつまらなさの反動だ。代償行為ってやつか?まっ、やけ酒ややけ食いよりはましかな?おっと、付き合わされた人には、いい迷惑だった、すまん!でも、舞台はぜったい面白くなるから!!