たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

Thank God I Found You

2010-04-16 02:43:26 | Weblog
 飾らない、ありのままの真実を見つけるためには、正統派的な方法と邪道的な方法がある。
 何が正統派か邪道かと決めるのは難しいけど、これは思考的なとこではないと思う。例えば、エレキギターにカポつけるのとか邪道だと思うし、物理で一番正統派な範囲は素粒子だと思う。別に、いやいや、エレキにカポつけるのだって別にアリじゃないですか?、とか、物性だって立派な学問ですよ、ってのもわかるけど、そうじゃない。そこは感情だから。

 すべての願いや夢は、はじめは必ず正統派だ。ヴァイオリンじゃなくてヴィオラからやりたいって人は少ないだろうし、キーパーになりたくってサッカーを始めることも稀なんじゃないだろうか。
 でも、現実、正統派で貫けるほど、甘くは無い。それを目指している人間が何億というオーダーで世界に存在している。そんなレースをしていることに、気がつく頃、一瞬、悲嘆からの傷は心の中身を凍らせていくことになる。

 とっても苦しんだ後に、それを完全に諦めるか、それとも、少し妥協して、ではないけど、そこから、また、フレキシビリティさをもってして、願いを作るか。それが大好きだからこそ、路線を微小に変更することは、多いに結構。そして、完全に諦めてしまうのも、結構。すべてを大切にするためには、その2つ以外に無いだろう。
 だけど、諦めてしまうなら、少しの邪道さを選んで、あなたが諦めた道をさらに一歩ずつ踏み出し続けている人達を蔑まないことだ。これは、俺の周りに割と多い。それはそれとして、エレキにカポつけるのも音楽なんだからOK、物性の「1」と素粒子の「1」は対等であると、認めないとね。認めるか認めないかは感情ではなくって、思考だし。

 俺はこの瞬間で、物理→生物と移行して、細かいことを言い出したら、もっともっと路線変更をしていて、行っている場所も一緒に頑張るメンツも統一性が無いけど、そんな自分を、「その他」だとは思うけど、邪道だとは思わない。別に、試しているわけじゃないし、いつだって、試したくない。それは、画一的に系(Keiでもいっか(笑))を見過ぎている。
 俺が主眼においていることは、すべて理科であり、もっとちゃんと言うと、全部、自然科学をやっているわけで、それがずっとやりたいことだからだ。もっと言うなら、自然科学ではなく、学問が好き。あと、音楽が好き。そして、それは一つの想いに集約される、「それだけは、ずっと、俺もお前もカワラナイんじゃん?役に立ちたい、人を助けたい、ってのだけは。」って。そこが大事であって、細分化された概念は、ひとつのツールでしかない。ただ、ひとつひとつのツールは、確かに、光り輝く運命を示している。

 ≪世の中からしたら、物理学なんていうのは、もうすでに小さい範囲である。だから、その物理学の中で、自分は原子核だから、物性だから、とか決めつけないで、色々なモノにチャレンジして欲しい。≫

 俺が安心して、ころころと居場所を変われる最大の理由は、彼らのように、非常に人間性が豊かで、しかも、とても賢い、という、最強な人達が、偶然、俺の周りに多くいてくれることだ。
 この偶然に感謝しているし、雨を降り止ませ、期待以上の贈り物を届け、生活を救ってくれる方々に、いつまでも、感謝している。

 幸せを確かなモノにするために、すべての部分を大事にしてくれ、こちらもそのように努力する。
 この気持ちは誰にでも味わって欲しいから、持ってきてくれた光で自分を満たしながら、自分自身も光を生成し、届けるべき人達に伝えようとすることが大事だと思う。

 (マライア・キャリーとジョー、そして98°が歌っている、結婚ソングだ。
 でも、どうしても恋愛や結婚の曲というよりは、人生の分岐点のときに、感謝をこめて、今まで、これからも、心を支えてくれる人達に、伝えているような、曲という感じがする(そういう意味では、結婚でも正しいけど、もっと広い意味が感じられる、ということ。)。なので、個人的には、3月、4月、よく聞く曲。
 非常にキレイな旋律と、その基盤から心地よくズラす、フェイク。飽きがこないので、続けて何回も聞いてしまう。
 ちなみに、割と難しめの英単語を使っているので、ちゃんと理解しようとすると、英語の勉強になります。)
コメント
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