たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

直観のカタチ

2010-04-29 02:06:16 | Weblog
 無形でカタチあるモノにこそ価値がある。ここでいう形とは、物理的なモノも指すし、精神的な言葉みたいなモノも指す。卒業証書だけあったって、なんにも意味が無いし、言葉だけで収集される2人以上の集団も価値が無い。
 テストのための力じゃなくって、本当の能力、本当の力には価値があるし、求められる。それと同じように、趣味が合えば、フィーリングが合えば、嫌いなモノ好きなモノが合えば、それで信頼関係が結ばれるわけではない。むしろ、理解できない部分や納得できない部分がある中で、それを超えて、相手にちょこっと合わせてみようかとか、もうちょっと自分に合わせてほしいなっと思ったりとか、それでも一緒に、って思う気持ちだとかこそに、ホンモノが隠されているのだ。

 こうやって言うと、時間依存性を入れていないので、強烈な感じになっちゃうんですよね。初期状態で、形をもってして、カタチを取りにいくのは、すごく正しい。だって、最初は、形式的なもんから入っていくもん、何だって。
 試験のための勉強をしている過程で本当の力を身につけたくなっていくもんだし、始めは授業が一緒だとかサークルが一緒だとか、そういうことから信頼を深めていくもんだ。

 認知論という分野で、ABC理論ってのがある。もう、今日習ったの含めて、大学で習うの3回目。それくらい、ネタにしやす…、いえいえ、重要な理論なのでしょう。
 ABC理論ってのは、人は、出来事が起きると、思考をして、それに対する、感情が現れるという考えです。確かに、事態が起きて、それを頭で考えて、あー自分に対してこういう感じだったからこういう出来事が起きたんだーって、思って、そっから、うわ、あいつ、やなヤツ、イイヤツ、ってやる気がする。

 こういうような、心理学の学問領域って、あくまで学問上だけでしょ?ってバカにしている賢い人達が多いけど、案外そうでもないんじゃん?っと、学べば学ぶほど、俺は思っている。つまり、結構ちゃんと、心理や抑うつについて、考えているなーって思っています。
 ABC理論に対しての批判意見的な論文も沢山あるようだし、全部のケースがこの考えに当てはまるだけじゃないよね?、ってのは当たり前のことで、やっぱり、俺ぐらいが思ったり考えたりすることってのは、だいたい、世界のどこかで、やられていることなんだよな、って、これまた当たり前のことを思う。

 そう、だから、ABC理論を介さず、そのモノと出会ったその瞬間、ちょっとだけ時間が経っただけで、スベテがわかる時だって、あるってことだ。こういう状態は、定常状態、っま、現実だから、時間依存性がとても低い、くらいにしとこうか。
 これを、最近、感情、ではなく、俺は、直観と、ここのページでは呼んでいるけど、この直観の作用は、重要なシーンでは、非常に精度が高い。うむ、気をつけなきゃいけないのは、あくまで重要なシーンだけ、ってこと。どうでもイイ、例えば、電車ん中とかで、『うーん、何も根拠が無いけど、あの人、次の駅で降りる気がする。うん、これは直観だ!』ってくらいのは、あたらないってこと。

 形がないカタチあるモノに対して、こういう直観的能力を、もっともっと、磨きたいもんです。

 …って、今、俺、コレ、書いてて思ったけど、これって、一目惚れを推奨してるよね(笑)。
コメント
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