たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

勝ち負けを超えてよ

2010-04-22 01:27:59 | Weblog
 俺はもう、純粋な理学の人間ではないけど、それでも理学志向が強いと思う。
 人と話していても、何が絶対的真実なのか?を探りたくなってしまうときがある。そのために、今聞いた、その事象で起きたことと、自分の知っている経験の共通事項を見出し、この共通な部分が真理であると、決定づけたりする。しかも、ほとんど無意識に。『そっか。そこでもか。全然関係ないけど、あの系でも、そうだし、この系でもそうだから、変わることが嫌い、は、真理やなっ!』ってね。

 真実を見出すのに、一番手っ取り早い方法は、人を捕まえて、議論することだ。議論すると、2倍以上の思考力になる。
 どんなに賢い人間でも、解析力を極限まで高めて、Self-Consistenceに解くことに慣れていたとしても、どーしても1人だと弱い。難しい問題ほど、仲間と一緒に、意見をぶつかりあわせながら、解決しようとすると、真実が掴めるもんだ。
 だからこそ、学会があるし、大学があるし、研究室があるのだしね。

 だけど、、もっともっと、大切なことがある。真実なんて、どうでもイイ。本当はどちらが言ってることが正しかったか?なんてどうでもイイ。
 研究テーマや絶対的真理以上に重要なこと、それは、相手がどういう心で、こっちにそれを語っているか?だ。そこが重要な瞬間、こっちが間違っていることに後で気がついても、相手が間違っていたのに突き通されてしまっていても、どうでもよくなってしまう。

 もし、議論の相手が、議論など相手と決別するときに行われるモノで、争いごとなんか好きじゃない、っと考えている、いや、思ってるんだったら、最近は、そっち側に乗っかりたいと思う気持ちが強くなった。俺自身も、その感情、少しあるし。
 ただ、感情無しで、勝負なんて言葉をほとんど介在させずに、お互いにお互いをコンピュータとして扱って、真実を追い続けるのも、ゲームの協力プレイみたいで、案外、楽しいもんだぜ?!

 っま、それをわかっている人はなかなか少なく、ほとんどは、お互いに技を出し合って、思考力の勝ち負けを決めるための、ガチ勝負ばかりしている議論が多いから、、やっぱり、少なくとも日常生活では、俺に議論なんてさせないで。
 協力プレイを頼んだ俺が、いけなかったよ。

 ちなみに、矛盾しているように聞こえるかもだけど、議論で思考力のガチ勝負するの、好きだよ。相手は嫌いなヤツに限るけどね。
コメント
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