たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

純粋さは戯言なんかじゃない

2010-04-26 03:20:40 | Weblog
 当たってみるからこそ、結果がでる。当たってみるからこそ、わかることがある。
 そこから、また、状況がひとつ見え、次の一手を考えることができるのだ。

 何もせず、尻込みして、行動しないんじゃ、つまらない。別に、たいていのことだったら、何をしたって、死ぬわけじゃないんだしさ。何でも最初は緊張するけど、話だしちゃうと、妙に落ち着くもんだし。
 なんで、みんな、人間関係について、そこまで慎重なんだろう??って思うことがある。どんなことやったって、75日もすれば、みーんな忘れちゃうんだから、もうちょっと勢いよく行動してほしいもんだ。

 何か目立つ行動をすると失敗する、っという信念を持っている人ほど、まさに、行動しようとしている人の足を引っ張るようなことをしやがることが多い。むしろ、お前が価値観を押し付けてんだよ。お互い、ほっときあおうぜ。
 ただし、良かれと思って、足を引っ張ってくれる人もいる。たとえ、実質的に不利益でも、こういう人にはきちんと感謝をし、大切にしていきたいと思う。心配してくれているんだし。
 この2種は、決して区別のつきにくいもんじゃぁない。必ず、直観によって、わかるもんだ。

 うーん、まぁ、これでも最近は、「行動する」のを抑えてるんですけどね。あまりに、びっくりされすぎても困るし。

 そんな俺でも、世の中には、「行動する」ってことについて、罪悪感を感じる分野や事象がいくつかある。大事な分野や瞬間だな。くだらないと思っているからこそ行動できる、ってわけでもないけど。
 努力するのがタルいわけじゃない。努力してはいけないっと思っているのだ。努力しちゃったら、なんか、ホンモノを信じないことみたいな気がして。だって、ホンモノなら、勝手に訪れるはずじゃん?

 だから、、

 『うーん、だから、選択肢を奪わなきゃ良かったっていうか。うーん。。』
 「あ、それは違うよ、K君。」
 『なんで??』
 「だってさ、K君が、当たってみて、はじめて状況がわかって、次を考えられるわけじゃん?」
 『(あ、そっか。こういう事象でも、そういう視点に立つことができるよね。……。でも…、)まぁ、そうだけど。』
 「そうやって、当たることで、はじめて、わかるんだしさ。だから、続けてみてもイイんじゃない??」

 かなり時間が流れたのに、むしろ、この時のこの言葉を、いまだに、飲み込めずにいる。
 確かに、非常に冷酷になって考えたら、それがベストなのは、わかる。だけど、感情がある限り、いや正確に言うなら、微塵でも感情の多様さがある限り、それは不可能だ。どうしてそんなに、ひとつの想いのために、ひとつの感情のために、冷酷に徹するアイディアが、思考で貫き通すアイディアが、発想できるのか、理解できない。納得できない、じゃない、理解すらできない。

 どうしたら、そんなにも、小さい頃のイメージを消し去ることができるのか教えてほしい。
 でも、ごめん、どんな方法が存在していたとしても、俺は、そっちに振り切れ無いと思うし、、少なくとも今は、「戯言なんかじゃないし、惨めなんかじゃない。そういうことに対してまで戯言だって思っちゃう、その考えのほーが、よっぽど惨め」だと思い続けていたい。
コメント
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