63年前の今日も猛暑の暑い日だった。焼け野原の中のバラックの前の広場で詔勅 を聞いた。
学徒動員で鋳物工場で働いていた。多くの人が集まり晴天の広場に向けられたラジオで詔勅を聞いたが、今まで聞いたことの無い日本語で天皇陛下が何か言っているとのことらしい。詔勅内容はもちろん判らず、放送が終わった後で戦争が終わったそうだということを知った。負けたとはまだ知らなかった。
今からどうなるのだ、明日からどうなるのだろう。先生からの通知もなく、工場の方もどうしなさいの命令も出ない。覚えているのは明日から当分来なくてもよいと言われた事だ。午後はただ呆然として全く記憶に無い。
しかし、とにかくやれやれと思ったことが二つあったことを覚えている。その一つは二時間かけて工場に行かなくてもよくなったこと、もう一つは機銃掃射の心配が無くなったことだ。
その後の、食べるための、そして学校に行くための苦労が続いたことは忘れることは無いだろう。多くの人がそうだったように。
詔勅も何も分からず終戦日
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