[ あらすじ ]
第三章
(愛里菜ちゃんが死亡して17日経った、しかし、犯人に関連する情報が出てこない)
神場と香代子が歩き遍路をはじめて、2週間近くになる。2日前に徳島県内にある薬王寺へ参り、次の寺がある高知県に向かった。県境を越えたのは昨日だ。小さな漁港がある室戸市の佐喜浜町に泊まり、今朝、宿泊した民宿を発った。
23番札所の薬王寺から次の最御崎寺(ホツミサキジ)までは、距離にしておよそ75キロある。歩き慣れている者の足でも2日はかかる道のりだ。
海の中の二つの岩柱の夫婦岩が見える途中で休憩し、香代子は公衆トイレに行った。
神場は手帳を取り出した。愛里菜ちゃん殺害事件の情報を書き込んだページを開く。
遺体が発見された日から3日後の18日に、司法解剖の結果が出た。
県警から電話をかけてきた緒方の話によると、死亡推定時刻は、行方不明になった6月9日夜9時くらいから翌10日の深夜0時前後までの、およそ3時間とみられている。遺体の損傷と局部の裂傷は、死後のものと判定された。犯人は、愛里菜ちゃんを誘拐し、さほど間をおかずに殺害した。その後、愛里菜ちゃんの遺体を凌辱し、山中へ遺棄したのだ。
愛里菜ちゃんの遺体が発見された山中で、不審車両が目撃されたのは6月12日だ。その前日に近所の住人が、深夜に向かう白い軽ワゴン車を目撃している。犯人は、おそらくそのときに、愛里菜ちゃんの遺体を山中に遺棄した。それまでに2日間、犯人は愛里菜ちゃんの遺体とともにいたことになる。
携帯の向こうから、緒方の悔しそうな声がした。
「愛里菜ちゃんの遺体が遺棄されるまで、どこに放置されていたのか、まだわかっていません」
愛里菜ちゃんがどこで殺害されたのか、犯人がどのような場所に住んでいるのか、いまのところなんの情報も掴んでいないという。
要するに、18日の緒方との電話の時点では、愛里菜ちゃんが殺害されてから9日経っというのに、犯人特定に結び付く有力な情報は得られていない、ということだった。
新しい情報が入ったら連絡を寄越せ、と言って神場は緒方との電話を切った。
あれから8日が経つが、その間に緒方から連絡があったのは3回だけだった。どれも振るわない報告だった。
夫婦岩が見えるところを過ぎて、弘法大師が求聞持法(グモンジホウ)の修業をしたという御厨人窟(ミクロド)に着いた。
誰もいない洞窟の中は、静謐に包まれていた。ひんやりした空気が心地いい。なかは静かで、聞こえてくるものといえば、かすかな波の音と、天井から落ちる水滴の音だけだ。日中でも深い横穴は仄暗い。灯っている数本の蝋燭の小さな炎がやけにまぶしく映る。
目的地である最御崎寺に着いたのは2日目の昼の1時半だった。
第四章
略
第五章
(結婚して7年目に授かった、須田夫婦の子だから。幸恵。不幸にも孤児となった、いまの幸知)
37番札所、岩本時の本堂の天井は格子を組んだ格(ゴウ)天井になっていた。正方形の木枠の中に、数えきれないほどの画がはめ込まれている。題材は決まっていない。
神場は作者を思い浮かべながら天井を眺めていると、一枚の画が目に留まった。小さな女の子を描いたものだ。眉の上で切りそろえた前髪と、はにかんだような笑みが愛らしい。歳の頃は3歳か4歳くらいか。この画を描いた人物は、この子とどんな関係なのだろう。
神場は絵を見ているうちに、脳裏にひとりの男の顔が浮かんだ。須田健二。神場に、夜長瀬駐在所への異動を勧めた先輩だ。須田は絵が上手かった。須田の話によると、母親が美術学校の出で、子供のころに絵画の基本を教えてくれたのだという。
須田夫婦が子に恵まれたのは37歳のときだった。結婚してから7年目に授かった子宝を、須田は文字通り宝物のように大切にした。
我が子に須田は、幸恵と名付けた。幸せに恵まれる人性を歩んでほしいとの願いを込めてつけたらしい。
須田はよく、神場と香代子を自分の官舎に呼んで、夕食をご馳走してくれた。刑事課に異動した神場を以前と変わらず可愛がってくれていたこともあるが、娘を見せたいという思いもあったらしい。
思えば、あのころが須田にとって、一番幸せな時だったと思う。
気がつくと、香代子も隣で神場が見ていた女の子の画を見上げていた。
神場も天井に目を戻した。一枚一枚の画が人の人生の大切な断面のように思えてきて、息苦しくなった。
出るかとの神場の声に、香代子は無言で肯いた。
◇
須田の妻、祥子が急逝したのは、歳の誕生日を迎えた翌週だった。
須田が非番の日、祥子は須田に幸恵を預けて、車で買い物に出かけた。帰宅途中、祥子は事故に遭った。反対車線を走行してきたトラックが、中央線をはみ出し、祥子の車と正面衝突したのだ。祥子は臓器損傷で即死した。
須田は、幸恵を近くの保育園へ預けた。須田にも祥子にも、幼い幸恵の面倒を見てくれる身内がいなかったのだ。
警官の仕事は、定時に終えられるものではない。保育園の迎えの時間を大幅に過ぎることも度々だった。そんなとき、須田に代わって幸恵を迎えに行くのは、香代子の役目だった。
子供がいない香代子は、幸恵の面倒を見ることを自ら申し出た。ときに幸恵と須田の夕飯も拵え、4人の食卓を囲んだ。
神場はまとまった休みを取ってはどうかと勧めたことがあるが、須田は神場の助言を受け入れなかった。
そんな須田に悲劇が襲いかかったのは、祥子が亡くなって1年半が過ぎたころだった。幸恵は2歳半ばになっていた。
繁華街の路地裏で、交通課の課員の須田が、職質を行った相手から刃物で刺され、失血と腎臓の損傷が激しく死亡した。犯人はその場で逮捕された。言っていることは支離滅裂で、クスリをやっていた。
「おきなしゃい、おきなしゃい、おとうしゃん」という幸恵の祈りも届かなかった。
「第六章」に続く