[ 池波正太郎の「まんぞくまんぞく」 -4/?- ]
「あらすじ」
※ 青色、黄色の彩色部分は、私が補足したところ。
※ 下線は、この章のキーとなる文章と思ったところ。
4. ― 復讐 ― ("女"から甦ろうとする女)
一 変化してきた真琴の心
秋が来た。真琴の日常に変わりないように見える。
平太郎から屈辱の一言を受けてより、20日ほど過ぎていたが、あれ以来、真琴は、例の悪戯をしていない。それが何故なのか、真琴自身にも分からない。
ただ、真琴の脳裏から消えないのは、「このような女、抱く気もせぬ」と、言ってのけた平太郎の声、その声を振り払い、なんともして、忘れたいがために、真琴は、日々、道場へ通って、以前に増して稽古に熱中している。
しかし、稽古をつけている相手が、木太刀を落とされて組打ちを望んできても、以前のようには応じなくなった。
―中略―
10日ほど前に、小平次が真琴を訪ねてきて、平太郎との変った見合いについて訊ねると、
「あの話は、もう、打ち捨てておくがよい。そうじゃ。そういたせ」
と、言われ、呆気にとられている小平次へ、
「もうよい、今日は帰れ」と、真琴は声を張り上げる。
小平次が母屋に立ち寄り、万右衛門に帰邸を告げると、申し上げたいことがあるので舟で送ると、小平次の先に立った。
舟の中で、千代から聞いた変った見合いの様子を小平次の耳に入れた。
二 ~ 七 戸田と井戸の復讐の兆し
万右衛門が出かけた後、しばらくして、台所の外で人の足音がした。
千代が大声で叫ぶと、人影は竹藪の中へ逃げ込んだ。真琴もすぐに飛んで来て、その日は、何事もなかった。
数日後、真琴は、はっと目覚めた。戸外の闇の中に、ものの気配を感じた。
母屋のほうを窺うと、明らかに黒い人影が三つほど見えた。全員で5人いて、一人が真琴がいる離れ屋のほうに近寄って気配を窺い、他の4人がいる台所のほうに戻った。
曲者どもはただの男でない、それが証拠に、台所の雨戸を簡単に外してしまった。
(もはや猶予はならぬ)と、真琴は、「これ、何をしている?」、静かに重みのある声をかけた。曲者は、侍ではなく、真琴の敵ではない、脇差を落としたまま逃げた。
真琴は母屋のほうが気になり引き返したが、何もなく安堵した。
万右衛門が、お上の耳に入れておいたほうが良くはございませんかと言うも、真琴には、例の悪戯をした後ろめたさがあり、伯父上に迷惑がかかるので、それは待てと言った。(自分の行動が、他人へ迷惑をかけていることを感じてきた)
万右衛門宅に押し込もうとした曲者は、井戸又兵衛が香具師(やし)の元締に頼んだもので、万右衛門と千代を人質にして、真琴を傷めつけるためであった。
◆
平太郎は、道場帰りに小平次から声をかけられ、小平次の熱心な頼みに了承して、内蔵助の話を聞くために、堀家に参上することを約束する。
八 ~ 十 江戸に戻った鼻欠け無頼浪人
同じ時刻、道場帰りの真琴の後をつけた友治郎は、途中、後をつけたことに頭を下げて、9年前に関わった友治郎ですが、真琴さまの耳に入れたいことがあると申し出た。真琴も相談したいことがあるのでと、友治郎を万右衛門宅へ案内した。
友治郎の申し出を聞こうとと言う真琴に、
「9年前、元道に、鼻の先を切り落とされた無頼浪人が江戸に戻ってきたようで、私が古くから遣っている手先が、人相書の似顔絵を覚えていたのです」と、友治郎が話す。
真琴が、金吾の仇は、この手で討ち取りたいと言うので、でしょうが、真琴さま、確かめたいところもあるので、しばらくは、誰にも知らせずに内緒にしてくださいと、友治郎は頼む。
真琴も、先夜の、曲者どもが押し込んできた一件を友治郎に語り、内密に手がかりを掴みたいと友治郎へ相談した。
◆
料理屋の離れ屋敷で、戸田金十郎の家来の中島辰蔵と、これも昔、戸田家に奉公していて、いまは多くの門人がいる道場を開いている佐久間八郎との話を終わり、佐久間が、頭巾を被った侍を控えの間から呼び入れ、これが、先ほど話した滝十兵衛だと中島に紹介した。
(この男ならば、堀真琴とて歯が立つまい。これならば大丈夫)と思った中島は、後は、ゆるりとしてくださいと、席を立った。
滝は、9年前、金吾を刺殺し、真琴の操を奪おうとして、元道から鼻の先を切り落とされた男である。
5. ―菊日和― ("女"が甦った女)
一 内蔵助と平太郎の満足した会合
秋日和が続き、内蔵助の躰にもよい影響を与えたらしく、内蔵助は久しぶりに控屋敷(別邸)に来た。
別邸に主人を迎えて5日目に、小平次は、平太郎を別邸に案内した。
離れ屋で内蔵助と家老・山口庄座衛門が待っていた。もちろん、内蔵助と平太郎は初対面であったが、双方、昼餉を共にした養子縁組に向けての満足した会合だった。
いささかでも、力(体調が良好)のあるうちに、養子縁組のために関係する周囲の事柄を纏めておきたいと、翌日、内蔵助は上屋敷に戻る。
二 ~ 四 敵討ちの気持を反省する真琴
深川の房州屋で、佐久間と滝が会っていることを、友治郎のところへ手先から連絡があった。その手先から、佐久間の道場は麹町にあることも知らせてくれた。
―中略―
その日も、友治郎は、桑田道場から帰る真琴を待ち受けていた。真琴と会うのはこれが三度目だ。
友治郎は、本所の蕎麦屋に案内し、このまえ話をした鼻欠き無頼浪人がいる佐久間道場は麹町にあり、流儀は中条流だと、自分が調べた事を告げた。
真琴は、先日、友治郎から口止めされていたように桑田先生にも相談していないと言う。
友治郎も、そうして欲しい、このことが、堀様へ聞こえたら大変のことになると言うと、真琴は誰にも知らせずに内密に斬って捨てたいと言う。
しかし、友治郎は、「佐久間道場は見張りにくいのでございまして、どうぞ、お上に任せてください。
亡き山崎さまも、それを望んでおられると思いますし、元道先生もそれが良いと申されています」と言う。
―中略―
真琴は、佐久間道場の近くまで行ってみた。友治郎が言ったように見張りを続けることは難しく、鼻欠き浪人をつけることはできないと判断した。
諦めた真琴が道場から離れるように歩き出すと、門人らしき侍がこちらを見ていた。
真琴も、こうなると、養父の内蔵助の身分ということを考えずにいられない。
(堀家の養女などに、ならなければよかった)
いまにして、つくづくと、そう思う。
(私のようなものを養女にして、伯父上も、さぞ、お困りであろう。これは、もう、どうあっても伯父上にお願いをし、養女の身から解き放っていただかねばならぬ。これから先、私は、何をするか知れたものではないゆえ……)
いつしか、真琴の両眼から、熱いものが吹きこぼれてきた。(現実を理解しだした真琴)
真琴は、田安御門の側まで来ると、よしず張りの茶店が目に入った。
五 ~ 六 元道から諭される真琴
甘酒を頼むと注文すると、店の老爺が目を瞠った。
真琴の横顔は、女として見るならば、化粧もない顔だし、格別に美しいわけでもない。しかし、男として見るときは、いかにも若々しく、美しいのだ。美しいからなおさら凛々しく感じられる。
二杯目の甘酒を受け取ったとき、真琴は、入口に元道の姿を見て名前を呼んだ。
元道は覚えていて下されたなと、9年振りに会った真琴の桑田道場での稽古様子などを話題にした。
暫くして、元道から、ゆるりと話したいことがあると、真琴を飯田町の料理屋に案内した。
元道は、自分の生い立ちを語り始めた。
「郷士の三男に生まれ、物心がついたとき、両親はすでに他界していた。小さい時から心も体も弱い子供であったので、剣術の修行をさせられた。その後、縁あって医者になる修業もしたが、とても剣の妙味には及ばなんだ。真琴殿も、9年前、剣の道に入られた。ところが入ってみると、ことさら女の身には、思いもかけなかった剣の妙味に心を惹かれ、修行を積み重ねることの張り合いが何にもまして強く、天分もおありになってめきめき上達されて今に至った」
長々と話して真琴殿は退屈ではないかと言い、真琴がいいえと返答すると、話を続けた。
「詳しいことは、存ぜぬが、伯父御の養女となられたそうな。さすれば、七千石の大身の家を継ぐ身になったわけじゃ。その責任をわきまえたうえで御養女になられたのであろう。七千石もの家を担う覚悟あってのことと、わしは思うが、違いますかな? その覚悟もないのに、養女になるはずがない。如何?」
一語一語、静かに低い声で語りかける元道の前で、真琴の五体は固くなるばかりで、元道の言葉の一つ一つが、真琴の胸の内へ重くしみとおってくる。
七 ~ 八 養父の見舞いをと思う真琴
元道に声をかけられ、昼餉を馳走になった翌日、真琴は、桑田道場の稽古を休んでしまった。そればかりでなく、以前に、曲者どもが押し込んで来て以来、真琴は、夜になると母屋に泊るのが習慣になったのが、その日から離れ屋へ入ったままでいた。
真琴は、次の日も稽古を休み、食事も半分ほどが食べ残していた。膳を下げに行った千代に万右衛門を呼んでくれと言う。
万右衛門が現れると、父上の御病状を聞いていないかと問い、万右衛門が、(ご自分の家だから、お供するから、お訪ねになれば)と思っていると、ながらく無沙汰をしているので行きづらいのか、別邸の小平次を呼んでくれと言う。
次章(6.―急迫―)に続く