blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

信じたくない話

2016-09-05 19:55:04 | 日記
今日はわが部署になぜか誰かが買ってきたお菓子が流れてきた。
私も旅行に行けばせめて小さなチームのメンバーの分くらいは買ってくる。
中には、たかだか出張で他県に行ったくらいのことで何かを買ってくる人もいる。
当人の思惑はさておいて、いただけるものはありがたく頂戴して、なるべくすぐに食べてあげるのが礼儀としてはいいだろう。

さて最近のエントリーでは、ひと月ほど前に他部署に行ってしまった若い某君のことを書いた。
多少常識とズレたところがあって周囲は皆ストレスを感じてはいたが、例えば旅行に行ってお土産を買って彼にだけ何も渡らないというような場面はさすがに見たことはなかった。
どんなに仕事の上で迷惑千万を働いていたとしても、同じチームの一人にお土産の一つもあげないとまで思うのは行き過ぎている。

わが事業所にもいろいろあって、衛生上の観点から職場ではお菓子などのやりとりができない部署もある。
誰かがお土産を買ってきた時には、ランチタイムに社内の食堂でせっせとお菓子を配っている人を目にすることもある。
ところがある日、その部署のメンバーのたった一人にあからさまに何も渡らない場面を目にすることになり悲しい気持ちになった。
私自身はその一人とは直接の接点はなくあくまで伝聞にはなるが、意欲や態度など当人に帰する問題が多々あるために周囲も大変扱いにくい存在であるという。
それでもなお、衆人環視の状況でたった一人お菓子が回って来なかった当人の気持ちを考えると、ただでさえ深い傷を抉るようなことになったのではないかと危惧する。
食堂というオープンな空間でこんな行いがまかり通るなら、職場の中ではもっと陰湿なことが行われているのではないかと思われても仕方がない。
言うまでもなく、無視などの「人間関係からの切り離し」はパワハラ事例に該当する。

当地に来てからというもの、使えないから追い出されたとか、文句を言うから仕事を奪われたとか、物騒な話が多すぎて正直あきれている。
そろそろ10月の異動も発表になる時期だが、またぞろいらない人間の押し付け合いのような話が出るのかと思うとウンザリだ。

人というのは不思議なもので、ある場所で使えないと烙印を押されても、違った場所でまるで別人のように輝くケースは何度も見てきた。
同じ会社や環境では難しくても、いつかどこかで花が咲く可能性は誰にでもある。
環境を変えるまでの決断を会社が下すのは不可能だから、当人がそこまで踏み切れない限りにおいてはできる限り組織の中で花を咲かせようとするのが会社というものの務めである。

本当にいらない人間などこの世にはいないはずだ。
もし本当にいらない人間がこの世に存在すると思うなら、それは「優生思想」そのものであって、相模原の殺人鬼と何ら変わらないのである。

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