blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

イヤな流れ

2013-10-10 22:42:35 | 日記
とりたてて猛烈に忙しい日がない今週ながら、自分がいるセクションではミスや事故が多発している。
いちおう一つのチームとしては、自分が引き起こしたものでなくても他のセクションから白い目で見られるのはいい気持ちはしない。
逆に他のセクションでミスが連発されていれば、こちらだって同じように思うだろう。
一部は「不慣れ」で片付けることができなくもないが、大半は「何年いてそんなことを」と感じるような事柄だ。
初心は忘れていいと朝礼のあいさつで口にしたことはいつかのエントリーに書いたが、忘れっぱなしはさすがによくないし、学習能力がないのかと感じるようなことが続くと、当事者ではなくてもタメ息が出そうになる。

基本的人権が保障されているわが国と言えども、自らが属する組織の中で求められるレベルに達せず毎日の義務を十分に果たせない場合は、組織防衛の意味でも何らかの「権利の制限」は当然あっていい。
注意力・集中力が求められ少なくとも雑な性格では務まらないわが職場で、とかく散漫で何かと実弾を食らいがちの2名については、最近ついに館内での動き方に制限が加えられた。
間違いが即お客さんに直結する仕事であまりに間違いが多ければ、本人たちはもちろん事務所のエライさんもお叱りを受ける。
何度も周囲に恥をかかせておいて、なおかつ亀の歩みですら前進が見られないとなれば信頼するのは難しい。
本人に信頼が持てないとなれば、他人が本人の仕事の中身をチェックする作業を入れ込まざるを得ない。
本来かからないはずの負担をかぶって、セクションの仕事を成立させるために雑な人間の監視をしなくてはならないのというのも周囲にとっては割の合わない話ではある。

今でこそ、年を取りモノの考え方も変わって、「毎日を悔いなく」という意識はずいぶん強くなっているものの、若い頃はコレといって目指すところもないまま流されるように過ごしてきたように思う。
私自身は若い頃と比べて心持ちが変わったなと思えたのは30代後半からである。
今の職場で、わざわざ「あれダメこれダメ」と束縛されるに至ってしまった2名は私よりもずっと年上だ。
50歳を過ぎてなお毎日の目の前のことに向かっていけず、時には逃げるような感じになっているのを見ると、いつまでそんなもったいない生き方をするのかと思う。
仕事があり、収入があり、生活ができることは決して当たり前のことではない。
50歳を過ぎてまかり間違って会社に切られたら、果たしてどうやって生きていくのか。
相当に甘いと思われる今の環境で身がもたなかったら生きていけないというくらいの危機感は私でも持っているが、かの2名は果たしてどうなのか。
ものすごいことができなくてもいいが、最低限「仲間」として足る仕事を望みたいものだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワイヤレス化、進行中。

2013-10-08 22:20:40 | 日記
せっかくPCを新しくして、スマホも導入してとなったので、自室の中で少しでも無線で済むものがあるならやってしまおうということで少しずつ進めている。
自室のメインPCであるMac miniにはUSBポートが4つしかなく、何から何まで有線にすると全部埋まってしまうのと、ポートが背面にしかないためキーボードとマウスのケーブルが手前側にグニャっとなってしまうのが難だった。
プリンターにキーボードとマウスで3つ、純正の光学ドライブをつないだらもう満杯である。
このうち光学ドライブ以外は無線にできるが、Wi-Fiを使ってプリンターを、Bluetoothを使ってマウスとキーボードを無線化したく、ここ数日でプリンターとキーボードは片付けた。
設定も簡単、転送も速く何ら違和感はない。
決してヘビーユーザーではない私にとっては、単なる無線化だけでもトピックとしては大きなものだ。

残るマウスはBluetoothを使わなくても無線化はできるが、Bluetoothでない無線マウスはレシーバーをUSBポートに差し込む必要があり、結局1つスペースを使ってしまう。
少し高いがレシーバータイプよりも1,000円ほど違うだけだから、できればBluetoothを使ってつなぎたい。
マウスまで無線化となれば、USBポートは光学ドライブで1つだけ、前のPCのデータが入っている外付けハードディスクを付けておいてもまだ2つ余裕があることになり、見た目もスッキリする。
周辺機器は純正にこだわる必要はさらさらなく、優秀な日本メーカーのものがたくさんありしかも安い。
早いうちにマウスも片付けて狭い部屋ながら自由自在な感じにしたいと思う。

スペースに限りがあり大掛かりなことができない自室で、決して大きな投資をしないながら少しずつ便利な部屋に、というここまでの過程は大変楽しいものになっている。
プリンターにしても上を見ればキリがないが、無線LAN対応で実売価格が5,000円くらいの機種などゴロゴロある。
A3サイズの大きな書類が必要なわけでもなく、テレビ画面を見るような高級な写真を印刷したいわけでもないから、基本的なもので十分だ。
キーボードは純正だと高いから社外品で安く済ませているが問題はない。
ほしい機能を自分なりに押さえた上で安く済むものは安く、PCまわりも私のモットーである「Cheap Chic」が浸透しつつあるこの頃だ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

晴れたから外へ

2013-10-06 22:01:24 | 休日
書いているのは22時過ぎ、競馬の凱旋門賞の直前だ。
日本から新旧のダービー馬2頭が参戦している。
長い歴史の中で欧州調教馬しか勝ったことがないレース、日本調教馬はこれまで2着が最高、去年はオルフェーヴルがゴール直前で差され、同馬はその雪辱のために今年も参戦している。
雪辱と言えば、2006年ディープインパクトで3着入線失格の苦汁をなめた武豊騎手は、その産駒であるキズナで挑戦する。
すでに日本の馬は世界のトップクラス、あとは運さえあれば歴史を塗り替えることも可能だ。
ただライバルも強力、アウェーの地では何が起こるか分からない。
まずは無事に完走と言いたいところだが、去年のことがあるのでどうしても欲が出てしまう。
本欄を書いたら、23時過ぎの中継を楽しみにしたい。

さて、ゴロ寝で過ぎた土曜の穴埋めでもないが、少し前の予報に反してよく晴れてくれたので、富山市の山あいにある「おわらサーキット」というところに行った。
本当にここ最近は日曜がイベントづいていて、さかのぼれば8月の最終週にあった神保彰さんのコンサート以来、ずっと何がしかには参加している。
9月に行ったイオックスアローザでは、駐車場の一部をジムカーナのコースにしつらえてあったが、今日は規模は大きくないながら常設のサーキットであった。
全長は約1,000mで相当くねくねしたコース形態、市販車でももちろん走れるがカートのほうが楽しそうには思えた。
ちょうど私がいた時間帯はカートの模擬レースをやっていて4台が出ていた。
4人のうち3人が若い女性ドライバーと紹介があったが、カートは体感速度がすごいと聞くし大したものである。
レーシングスーツ姿もとてもカッコ良かったし、どうせならトークショーまでいればよかったと後悔した。

時間が余ったので富山市内に戻り、地元放送局が主催する物産展に行った。
ラジオの生中継もあって、普段はトラックに乗る時に聞いているアナウンサーの皆さんの顔が見えた。
農産品中心のイベントだけに特に何を買うでもなく、雰囲気だけ楽しんで帰って来た。

自宅に帰る前に、ちょっと前からクルマの排気音に違和感があったのでディーラーに行ったら案の定若干の排気漏れがあった。
ひどくなるとガスが車内に入り込んでにおったりするようだが、わが愛車はそこまではなく、幸い早期発見で大掛かりなことにはなっていない。
部品取り寄せのため数日はガマンだが仕方がない。
ここ数ヶ月はお金を何とか残しぎみにするように生活してきたから、不意の出費ながら余裕はある。
もしものトラブルに備えてやはり詰めるべきを詰めてきたのは大正解ということだ。

明日からまた一週間が始まる。
仕事のローテが変更になり体力的にも徐々に負担が減ってくるから、機会を見て少しでも新しいことができないか考えながらやっていきたい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつの間にか夕方

2013-10-05 20:52:44 | 休日
金曜は早いうちに寝てしまい、今日は目覚めも早かった。
いつも通り洗濯から始め、その間に食事をとる。
洗濯機は2回使うが、2回目の途中くらいにだいたいまた眠くなってくる。
寝てしまって2回目の洗濯物を機械に置き去りにしてしまうことも多いが、今日は何とか耐えてすぐに洗濯機から出してあげられた。
干すまでやってしまえば後は気が楽になって、心置きなく(?)二度寝ができる。

二度寝くらいで済めばよかったところ、昼ご飯を食べてから買い物に出ようと思っていながらまた寝てしまって、気がついたら午後の4時だった。
何とももったいない過ごし方をしたものだが、買い物に出たいとは思っていたからオロオロとクルマを出して、食べ物と水の補充だけして帰って来た。
水道水をそのまま飲んでも何の問題もないイナカとはいえ、純粋に飲む水とお米を炊く水はスーパーの会員カードを使い分けて無料のミネラルウォーターをくんできている。
水道水は沸かす時にはそのまま使う程度で、蛇口から出たなりのものを飲むことはあまりなくなっている。
実家に帰ればなぜか季節を問わず麦茶が飲めるのだが、当然ながら家にいるオフクロが沸かしてくれているからで、私が自室で同じ環境を再現しようとすれば電気代が大変なことになる。
スーパーの無料の水が、実家での麦茶の代わりというわけだ。

せっかくの週末も寝てばかりいるとアッという間に過ぎてしまう。
今日は、平日飲みや下期のスタートでバタバタした疲れを取る日であったということにして、明日は一時予想された雨もないようだから外に出る用事も考えている。
「おわら風の盆」で有名な富山市八尾町にはその名もズバリ「おわらサーキット」というところがあって、明日は県内の自動車ディーラーが主催するモータースポーツイベントがある。
予定では10時から16時となっているが、ずっといなければいけないイベントでもないだろう。
もし目的のものを早くに見ることができたなら、他の催しにも顔を出してみたい。
ちょうど空港近くの催事場では地元ラジオ局が主催する物産展もあるようだ。
明日はサーキット場を皮切りにして、富山市の南部をグルグルと気ままに回ることになりそうだ。
時間をうまく使って、楽しい休日にしたいと思う。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今夜はゆっくり

2013-10-04 23:18:58 | 日記
一週間の仕事が終わった。
棚卸し日から始まって、月が変わって二日間ほどは下半期のスタートで大忙し、がんばってくれた中学生の面々にも気を使いながらという中身の濃い週だった。
私自身は、月曜ながら半期締め当日を実感したく街に出てしまったため、翌日はやや睡眠不足であった。
体力的にはハードに過ぎた今週も、火曜の夜以降は十分に睡眠を稼いで何とか乗り切った。
週に二回も街に出る気にはならないし、今日は最後の最後に仕事が長引いてしまったから、まずはゆっくりして週末のことは明日の朝に考えたい。
それほど天気が良くないようだから、例によって洗濯や整頓を真っ先にやり、後は流れにまかせてでいきたい。

私の平日は、アラームを6時にかけている。
6時になるとすぐ近くにあるお寺さんが大音量で鐘を鳴らすので(冬場は6時半)、その二つでもって何とか起き出し7時少し前には自宅を出て会社に向かう。
毎度書いているように、7時前に出れば会社には間に合い過ぎるくらいに早く着く。
7時半に出ても何とか間に合うが、車の量が増えてきていて片道は10分くらい余計にかかってしまう。
私の車はとりわけ街乗りの燃費に難があることから、なるべく流れる時間帯、流れる道を選んであげる必要がある。
早く会社に着くことでもって何かをアピールなどという姑息なことを考えているのではなく、ただただ日々の節約の一環ということだ。

強力な「ツイン目覚まし」を擁していながら、それでも起きられない日がないわけではない。
いつもなら7時半過ぎには会社の中に入って、館内のPCや機器類のスイッチを入れたり、時には始業前ながら夜通し走ってきたトラックの相手をしたりする。
寝坊してしまって8時を過ぎるような時刻に会社に着くと、着替えを済ませたら間もなく始業時間となって余裕のない感じになる。
たまにいつもの時間に来ないと、周りからは「休みかと思った」とか「いちおう人間なんだね」などと言われてしまう。
当然ながら私は生身の人間であり、サイボーグやアンドロイドではないので、そう言われると複雑な気持ちになる。

仕事は日々ただただストイックにやりたいと思っていることが、人間らしさに欠ける空気を出すことにつながっているのだろうか。
非公式には、特に女性からは「話しかけづらい」という評判もよく耳にしてきた。
仕事を離れれば私もただのオッサンであり、仕事中でも時には手を止めない範囲でどうでもいいような雑談に興じる時もある。
群れるのが嫌いなのは認めるものの、他人を拒絶するようなキャラクターでないことは、日頃の言動や何度かの飲み会での姿を見れば分かると思うのだが、今の職場に来た当初のピリピリした印象がいまだに残っているということなのかもしれない。
全員に好かれるのは無理だし、話しかけてくれる人は徐々に増えてはいるので、細かいことは気にせず、これまで通り日々誠実に、筋を通すべきは通すというスタンスを忘れずにやっていきたい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

職場体験

2013-10-03 21:10:15 | 日記
今週の月曜日から、近くの中学校の生徒さんが職場体験に来ている。
会社の都合で月曜は仕事らしいことをしてもらえなかったが、火曜からは月初の忙しい雰囲気の中をフットワーク良く活躍してくれている。
毎年微妙なズレはあるものの生徒さんを受け入れるのはだいたい今の時期である。
わずか5日の間に何かをモノにするまでを要求するのはとても無理だが、職場の性格上はとにかく足を動かして目の前のものに積極的にあたってもらえればよい。
後になってわが職場に来てよかったと思ってもらえるように、学校からお預かりした大切な生徒さんたちには明日の最終日を気持ちよく締めくくってほしい。

私は残念ながらまだ人の親ではなく、この先そうなれるのかすら分からないという情けない状態であるが、同じ年代なら彼らくらいの子供を持つ人間が多いと思う。
そう考えると、仕事の中で中学生に恥ずかしいところは見せられないという公の思いとは別に、やがて人の親になる時が来るとして、ちょうど子供ほど年の離れた彼らと接する時間は私にとっても勉強になることが必ずあるはずだ。
実際に自分の子供となれば当然0歳から接することにはなるが、14歳くらいの少年というのはおおよそどんなものなのかをイメージするだけでも後々は違うと思いたい。

職場には、その学校の先生方が何人か入れ替わり立ち替わりで訪れて写真を撮ったりして帰っていく。
市内の様々な事業所に散らばっている生徒さんたちの日々の様子は、ほぼ即日A4サイズの速報として作成され、わが社にもそれが届く。
一週間ながら学校の外に出て社会に学ぶ機会というのは私の世代ではなかったし、いろいろな現場からのレポートを読んでいると自分たちの時代にもこういう試みがあればよかったのにと思う。
学校というのはある意味閉鎖的な空間であり、それ以外の世界を知る経験というのはほんの短い期間でも必要だと思う。

学校というのは集団生活の場ではあるが、よい結果を出すためにはとにかく自分が努力すれば済む。
ところが働きに出ると、自分ががんばるだけではなく、他人と協力ができないとよい成果は得られない。
学校の成績がいい子ほど、学校を出るまで何の問題もなく順調だった子ほど、社会に出た時に大きく挫折するケースが多い。
自分で何でもできてしまった子は、他人の手を借りて物事を進める経験に乏しいまま社会に出ることが多いからである。
社会に出れば学力よりも大切な能力があることに早いうちに気づくことができれば、まともな社会人に早い段階でなっていけるのだろうと、30代後半までそうなれなかった私などは思うのである。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひとつのケジメ

2013-10-02 21:34:21 | 日記
今夜は伊勢神宮の式年遷宮のハイライトである「遷御の儀」である。
なぜ20年に一度、同じ建物を造って、言葉は悪いが行ったり来たりを繰り返すのかといえば、確固とした説は実はないのだという。
弥生式の建物の耐用年数とか、あるいは神道的な意味での清浄さを保つためとか、何しろ1,300年前から続いていることに対して現代人は推測であたるより他はない。
ただ、宮大工さんの技術継承という意味合いでも20年に1度というのは大きな意味はあるようだ。
20年前に見習いだった職人さんが、20年間で蓄積した技を新しい神殿に捧げ、また次の世代に伝える。
効率やスピードがもてはやされる世の中で、こういった壮大なセレモニーが残っているのもわが国の長い長い歴史のなせるワザであろう。

さて、話はおとといに戻る。
富山市内の居酒屋でひとり飲みをしているところに、市内某スナックのママさんがやってきた。
6月末を境に、1つを除いてはスナック通いを控えていて、彼女と会ったのもまるまる3ヶ月ぶりであった。
お客さんを連れていたのでその場で話をすることはなかったが、居酒屋を出てから予定外ながらお店に顔を出すことにした。
平日でお客も少なく、たくさん話すことはできて楽しい時間になった。
中身を書くことはできないが、彼女は伊勢の式年遷宮にインスパイアされたというスケールの大きな理由から、一つの大きな転換を行うことをすでに決めている。
20年という長い時間積み重ねた実績に寄りかかることなく、まったく新しい世界に踏み出そうとしている。
もちろんシッカリ者の彼女のこと、以前から周到に準備を重ねてスムーズに転換できる段取りは整えている。
私と同世代にして、この段階からの向上心、好奇心にはアタマが下がるばかりだ。

出会ってからそれほど長くは経っておらず、長い長いお付き合いをしてきたお客など山ほどいるのだとは思うが、時間のわりには深く付き合えたとの言葉に偽りはないだろう。
彼女が考えている節目の日まではもうそれほど日数はない。
節目の日にはもちろん行くが、夜遊びを控える方針は変えないから、節目までの間にあと1回か2回行けるかどうかといったところだ。
いずれ、お店とお客として「向かい合わせ」ではなく、対等な立場で「席を並べて」飲みたいという話はお互いに以前からしているものの、そのためには私自身がそれにふさわしい男になっていなくてはダメだろう。
自己満足ではなく、その判断は彼女にゆだね、それを受け入れることにしたい。
たとえ顔を見ることができなくなっても、今この時点ですでに私という人間を最も深く理解してくれた女性の一人ということには変わりはないからである。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする