昔いた会社に奇妙な人間がいた。
あらかた富山県人ばかりの中で当人は他県出身であったが、ある日の昼休みには「立山には室堂というところがありまして…」などと講釈をたれ始めた。
富山県人なら誰しも立山に室堂があることなど知っていることも考えずにそんなことを言うのは、ただただ自分はそこらの凡百の人間とは違った物知りなのだと主張したい気持ちが先行してしまった結果だろう。
さて、その時からはずいぶん年数が経った最近のこと、同じような場面に出くわした。
我が社は日ごろ私がいる本社(便宜上そう呼ぶ)に加えて近隣にいくつか現場を持っている。
ある日は私にとっては初めてとなる現場でしばし作業をすることになったので、あるベテランさんが道案内をしてくれてそこにたどり着いた。
作業も終わって全員解散となりクルマに乗って帰ろうとするとそのベテランさんが私を呼び止める。
何かと思ってクルマを戻すと「ここからの帰り道分かる?この道をまっすぐ行って右に折れたら8号線に出るから」と言う。
本人はやはり他県の出だが日ごろの住まいはその現場のすぐ近くらしい。
ただ、初めて行く現場までの道案内をしてもらったことには感謝するが、見渡せば黒部市の新幹線駅もすぐ近くに見えている場所から魚津市出身在住の私が道に迷って自宅に帰れないことはあり得ない。
出たくもない土曜に出てきてしたくもないムダな手作業で疲れ切っていた後だったので、大きなお世話感を感じながら家路についた。
こんなほんの小さな例からでも分かることはあって、「同じ会社で後から入ってきた人間は自分よりは何もかも未熟でありモノが分からない」という脳内設定を持っている人間は少なくないということである。
初めて行く場所に案内なしで行けるスーパーマンなどいないが、そこからの道がもしかしたら分からないのではないかと考えるのは、社歴の浅い者には何事にもケアが必要であるというかなりバイアスがかかった思考と言っていい。
それだけ「社歴」に付いて回るプライドというのは厄介なもので、時にこういったナンセンスなやり取りを生む原因となる。
上のような半分はおっちょこちょいのようなやり取りならまだしも、そんな脳内設定がさらに強化されると「後から入ってきた人間は永遠に自分よりは未熟でロクな仕事もできない」ということになってしまう。
そう考える人間のアタマの中は、新しく加わってきた者が徐々にでも仕事を覚え成長していってはいけないということになっている。
どれだけ長年同じ仕事をやっても完璧の域にたどり着く人間はいないが、一定期間会社に通って何一つ覚えない人間もまたいない。
そんな当たり前のことが分からない人間が実際にいるのは恐ろしいが、そんな人間に限って箸の上げ下ろしのようなことにまで口を出してきたり何か失敗した時だけを狙ってからんできたりとロクなことはまるでない。
少し考えれば分かることが分からない理由は一言「恐怖」である。
絶対に口にすることはないが、実は自分の能力に自信がなく、後々自分を追い抜いてしまい現在のポジションを奪われるのではないかと身勝手にも恐怖している。
恐怖心は正常な判断を鈍らせるから、恐怖を抱いているうちはどうやってもこのくだらない脳内設定から抜け出せないということになる。
そこには「みんなが少しずつでも上手になって、結果ひとりひとりがラクになっていけばいい」などという発想が生まれる余地はない。
他人を攻撃して退職や休職にまで追い込んだところで人員不足のツケは自分にも回ってくるということすら考えられない人間は本来であれば組織には不要なのである。
あらかた富山県人ばかりの中で当人は他県出身であったが、ある日の昼休みには「立山には室堂というところがありまして…」などと講釈をたれ始めた。
富山県人なら誰しも立山に室堂があることなど知っていることも考えずにそんなことを言うのは、ただただ自分はそこらの凡百の人間とは違った物知りなのだと主張したい気持ちが先行してしまった結果だろう。
さて、その時からはずいぶん年数が経った最近のこと、同じような場面に出くわした。
我が社は日ごろ私がいる本社(便宜上そう呼ぶ)に加えて近隣にいくつか現場を持っている。
ある日は私にとっては初めてとなる現場でしばし作業をすることになったので、あるベテランさんが道案内をしてくれてそこにたどり着いた。
作業も終わって全員解散となりクルマに乗って帰ろうとするとそのベテランさんが私を呼び止める。
何かと思ってクルマを戻すと「ここからの帰り道分かる?この道をまっすぐ行って右に折れたら8号線に出るから」と言う。
本人はやはり他県の出だが日ごろの住まいはその現場のすぐ近くらしい。
ただ、初めて行く現場までの道案内をしてもらったことには感謝するが、見渡せば黒部市の新幹線駅もすぐ近くに見えている場所から魚津市出身在住の私が道に迷って自宅に帰れないことはあり得ない。
出たくもない土曜に出てきてしたくもないムダな手作業で疲れ切っていた後だったので、大きなお世話感を感じながら家路についた。
こんなほんの小さな例からでも分かることはあって、「同じ会社で後から入ってきた人間は自分よりは何もかも未熟でありモノが分からない」という脳内設定を持っている人間は少なくないということである。
初めて行く場所に案内なしで行けるスーパーマンなどいないが、そこからの道がもしかしたら分からないのではないかと考えるのは、社歴の浅い者には何事にもケアが必要であるというかなりバイアスがかかった思考と言っていい。
それだけ「社歴」に付いて回るプライドというのは厄介なもので、時にこういったナンセンスなやり取りを生む原因となる。
上のような半分はおっちょこちょいのようなやり取りならまだしも、そんな脳内設定がさらに強化されると「後から入ってきた人間は永遠に自分よりは未熟でロクな仕事もできない」ということになってしまう。
そう考える人間のアタマの中は、新しく加わってきた者が徐々にでも仕事を覚え成長していってはいけないということになっている。
どれだけ長年同じ仕事をやっても完璧の域にたどり着く人間はいないが、一定期間会社に通って何一つ覚えない人間もまたいない。
そんな当たり前のことが分からない人間が実際にいるのは恐ろしいが、そんな人間に限って箸の上げ下ろしのようなことにまで口を出してきたり何か失敗した時だけを狙ってからんできたりとロクなことはまるでない。
少し考えれば分かることが分からない理由は一言「恐怖」である。
絶対に口にすることはないが、実は自分の能力に自信がなく、後々自分を追い抜いてしまい現在のポジションを奪われるのではないかと身勝手にも恐怖している。
恐怖心は正常な判断を鈍らせるから、恐怖を抱いているうちはどうやってもこのくだらない脳内設定から抜け出せないということになる。
そこには「みんなが少しずつでも上手になって、結果ひとりひとりがラクになっていけばいい」などという発想が生まれる余地はない。
他人を攻撃して退職や休職にまで追い込んだところで人員不足のツケは自分にも回ってくるということすら考えられない人間は本来であれば組織には不要なのである。