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筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

一家ちりぢりの責任は?

2024-11-01 20:36:15 | 日記

※一部脚色しておりますのでフィクションとしてお読みください。

 

改まって全員が集められた会議の中身は驚くべきものだった。

売り上げの大方を占める取引が解消される方向となり、当該取引に関係する部署が他社に売られるという。

会社は残りの取引を続けながら存続するが、当該取引にかかわる仕事をしている社員はすでに決まっている受け入れ先への移籍を基本線として話が進んでいる。

詳細その他については未定の部分も多く、受け入れ先からの説明と個別面談の機会は後日用意されているとのこと。

 

そもそもの話として、規模はどうあれ取引先からの信用が盤石なものであったならば「切り売り」の決断をさせられるには至らない。

入社して長いとは言えない私はどういった状況がそうさせたのか、断片的に耳には入るものの正直言って分からない。

長らく、とある会社と何やら係争中という話だけは知っていても中身までは知らない。

ただ、取引先にとっては大切な商品の管理上看過できない事態が起きていて、残念ながら今後全幅の信頼は置きづらいという意思表示があったものと思われる。

 

話だけ聞けば、非は我が社よりも係争先の方にかなりのものがあるらしいが、とにかく中身はよほど詳細に聞かないと分からないし今さら聞く気もないから何とも言えない。

ただ、そういうアクドイ(?)先に何かのキッカケで引っ掛かってしまい、最終的に会社規模の縮小に至った結果責任は我が社の経営サイドには当然ながらある。

経営にとっては小さくなっても会社がなくならずとにかく続けばいいという話かもしれないが、一般の社員は今回の事態により引き裂かれてしまう。

売られる部門の社員は手続きが整いしだい我が社のロゴが入った作業服を脱ぎ、新会社の真新しい作業服で日々を送ることになる一方、存続する部門は当然ながら今まで通りである。

毎日朝礼で輪になっている社員がふたつの会社に分かれていくこと、また毎朝指示を出している上席者も手続き完了の折にはアカの他人になってしまうことには「やりきれない」という思いしかない。

 

私自身はわずか一年と数か月という短い期間とはいえ身に余る仕事をいただき食べさせてもらってきた会社に感謝の気持ちは当然ある。

私にとっては前職でお世話になった「恩人」を追いかける形で応募し幸運にもご縁をいただくことができ、当初は陰惨なイジメにも遭いながら何とか乗り越えて今日までやってこれた。

同時に、事の経緯が見えてくるにつれて怒りのような感情も湧いてくる。

生活の糧をいただいてきたことに感謝こそできても、実態が「信頼にまでは値しない」会社であったとなると何とも表現のしようがない感情に襲われる。

良く言えば細かくない、悪く言えばルールらしいルールがない、何かにつけアイマイな部分をはらんだまま日々が流れていたことは私にとっては結構なストレス要因となっていた。

私は今の勤務地から言って「移籍組」になることが濃厚なので、アバウトそのものと言っていいガバナンスが多少は良い方向に行くことは期待している。

もっと言えば、しっかりとしたルールにのっとって運営される環境を切望していた部分もあるから、個人としては今回の事態はむしろ歓迎すべきことなのだろう。

受け入れ先からの説明はまだだが、調べる限りでは「格が違う」くらいの印象はありガバナンスに関してはほぼ心配はないのではないか。

 

今回のように会社が割れてしまう事態というのは長らく社会人をやってきた中でも初めてのことだ。

ただ、若い頃は僭越ながら企業(財務)分析も担当していた関係で、企業というものを俯瞰的客観的に見る目も多少は残っている。

企業に何らかの変化が起こる時に共通した「兆し」が今回も見られたことを記して記事を閉じることにする。


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口が軽いのは

2024-10-30 19:09:58 | 日記

全員が輪になる機会は毎日の朝礼くらいしかない我が社で珍しく終礼なるものがあった。

文字通り珍しいことで対象者も全員、しかも本来であれば夕方前に帰宅するメンバーもということで「イヤな予感」はした。

果たして中身は予感をはるかに超える重いものであったため詳しくは書くことはできない。

我が社の中だけで済む問題ではないことがその理由である。

ただ一つ言えるのは、我が社の日頃のガバナンスの積み重ねが招いた事態であること、それだけである。

 

あくまで一般論として書くが、経営サイドから「もうひと踏ん張り」とか「今少しの辛抱」などという言葉が出る時はその後高い確率でしぼんでいくかひどい時は終わる。

こういう言葉が出る時点ですでに解決しようがない問題を抱えていることが多い。

技術論ではなく精神論を言うしかない組織はその時点でかなり弱っているということである。

 

私個人に落とせば今後に関して困ったなと思う要素は今のところはない。

今のところはと書いたのは、これまでとはわずかながら変化が見込まれる中でそのわずかが納得できるものになるかどうかが分からないからだ。

望めば同じ場所で同じ仕事を続けていけるようではあり、その基本線上にある限りは受け入れられないことはないだろう。

 

果たして大変に大きな話が飛び出したのち、メンバー間ではやはり話題にはならざるを得ない。

ところが、世の中にはオシャベリという困った種類がいて、私は目撃していないが出入りの業者さんにもペラペラと話していたという。

それを察した上の人が事務所から飛び出してきたというからいかに軽々しく扱ってはいけない話かということなのだが、こういう、煮ても焼いても食えない人物もいるのが残念ながら我が社である。

もっとも会議の中身は「決して口外はしないように」と解散前にクギを刺しておけば済んでいたこと、このあたりも含めた会社としてのワキの甘さが多方面で災いしたことは否定できないと思う。

 

ガバナンスという言葉を出したが、今後はそのあたりが改善する可能性はある。

いい意味で常識にかかった、今よりは厳しく見えても実はそれは当たり前、くらいのガバナンスになるなら私にとっては願ったりかなったりである。

幸いにしてまだ我が社での時間が短いこともあり、私自身はよからぬ習慣に染まっていない自負はある。

むしろ、これまでのユルユルのガバナンスから多少変わって「ついていけない」者が出る可能性はある。

ぬるま湯につかり切っていた人間が淘汰されていくにはいいタイミングなのかもしれない。

 

今のところは「方向」が示されているだけであり、何かを考えるにもこれからと言うしかない状況ではあるが、少なくとも「悪い」ということは全くないので、今後も変わらず日々を誠実に乗り越えていきたいと思う。


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相互不干渉成立

2024-10-24 20:06:42 | 日記
今日は短く。

仮に現場をエリア1及びエリア2として、私を2とする。

やはり1側はあくまでも私を拒んで日々を回すつもりのよう。

寂しいことだがそれが現場の意思ならば仕方がない。

こうなれば1と2は全くの相互不干渉でよい。

どちらかがいかに多忙でも手出し口出し一切ナシ、場所の融通もナシ。

これからは自分のことだけやって終わればサッサと帰る。

以上。

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2024-10-23 22:01:48 | 日記

我が現場は構造上「ここに行けばこれがある」ということにはなっていない。

出ていくもの入ってくるもの、またその分量も日々違うので同じ場所でも昨日あったものと今日あるものが違うことは珍しくない。

成り行きにより、棚の中の見ばえがやや不格好になることもあるのは仕方がない。

 

不格好になれば整頓するのがメンバーの一つの役割でもあるが、ずいぶん前のたいそうヒマなある日、通常なら整頓には参加しないメンバーにも覚えてもらおうということで、ある人が責任者から声がかかってやり始めた。

すると、全く同じ製品が離ればなれになっていたので並びにできないかと日ごろ整頓をしている某メンバーに申し出た。

だが、返ってきた答えは「事情が分からない人間はヘタに触るな」という何ともつれないものだった。

今までやったことがないからやってみましょうと言われて初めてやっている人に対する答えとしてはあまりにも冷たいと感じたものである。

 

私は横にいて見学しているだけであったが、ちょうどタイミング的には各列の「空き数」をカウントした直後であった。

毎日のカウントに基づいてその日の入荷物の入れ場所を決めるのだから、心情的には並びにしたくなるモノであっても空き数カウント後にそれが変わるような整理をしてはせっかくのカウントが無駄になってしまう。

だから、初めて挑戦している人に対する答えとしては「気持ちは分かるけど、空き数を調べた直後だからタイミングとしてはNGだね」と言えばよかった。

 

我が社は運送屋さんでもあり倉庫屋さんでもあるが、盆前にあった宴会に参加した時、倉庫メンバーは幹事と私だけであとはドライバーさんだった。

気の張らないメンツというのは本当で、ずいぶんカラッとした雰囲気を感じたものである。

となりの芝生は何とやらなのかもしれないが、私のいる倉庫はドライバーさんの世界とは違って何とはなしにジメジメとした雰囲気があると常々感じていたし、それは今も変わらない。

上に書いたやり取りでも分かるように「事情が分かる人間が増えすぎては困る」と思っているメンバーが確実に何人かいるのがその原因である。

みんなが少しずつでも新しく仕事を覚えて全体として徐々にでもレベルアップすれば日々の仕事も早く終わることができてラクだなどという発想は毛頭なく、自分たちが主導権を取れる状況が少なくなってしまうことを恐れているようにしか思えない。

 

職場そのものや日々の仕事に関しての情報が、仕事をしていてあまりにも流れてこないと感じているのは私だけではないはずである。

情報をあえて流さず自分たちだけで抱え込んで自分たちの思い通りに職場を動かしてやろうという、ある種の特権・権益が自分たちには「ある」と信じているようだ。

だが、歴の浅いメンバーとて人生経験は長いのでそのあたりのことは薄々でも気づいてはいて内心かなり不満はあるのが分かる。

日々懸命に前向きに動いているように見える他のメンバーも、実は彼らに無用にオラつかれるのがイヤで仕方がなく動いているに過ぎない。

両手にもならない数のメンバーのごく一部とそれ以外の間に残念ながらこれほどまでに深い溝ができてしまっている現状では、カラッと明るい雰囲気になどなりようがない。

 

今の今まで自分たちだけが心地いい生ぬるい空気の中で仕事をしていきたいと思い、空気を変えそうな人間はあらゆる手を使って排除してきた集団が強いものであるはずがない。

人が足らないなりに強い組織であろうとすればひとりひとりが全ての担当をひと通りできるくらいでなくてはいけないのに、いつまでも自分たちだけ現状維持で、面倒なことは下にやらせればいいというのでは組織としては弱る一方、自ら滅びを選択しているようなものだ。

我が現場は、短期的には人が足らないなら「補充」もいいが、中長期的には人の大幅な入れ替えも含めた「補強」が必要な段階にどうやら来ていると言わざるを得ないのである。


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いや、ホンマ、マジで、何してんねん

2024-10-17 21:54:45 | 日記

3連休が明けたが我が現場は特に変わりはない。

来週あたりからまた仕事が活発になるとはいうが、朝礼などで話題になる「仕事」とはもっぱら出す方のことで、入れる方の仕事である私とはほとんど関連がない。

出す方は活発ではないが入れる方は今週はかなり活発なので私自身は忙しい。

忙しいが再三書いている通り私のエリアはひとり部署なので誰かが手伝いに入ることはない。

あまり無理はしたくないが、定時を意識してヤバいと思えば多少休憩を削って定時内に終わることを優先させる。

時間の使い方や管理も任されている以上、時間が足らないと思えば捻出するのは当たり前のことだ。

 

私が入ってからは現場には新しい人が入らないので今のところはいちばん歴が浅いのは私である。

同じくらいに入った人もいるが病欠期間がかなり長くなってしまい「出場回数」ということで言えば私のほうが多くはなった。

とはいえ、このままなら永遠の下っ端という立場は変わらないことになる。

ただ、下っ端だからといってひたすら腰を低くしているかといえばそうでもないからか、至るところで私の悪評をまき散らしている人もいるようだ。

私は仕事場で会う人は仕事ぶりでしか見ないこと、またいかにも清潔感のない人はいわゆる生理的に無理ということが合わさってかなり適当に扱っている人もいるのでそういう人に好かれることは永遠にないし、好かれなかったところで人生に何ら影響はない。

 

いちばん社歴が浅いのが私ということは、私以外は全て私よりベテランということである。

ひとり部署の私を差し置いて、ベテラン総出で毎日の業務に当たっているのはそれだけ仕事の密度も濃く量も多いからではあるが、できばえの良し悪しは別として終了時刻が早いのはたいがい私の方である。

人繰りクルマ繰りなどいろいろな外的要因があることはもちろん承知の上だが、たかが下っ端のひとり仕事にこうも毎日「惨敗」していてどうするのかとは思う。

私自身は、早く終わって余裕ができても、自分のことが終わったからいいや、ということにはせずできる限りは手伝いはしているつもりである。

 

しかし私のエリアは、誰かに手伝ってほしくてもスペースの都合や他のメンバーが本格的には担当したことがないので事実上手伝える人がいない。

私の方が終了が遅くなる日もあるにはあるが、そういう時は全員とは言わないがサッサと帰ってしまわれる日もあり正直不公平感はある。

不満をためてもしょうがないので「それならアンタらよりはよ終わったろやんけ!!」と思って毎日やっているのが結果的に毎日の早期終業につながっている。

 

実際に言われたわけでもないので推測でしかないが、ここのところは、日中は別の仕事をしている私をあくまで遠ざける形で日々の仕事を回そうとしているようにも感じられる。

日々私からの情報が必要な場面も、直接は聞きに来ないで短時間勤務の高齢の方に聞きに行かせるくらいだから、現場として何らかの意思でそういう方向に舵を切ったものと思う。

ベテラン勢の意地と言うにはあまりに低レベルで何と言っていいのか分からないが、張れるだけの人数を張り時には短時間勤務者にも残業をさせてまで仕事をしているのにもかかわらず、たかが私ごときのひとり仕事にほぼ毎日遅れを取っているようでは「何してんねん」と言われても反論するのは難しいのではないだろうか。

 

我が現場における何ともイビツな力学、薄気味悪いジメジメ感は、一部のメンバーが抱える「特権意識」から来ているものと思っているが、それについての考察は次回とする。


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危険な賭け

2024-10-15 21:26:35 | 日記

3連休とはいうものの外出したのは土曜の1日だけ、それもそれほど無理な行程でもなかったはずなのに日月とほぼ眠りこけてしまった。

昼夜問わず、横になったと思ったらもう眠っているような状態で、これは担当替えから3か月あまりの見えない疲れだろうと考えるよりない。

9月の終わりには上半期の棚卸があって、これには我が社ばかりでなく取引先の皆さんも参加した。

全く滞りなく在庫のカウントは終わって変な差数も出なかったのでひと安心ではあったのだが、担当替え以降では初めての本棚卸ということでかなり緊張があったことは確かだ。

日々いろいろなことを乗り越えてきて、知らず知らずの疲れがたまっていたとするならゴロゴロも決して無駄ではなかったと言える。

 

連休が明けたところで現場には大きな変化はない。

明るい人は明るいし暗い人は暗い。

動く人は動くし動かない人は動かない。

ジメジメしている人がたかだか3日の休みでカラッとした人間にはならない。

 

我が現場では、入ってくる人がことごとくつぶされて辞めていった時期があるらしい。

辞めていった人がいるから私が今いると言われればそうなのだが、一挙手一投足にダメ出しをして精神を病むまで追い詰めてでも新しい仲間となるはずだった人を排除してきた歴史があるというのはそれこそ何とジメジメした職場であろうか。

直接的に攻撃を仕掛けるのはいつも決まった人間である。

今の私から見れば救いようがないほどにスキルが足らないし参加できる仕事も極端に少ない。

何でこんな人間に振り回されていたのかと思うくらいだが、入ったばかりで何も分からないうちはやはりつらかった。

何人かは仕掛けがハマり実際に辞めているので当人にはそれが成功体験として刷り込まれてしまい、新しく来た人間には飽きることなく同じ手を使うのが入って間もなくの時期に分かった。

 

しかし、こういう人間の愚かなところは、相手が度重なるイジメにもへこたれず会社に出続けそのうちに仕事に慣れてしまうという可能性を全く考えないところにある。

自らの地位を脅かされるのではないかという身勝手な恐怖からありとあらゆる手を使って排除することでアタマがいっぱい、なまじ何人かで成功しているのでどういう接し方をすれば他人が嫌がるかはよく学習できているため仕掛けが成功しないはずがないと思っている。

それでもそれを何とか乗り越えてしまう相手が現れた時、こういう人間は非常にもろい。

しまいに当初散々アオり立てていた相手からアオり返されるなどということになるとこれはもはや当人にとっては地獄である。

 

何も分からない相手をアタマからつぶしてしまおうと考える人間のレベルなど、作業もそうだが人としても多寡が知れている。

わずかな成功体験に酔いしれ調子に乗って同じ手口ばかり使って何とか自分を守ったところで、引っかからない、へこたれない相手に当たってしまえば何もかもが雲散霧消する。

今イジメている相手が時を経て慣れるとか上達するとかの可能性をわずかでも考えない、下手をすると仕事で上回ってくるかもしれないということすらアタマに浮かばない状態で他人をイジメることがいかに危険な賭けかということである。

賭けに負けた瞬間から当人にとっては毎日が生き恥となって、ついにはイジメた相手からもバカにされることになれば果たしてそんな日常に耐えられるのかとすら思う。

それでも今さらそんな人間が劇的に変わるはずもないので、私が在籍し続ける限りは思い切り冷ややかな目で見つめ続けると決めて記事を閉じることにする。


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墓穴

2024-10-05 23:08:14 | 日記

今日は土曜当番、少しヒマになったところで指示役から声がかかって、とある仕事を命ぜられたので昼ご飯に前後してかなり長い時間倉庫の中にこもることになった。

当日は土曜日ながら多量の入荷物があるのであらかた倉庫内の運搬で過ぎていくかと思いきやそれはしなくてもいいと言う。

命ぜられた仕事だから黙々とやってはいたが、その間にもモノは倉庫内をどんどんと移動する。

運搬作業には大型ドライバーさんの姿もあった。

 

本来、倉庫内の運搬は私も含めた倉庫メンバーの仕事であり、ドライバーさんは我が社とメーカーさんの往復に集中してもらって取り下ろしと運搬の負担はなるべくかけないのが筋である。

ドライバーさんだってフォークリフトには乗れるので手伝いに入っていただく分にはありがたいが本来業務を超える負担であることには相違ない。

ただでさえ人が少ないところ、倉庫のメンバーである私を運搬からあえて削って別作業にあてた意味が分からなかった。

運搬の間はドライバーさんは当然クルマを動かせない。

何往復も必要だった今日、明らかな時間のロスになるのは小学生でも分かりそうなものだからだ。

 

指示側がなぜこんな判断をしたのかは分からないが結果的には明らかなミスであったと言わざるを得ない。

私を含めて仕事を終わらせてしまった人間が掃除やヒマつぶし程度の仕事をする中で、指示者も含むたった2人だけがアクセクと定時間際まで作業に追われていた。

ドライバーさんを本来業務に集中させていれば今日の仕事など余裕を持って終わらせることはできたのに、私を本来の流れから外して結局収束時間が危うくなるなどミスを通り越して大チョンボと言われても仕方がない。

日ごろ現場の采配を一手に引き受けて奮闘する姿は私自身お手本にするべきところ多しとして見てきたが、ややもすると何もかも抱え込みがちなところも無しとは言えず、ここ最近は不可解な采配も目立つ。

珍しく今日は作業上のミスも目撃したし、今週は特にナーバスな感じではあった。

 

とはいえ、休んでいる人間が現場を回せるはずもなく、動かす側は出てきている人間をうまく使う必要がある。

今日のように誤った使い方をすれば、定時に達することなどほとんどない土曜すらギリギリになる。

指示役の腹のうちは知らないが、あまりに露骨なことをするなら平日は今日どころの騒ぎではなくなり、文字通り墓穴を掘ることになると警告してエントリーを閉じることにする。


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47-45

2024-09-13 22:01:40 | 日記

今週は土曜当番ではないので勤務は今日で終わりである。

仕事はいつもながら文字通りのマイペースで進められるので、たとえ仕事量が多くても気分的にはラクだ。

わずかなエリアとはいえ自分の裁量で管理をしながら仕事ができる今は来た当初とは違って充実している。

たかだか一年前に来た人間が仮にもひとつのエリアを管理するなど自分もそうだが他の誰が想像したろう。

管理はほとんどできないクセに自分を「指揮命令系統側」の人間だと勘違いしている一部のメンバーには入った当初それはそれはひどい扱いを受けたが、今に至ってひどい扱いをしていた方が実はポンコツだとバレてしまった。

私が在籍し続ける限り毎日が生き恥という状態に果たしてどこまで耐えられるものか。

 

休みが土曜完全休でないこともあって職場で過ごす時間はどうしても長くなるが、我が現場は人間の集団としてはかなり幼稚な部類に入る。

仮にも組織のトップが仕事中はヘルメットをしろと言ってもガン無視してしまう一方、コロナ患者が出た途端に急に換気やマスクをし始めたのは滑稽と言うしかない。

職場はあくまで仕事をしに来ているという割り切りを持たないことにはこんな集団のよからぬ雰囲気にいつの間にか染まってしまう。

仲間なのだから仲良くしなければならないとは決して思わない。

関心事は自分たちの身の回りと食い物くらいで世の中の様々な事柄を話題にすることができない集団に無理に溶け込もうとしたところで得られるものなど何もない。

 

さて、そんな体内磁石を狂わせるような環境のことはひとまず忘れて明日から久方ぶりの遠出をする。

ドジャース大谷選手の「50-50」が成るかが話題だが、今回の旅で私は「47-45」となる。

47が何かと言えば都道府県、45は都道府県庁所在都市、となる。

47都道府県には2016年に大分県を最後に全て足を入れることができたが、まだ行っていない県庁所在都市が3つあって今回その1つを消化する。

こういうコレクション旅は足を入れることが目的だから、〇〇に行けなかったとか△△が食べられなかったなどの減点要素が全くない。

当日の気分や天気などで現地での予定がたとえ変わってしまっても「とにかくその土地に行けばよい」旅なのだから、観光やグルメはそのままプラス要素にしかならない。

 

まだまだここ北陸でも残暑厳しい中、旅行先も決して涼しいところではないので暑さ対策はしっかりしたい。

せっかくの旅行中に体を崩してしまっては台無しである。

若い頃のような移動移動の無理やりな旅はもうできない。

目的地では時間に余裕を持ってじっくりと味わうような流れになればいいと思う。

今回は小型のPCを持っていく予定なので、旅行先からも本欄の更新ができたらいいなとも思っている。


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楽しいこと、ありますか?

2024-09-04 19:12:07 | 日記

昼休憩が終わったら缶コーヒーを一本グイっと飲み干して午後の仕事に向かうのがルーティンである。

財布をのぞくと小銭は新500円貨しかなくいまだに我が社の自販機は非対応のため使えない。

仕方なく1000円札を入れたら反応せず戻っても来ない。

入れるときに端が少し折れ曲がっていたから詰まってしまったようだ。

困ったなと思って事務所を通じて業者に電話をしてもらうかもらわないかのタイミングでなんと業者さんが現れた。

業者さんは補充とゴミの回収が目的で毎日訪れるわけではないのに何という幸運、詰まった1000円札も無事に戻ってきたので重々お礼を申し上げて午後の仕事に向かった。

 

さて、毎日同じ場所でかれこれ一年以上働いているというのに、いまだに仕事を離れた時の姿がサッパリ想像できない人がいる。

なぜできないかと言えば、休憩時間に周囲と決して交わらないからである。

我が社には冷房も効いてテレビも見られる休憩室がちゃんとあるからそこで休めばいいと思うし現場ではできない話も当然ながら出るから休憩室は一定のコミュニケーションの場として立派に成り立っている。

それを決してそこには来ないでわざわざ自分のクルマに戻ってエアコンをかけて過ごし無用なガソリンをばらまいて仕事に戻る。

休憩室の利用は必須とはなっていないのでどこで休憩しようと自由は自由だ。

しかし、皆が集まる場であえて休憩しないのは一言「できない」からである。

 

休憩室に来ないで休憩するのは確認する限りでは単独ではなく二人ほどいる。

そのどちらもが今どきで言うところのパワハラ気質で弱い立場や事情が分からない者に対しては滅法強い。

ちょっとしたことですぐにガナり立てる性格はとっくにバレていて周囲から敬遠されているのは当人たちも分かっている。

自分たちを嫌っている人間が集まっていると分かって休憩室に行くなど当人たちにとっては怖くてとてもできないというのが本当のところなのだろう。

 

この両名は特に管理的な仕事をするわけではないのになぜかけっこう威張っている。

現場の管理全般は社長から指名された若きリーダー氏がその責を担っているから当人たちが何と言おうと実質はリーダー氏の指示を聞いて動いているだけである。

だからかどうか知らないが、両名の表情はいつもとても暗く退屈そうで不満もにじむ。

若い社員にあらかたを仕切られるという、よほどのことがなければ変えられない現状が本音では不満で仕方がないが残念ながらリーダー氏を上回るような能力もなければアイデアもない。

積もり積もってしかしどこにも持っていきようのない感情が時に弱い者に対して向けられる、と考えれば一連のパワハラまがいの言動も納得がいく。

 

この両名のような、ひとりの人間としての生きる楽しみはすでにどこかに置いてきてしまいもはや弱い者イジメが人生の楽しみになっているようにすら見える人間にはお気の毒以外の言葉が見つからない。

楽しいこと、ありますか?と面と向かって聞かれたところできっとすぐには言葉は出てこない。

堂々と胸を張って「楽しみは弱い者イジメです」とはさすがに言えないから黙り込むしかないわけである。

 

人生を楽しくするためには、明るく生きる、たったこれだけで足りる。

しかし、いつまで経ってもジメジメネチネチ暗くて湿っぽい心持ちのままでは毎日が楽しくなるはずもなく、楽しく生きている人間がうらやましいだけになり、こうなるともう悪循環そのものである。

こちらとしてはそういう負のオーラに引きずり込まれることのないように、明るく楽しく日々を過ごしていきたいと思う。


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外の人から見れば

2024-09-03 21:26:37 | 日記

9月に入り我が現場もようやく落ち着きを取り戻しつつある。

少なくとも無理やり感の強い嵐のような日々は過ぎた。

今日は人によっては定時上がりとなり、私もごく短時間の残業で済んだ。

8月は日によっては20時台でも宴たけなわという日があった。

疲れは各人それぞれたまっている。

帰れる日には早く帰るのが賢明だ。

 

さて、現場はいろんな都合や病欠者のために人手は足りていない。

募集をかけているかどうかは知らないが現場に人が入ってくる気配はない。

代わりと言っては何だが事務方はけっこう人が入れ替わっている。

つい先日自己紹介をした人が数週間後には姿が見えなくなり新しい人が次々とやってくる。

メンバーが全く入れ替わらず在籍が長くなりすぎて伏魔殿化するのも困るが、こう頻繁だと何が悪いのか心配になる。

 

新しく入ってくる人の中には、我が業界が初めてとかずっと違う業種にいたという人もちらほらいる。

「外の人」と言うと語弊があるが、そういう人は第三者的に物事が見えるから自分たちでは気づかないことにも気づいたりするので発言や行動は無視できない。

我が社我が現場の常識が人によっては奇異に映ることだってある。

今朝は「現場ではヘルメットはかぶるように」という発言があった。

とりあえず暑い季節のうちは未着用でも黙認されてきていて、誰もそれに疑問をはさむことはなく、はさめる雰囲気でもない中であえてこういう発言が出るのはやはり我が現場の光景が奇異に思えたからだろう。

高所にも製品その他が積み上がっている現場にいるのに暑いからと言ってノーヘルでいていいわけはないが、我が現場のメンバーは8割方日頃からかぶる習慣がなく、今日もお達しがあった直後だけかぶって数時間後にはノーヘルで作業するツワモノがいたから発言の主もアタマを抱えたに違いない。

 

休日にひとたび公道を走れば、草刈りであろうが工事であろうが旗振りの警備員さんであろうが現場と呼ばれるところでヘルメットなしで作業している場面にはまず出会わない。

現場では当たり前の装備であるヘルメットが我が現場では常識ではないこと自体が第三者から見ればおかしく見えてそれこそ当たり前であって、長年の雰囲気に染まりきってしまうと非常識が常識としてまかり通る悲しい現実がある。

もし我が社にとってVIPクラスの方が来訪し「現場を見学したい」と言ってきたらどうするのか。

今は折りたたみ式の簡易なヘルメットもあるからそういうものを着けていただけばよいと思うが、もしノーヘルで見学させて近くの作業者が手順を誤って何かが落ちたとしたらどうなるか、会社の落ち度でVIP(もちろんVIPでなくてもだ)に万一の事態が起きたらどうなるか、の想像力もないとしたら我が社は少なくとも安全第一の世界にはおらず、売上なのか利益なのかは知らないが安全とは違う何かが第一になっていると考えてよい。

 

目の前の売上、目の前の利益に拘泥しすぎて誰かが傷ついたり果ては命を落としたりしてからでは遅い。

会社としての管理体制が大きく問われれば皆で懸命に積み上げた利益など一瞬で吹っ飛びなおマイナスになるかもしれない。

ただでさえ現場は疲弊している。

せめて各人の身の安全に最大限配慮した運営にはならないものか。

健康管理は各人の責任だが、現場の安全は会社の責任だ。

常識のある職場と言われるため、まずはテーマを絞って、それこそこの機会に各人のヘルメット着用徹底から始めてみてはどうかと思うのである。


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