スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

将棋大賞&表象像の対象

2010-04-03 19:08:44 | 将棋トピック
 2009年度の将棋大賞が31日に発表となりました。
 最優秀棋士賞は羽生善治名人。名人防衛,棋聖防衛,王座防衛。タイトル数こそひとつ減りましたが,ほかに朝日杯とNHK杯で優勝していて,当然の受賞でしょう。一昨年,昨年に続き3年連続17回目。
 優秀棋士賞は久保利明二冠。王将挑戦,奪取,棋王防衛。そして順位戦A級復帰。羽生名人の一角を崩したわけで,これも当然の受賞。記録部門でも2年連続の最多対局賞でした。
 敢闘賞は木村一基八段。棋聖挑戦,王位挑戦。共にあと一歩のところで初のタイトルは逃してしまいましたが,逆にいえばいかにも敢闘賞という感じはします。
 新人賞は戸辺誠六段。順位戦の昇級以外にはっきりとした実績はないのですが,現在参加している王位リーグでは白組で強豪を連破し3連勝で首位に立っています。僕の印象ではプロになってからぐんぐん力をつけているという感じで,今年度以降の一層の活躍が期待されます。
 最優秀女流棋士賞は里見香奈女流名人倉敷藤花防衛,女流名人位挑戦,奪取。素晴らしい活躍で当然の受賞でしょう。
 女流棋士賞は清水市代女流二冠。女流王位を奪取し,女流王将を防衛しましたからこちらも当然。僕はまだ巻き返しがあるものと思っています。
 升田幸三賞は引き角戦法の飯島栄治六段。確かに対振飛車戦で角道を開けないというのは画期的な戦法だと思います。
 名局賞は先日の棋王戦の第五局。これはファンも投票が可能で,僕は王位戦の第七局に投票しました。どちらかといえば受賞した将棋は泥試合で,純粋な将棋の質という面では僕は僕が投票した将棋の方が上回っていると思っています。ただ,それとは別に,心に訴えかけられるという点では,棋王戦はすさまじいものがありました。人間と人間が闘っているからこそ将棋というのは崇高なものなのだということを如実に示した将棋であったと思います。僕の将棋観も少しだけ変わった一局です。
 名局賞の特別賞は,深夜の千日手指し直しで長時間の対局となった一局です。
 その他の記録部門は最多勝利賞と最高勝率賞が豊島将之五段,連勝賞は阿久津主税七段でした。

 観念の対象といわれる場合には,少なくとも『エチカ』においてはやや特殊なことばであるということを念頭に置きつつ,ここでいう尿意の対象,あるいはもっと一般的に表象像の対象ということを,それ自体でみられるような場合にはどう理解すればいいのかということを考えていきましょう。
 まず,いかに表象像の対象といっても,これを神に関連させて考えさえすれば,これは混乱した観念ではなく,十全な観念として把握することが可能です。よってこの場合には,観念の対象ということを実在的な意味,あるいは有と無の関係における有であるものと考えて何ら差し支えありません。こうしたことはこりん星の場合とかペガサスの場合のように,明らかに対象ということをそれ自体で考えようとするなら無であるとしか考えられないようなものでも妥当するわけですから,ここでいう尿意のように,それ自体では混乱した観念であっても,対象については明らかに実在的であるといい得るようなものならなおさらそうであるといえると思います。
 しかしもしも観念の対象というとき,これ自体で実在的な意味を含まなければならないと考えるのなら,実際には尿意の対象といういい方は成立しないのだろうと思います。表象像あるいは混乱した観念が,それ自体で実在性を含有するというようには,やはりスピノザの哲学では考えることはできないと思うからです。
 ただし,ラテン語におけるideatumという語が,それ自体では実在性を含有していなくても構わないと考えることはできます。というのは,第一部公理六で真の観念はそのideatumと一致するといわれるのなら,これとはちょうど逆に,誤った観念はideatumと一致しないといういい方も,僕には不自然とは感じられないからです。よってこの場合には,尿意の対象といういい方も,十分に可能であるといえるのではないでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする