スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

玉野記念&知覚と想起

2008-11-24 19:03:37 | 競輪
 倉敷も玉野も岡山県ですから,ここ数日のこのブログは,何らかの形で岡山県に関係しているということになります。今日は玉野記念の決勝(動画)でした。
 前で受けたのは荒井選手。実質は2分戦ですので,菅田選手から追い上げていきましたが,南関東勢は山崎選手の位置で競ったようで,このときは村本選手が番手にいました。打鐘前のバックで山崎選手が外を追い上げると,打鐘では山崎選手が菅田選手より前に。霍乱戦法だったのかもしれませんが,通用せず,インからの菅田選手の先行に番手は村本選手。飯嶋選手と鈴木選手が絡んだので,3番手に山崎選手が入り,以下,鈴木選手-飯嶋選手と続きました。
 山崎選手はバックではむしろ後ろの荒井選手を警戒。その荒井選手の発進は残り半周のあたりから。これに合わせて山崎選手も出ましたが,荒井選手のスピードがよく,ゴール寸前で捕えて荒井選手が優勝。山崎選手が2着で菅田選手の番手を取りきった村本選手が3着でした。
 優勝した佐賀の荒井崇博選手は4月の武雄記念以来となる今年の記念競輪2勝目。通算では10勝目。南関東が自在戦を選択した段階で,このような展開は予想され,そういう意味では狙い目であったのですが,近走が明らかに不振に感じられたので軽視してしまいました。本来の力からすれば,もっと上のレベルで戦えるだけの選手だと思います。
 結果的には山崎選手に絶好であった筈。どうも今節はスピードの乗りが悪いように思えました。

 この第二部定理一七系の説明により,僕が表象の種類として知覚と想起とを分類するとき,そこにいかなる相違があるのかということが理解してもらえるのではないかと思います。
 もしもある人間Aが現実的に存在して,さらにこのAの前に,何らかの物体Xがあったとします。このとき,XがXの本性を含むような仕方でAの身体を刺激するとき,AはXが現実的に存在すると観想します。これを僕はAの精神によるXの知覚といっていて,これは今回のテーマである第二部定理一七によって示されていることです。またこのとき,Aは第二部定理一九により自分の身体が現実的に存在するということも知覚しますし,第二部定理二三により,自分の精神が現実的に存在するということも知覚します。もちろん知覚するからといって,僕たちがそれを意識するかどうかはまた別の話で,これは無意識と意識の関係が,観念と観念の観念の関係にあるということで説明されます。ただしこのことについてはここでは詳しい考察を省略します。
 これに対して,もしもAがXを想起するという場合には,Xが実際にはAの前には現実的には存在していないということ,あるいはより厳密にいうならば,Xがその本性を含むような仕方でAの身体を現実的には刺激していないということを前提としているのです。このとき,もしもかつてAの前にXが現実的に存在したならば,あるいはXが本性を含むような仕方でAの身体を刺激したということがあったならば,AがXが現実的に存在すると観想することをAによるXの想起と僕はいっています。
 これらのことは当然のことと思われるかもしれませんが,第二部定理一七系の証明や,また,人間の精神が外部の物体を想像するということがいかにして可能になるのかということを考察していく上で,とても重要なことだと思いますので,あえて説明しておきました。
コメント
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