スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

将棋キャリア&第一部定義六説明

2007-07-30 20:54:11 | 将棋トピック
 以前に競馬キャリアプロレスキャリアについては書きましたが,僕の将棋キャリアはそれより古く,小学校の3年か4年のときにスタート。家族旅行先の旅館に盤と駒があり,そこで父に教わりました。駒の動かし方だけ教わって,すぐに指したのではないかと思います。つまり,指しながら覚えるという形で。旅行から帰った後,近所の書店で故・原田泰夫九段著の入門書を購入,それで勉強しました。その後,都合のよいことに学校で将棋ブームのようなものが起こり,小学校時代は毎日のように指しました。
 中学校は学区の関係で同級生が小学校時代とほとんど同じ。ただ,僕も含めてそれぞれ部活動などに忙しく,指すことはありましたが小学校の頃ほどでもなく,高校時代は,同級生と指したというのはただ1度だけであったのではないかと思います。大学時代は高校時代よりは指していますが,それでも年に数局という程度。ただ,この頃も雑誌を読んだりテレビを見たりはしています。
 就職直後は会社の寮生活を強いられた関係で,同期入社の同僚たちと仕事の後によく指しました。ただしこれも寮生活が終る,3ヶ月程度の期間。1年ちょっと前から対局型掲示板で1日1手だけ指していますが,これを別にすれば,僕はこれ以降は実戦というのをほとんど指していないです。
 というわけで,僕は将棋ファンといっても,指すファンというよりは観戦ファンです。ただ,前述の掲示板はありがたい存在。継続は力なりといいますが,これがあるおかげで現在の僕は1日に少なくとも何分かは将棋の手について考えます。これは棋力の維持とか向上ということを考えた場合には,意外とばかにならないことのように思います。

 明日は王座戦の挑戦者決定戦,森内俊之名人と久保利明八段の一戦があります。ここまでは森内名人の11勝7敗。久保八段は振飛車,森内名人が後手ならあるいは相振飛車もあるかもしれません。

 それから王位戦七番勝負の第三局初日。連敗している羽生王位はここで勝たなければ防衛が覚束なくなります。

 『エチカ』において事物が有限finitumであるということがどのような意味であるのかということについてはこれでいいだろうと思います。そこで今度は事物が無限infinitumであるということについてはスピノザはどのように考えているのかということが問題になってくるのですが,無限である場合については,有限である場合のように,『エチカ』の中にはきちんとした定義Definitioがありません。そこで,『エチカ』において無限という単語が初出するのは第一部定義六ですので,ここではそこから考えるということにします。ただし,この定義はあくまでも神Deumについての定義であって,現状の目的は,スピノザが無限ということをどのように考えているのかということを理解することにありますので,ここではこの目的に合わせて,第一部定義六そのものではなく,この定義に付せられている説明の方を扱います。したがってこの定義そのものの問題についてはここでは言及しません。
 「私は「自己の類において無限な」とは言わないで,「絶対に無限な」と言う。なぜなら,単に自己の類においてのみ無限なものについては,我々は無限に多くの属性を否定することができる<(言いかえれば我々はそのものの本性に属さない無限に多くの属性を考えることができる)>が,これに反して,絶対に無限なものの本質には,本質を表現し・なんの否定も含まないあらゆるものが属するからである」。
 説明ですからどうしても長くなるのは仕方がないといえるでしょう。この説明からして,少なくともある事物が単に無限であるといわれる場合には,自己の類において無限であるという場合と,絶対に無限absolute infinitumであるという場合の,ふたつのケースがあるとスピノザは考えているということが理解できます。
コメント
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