スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

フォーリンカップ&イデア

2007-07-13 22:07:00 | 競輪
 四日市記念2日目優秀のフォーリンカップ(動画)。並びは中部が小嶋ー岩見ー浜口,井上ー小野ー加倉ー島田で九州は結束,残った佐々木に兵藤でした。。
 前受けは小嶋選手。以下,中団が井上選手で後方から佐々木選手の周回。残り2周のホームから佐々木選手が上昇し,小嶋選手を抑えました。打鐘から3番手で内の小嶋選手と並んでいた井上選手が発進,残り1周のホームの入口で佐々木選手を抑えて,九州勢の先行になりました。しかしこのホームのうちに小嶋選手も発進。前を捕まえるのに時間は掛かりましたが,3コーナーでは捲りきり,さらに後ろとの差を広げて,悠々と1着でのゴール。地元ということで番手となった岩見選手ですが,井上選手の番手の小野選手にやや絡まれたために少し離れ,3番手から浜口選手が差し込んでの2着。岩見選手も差されはしたものの3着で,中部の上位独占となっています。
 小嶋選手の強さについてはもう表現すべきことばも見当たりません。明日の準決勝はそれでもひとつの鍵にはなると思いますが,1着で突破できれば完全優勝が濃厚ではないかと思います。

 哲学の世界では,唯名論に対してイデア論という考え方があります。これはスピノザの考え方ではないのでざっと紹介するにとどめますが,各々の事物,あるいは『エチカ』のいい方では各々の個物にはそのイデアなるものがあって,個々の個物というのはそのイデアがあることによって存在することができるようになるというのがこの考え方です。すなわち,この考え方では,一般的なものが真理であって,特殊的とされるものは何らかの仕方で一般的なものに還元することができるということになります。文法的な考え方をすれば,唯名論とイデア論の間には,固有名詞に対する考え方に相違があって,唯名論ではこの固有名詞がほかのことば,とくに一般名詞には還元が不可能であると考えられるのに対し,イデア論では固有名詞は一般名詞に置き換えることができると考えられていると考えれば,両論の対立のあり方というのがより分かりやすく理解できるのではないかと僕は考えています。
 これについてはここでのテーマとかけ離れるのでこれ以上詳しい説明は今はしませんが,スピノザが事物が一般的に概念されるほど混乱して認識されると考えていることのうちには,たとえば人間とか馬といったような一般名詞まで,実はある混乱した認識なのであるということが含意されています。このこと,また,いかにして人間の精神のうちにそうした一般名詞が生じるのか,あるいはなぜ人間の精神にはそうした一般名詞が必要とされるのかということについては,人間の精神が有限知性であるという観点から,第二部定理四〇の備考においてスピノザ自身が詳しく説明していますので,興味がある方はそちらをお読みになってください。
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