スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

サマーナイトフェスティバル&混乱した観念の実在性

2007-07-21 22:38:08 | 競輪
 今年で3回目を迎えたサマーナイトフェスティバル。日本語だと夏の夜祭。決勝の並びは,伏見ー鈴木の東日本,永井ー浜口ー前田の中部近畿,三宅ー小倉の瀬戸内と,手島に小野。
 Sを三宅選手が取って前受け。3番手に伏見選手,5番手に手島選手,7番手から永井選手で周回。永井選手の動きは早く,残り2周半くらいから一気の上昇。そのままホームで前を抑えました。手島選手がこれを追って,永井,浜口,前田,手島,小野,三宅,小倉,伏見,鈴木で一本棒。打鐘から永井選手はそのまま発進。このスピードがほとんど衰えなかったので4番手以降の自力選手はほとんど動けず見せ場なし。結局,直線で番手から発進した浜口選手が永井選手を差し切って優勝。永井選手が2着。バック9番手となった鈴木選手もよく伸びましたが,浜口選手と永井選手の中を割った前田選手が写真判定の3着に食い込み,中部近畿の上位独占となりました。
 優勝した岐阜の浜口高彰選手は長く中部の司令塔として活躍してきたベテラン選手。2001年の全日本選抜以来のビッグ制覇。今日は永井選手の先行が予想され,あるいは競りもあるかと思われたのですが,無風で回ってこられたのが最大の勝因でしょう。
 むしろ賞賛されるべきは先行して2着に残った永井選手の方で,早めに抑えた後,あまり流すことなく先行し,それで後ろの動きを封じてしまったのですから大したものです。もとより期待の大きかった選手ですが,ここにきて本格化してきたと感じさせます。

 混乱した観念があるといい得るとしたら,それは人間の精神のような,有限である知性のうちにのみあるのであって,神の無限知性のうちにはないということは,第二部定理七系の意味から明らかです。そこでこの場合に,ある有限知性のうちにある混乱した観念を,それ単独でみるならば,これはまさに十全な観念がであるのに対して,無であるということになるのであって,したがって本来は,混乱した観念があるということさえ不条理であるということになります。
 しかし混乱した観念というのは,実際にはそれ単独では考えてはいけないような観念なのです。これが,たとえば第二部定理一一系の意味が明らかにしていることだと僕は思います。すなわち,ある人間の精神のうちにXの混乱した観念があるというのは,神との関係で考えた場合には,神のうちにXの十全な観念があるということを意味しているのです。これはXが,こりん星のような明らかに形相的な意味で非実在的である,つまりであると考えられる場合でも同様であるということは,別の観点からすでに説明しました。
 表象の実在性というのは,これと同じ方法で説明ができると思います。そしてもちろんそれは,表象の対象がどのようなものであっても同一であるということになります。したがって,羽生三冠による読み筋の表象と,小倉優子によるこりん星の表象が同一の意味で力とみなされなければならないように,それらは同一の意味で実在的であるといえることになると思います。
 このテーマはこれで終了です。明日からまとめに入ります。
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