スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

日テレ杯&表象の実在性

2007-07-20 23:38:49 | NOAH
 NOAHの先シリーズでは,6チームが参加しての日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグも行われ,日本武道館大会では公式戦2試合が行われました。
 まず先に行われたのが丸藤選手とDDTの飯伏幸太選手のチームと,KENTA選手とフリー(といってもNOAHには毎シリーズ参戦していますが)の石森太二選手のチームの試合。この試合は素晴らしい試合でした。この日は関東地方に台風が接近していて,湿度が高かったという影響で,ロープが滑りやすくなっていたと思われ,そのためにひやりとする場面も見受けられましたが,とにかく全員が20代ということもあり,ほとんど動きの止まることのない試合。その中でも,この日は石森選手の動きのよさが僕には目立って感じられました。試合の方はKENTA選手がGo2スリープで飯伏選手を降しています。勝てば優勝だった丸藤組はこれで脱落。
 こうなると次の,現GHCジュニアタッグ王者の鈴木鼓太郎選手とリッキー・マルビン選手組と前王者のブリスコ兄弟の試合が注目の的に。勝った方がKENTA組と優勝決定戦という一番でしたが,これが時間切れの引分けとなり,そのままKENTA組の優勝となってしまったために場内が珍しいほど騒然としました。
 表彰式,記念撮影の後,KENTA選手がマイクアピール。ここで王者組挑戦を表明しましたが,この中で,王者組がまずい試合をしたから場内の雰囲気が悪くなったという趣旨のことをいったのは,単にアピールとしてだけではなく,この雰囲気を沈静化させるという意味でも効果的であったと思います。

 明日はサマーナイトフェスティバルの決勝です。発走は8時半です。

 最後にもうひとつ,次の問題を解決しておきます。たとえば羽生三冠の精神のうちにある読み筋の表象も小倉優子の精神のうちにあるこりん星の表象も,その表象が力であるといわれる場合には,力の同一性がなければ,すなわち,それらは同じ意味において力であるといわれなければなりません。ところで,力と実在性というのは,スピノザの哲学においては第一義的な意味で関係していますから,それらが同じ意味で力であるといわれる場合には,同じ意味で実在的であるといわれなければならないということを意味します。しかし表象というのは混乱した観念で,混乱した観念は有と無の関係では無である,すなわち非実在的であるということですから,これは非実在的なふたつのものについてそれが力である,すなわち,第一義的には最も無力,力と反対の意味で無力とされなければならないものについて力であると規定しているので,部分的には不条理であるという問題です。
 混乱した観念が十全な観念の反対の意味においていわれるとき,十全な観念が有であるのに対して混乱した観念が無であるということは,スピノザの哲学におけるいわばひとつの基本原則のようなもので,これを覆すことはできないと僕は考えます。そもそもここでのテーマというのは,第二部定理一七備考の一文の中で,スピノザが,第一義的には無力と解されなければならないもについて,それを力であると規定しているということから出発しています。これに対する結論はもう出ていると僕は考えていますが,もう一度,この点について説明して,このテーマを終わらせることにします。
コメント
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