スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

四日市記念&力の同一性

2007-07-17 21:04:18 | 競輪
 台風の影響を考慮して,昨日に1日順延された四日市記念の決勝(動画)。
 Sは渡辺選手が取って佐々木選手の前受け。以下,3番手に井上選手,5番手に小嶋選手,8番手から成田選手で周回。残り2周のホームで上昇してきた成田選手が佐々木選手を抑えると,小嶋選手がこのラインを追走し,さらに成田選手を抑えました。4番手は内で成田選手,外で井上選手の併走。打鐘過ぎから井上選手が発進。前の小嶋選手もこれに合わせて発進し,先行争いになりましたが,これは岩見選手のブロックも効果的で小嶋選手の先行になりました。ところがブロックにいっていた岩見選手は離れてしまい,小嶋選手マークというより第二先行に近い形に。ここを後方から佐々木選手と渡辺選手で一気の捲り。千切っていた小嶋選手,最後は疲れたのか流したのか分かりませんが失速したので詰め寄られましたが,貯金がものをいい逃げ切って優勝。捲った佐々木選手が2着で渡辺選手が3着という結果でした。
 優勝した石川の小嶋敬二選手は寛仁親王牌に続いての優勝。記念競輪に限れば2月の当地・四日市以来。岩見選手のアシストが大きかったのも事実ですが,逃げ切ってのものですから立派。年齢的には衰えてきてもむしろおかしくないと思えるのですが,今が全盛期と感じられるような強さ。一体これがいつまで続くのか,興味深いところです。

 棋士が局面を多く読むということは,スピノザの哲学の考え方からすれば,それが対局の勝利に結びつくから棋士の力とされるのではなくて,単にまだ出現していない局面の表象を,その棋士が混乱した観念であると認識しているからこそ力とされるわけです。僕たちがこれを確かに棋士の力であると思いやすいのは,むしろそれが勝利に結びつきやすいから,つまり対局を勝利するのに役立つと考えるからですが,実際にはこのことは,表象が力とされることには何の関係もありません。つまり一般的にいうならば,ある人間の精神のうちにある事柄が表象されるとき,この表象がその人間に役に立つか立たないかということは,その表象が力とされることとは一切の関係がないのです。
 そこでこのことに注意するなら,もしもこの観点において棋士が局面を読む表象が棋士にとっての力であるということを認める場合には,それを認めるのと同じ論理構成によって,たとえば小倉優子がこりん星を表象することも,あるいはある人間がペガサスを表象することも,少なくともそれが混乱した観念であると認識されている場合には,同じように力であると認めなければならないことになります。確かに棋士の局面の表象はそれ自体で勝利に役立つのに対し,小倉優子によるこりん星の表象は,それ自体では何の役にも立たないでしょうが,役立つかどうかということと,それが力であるとされることは何の関係もないからです。
 したがって,表象が混乱した観念であると認識されている場合に,それが表象する人間の力であるといわれる場合,この力の意味はどんな場合においても同一であるということになります。すなわち,棋士による局面の表象が棋士にとっての力であるといわれるのとまったく同様の意味において,小倉優子によるこりん星の表象は小倉優子にとっての力であるといわれなければならないのです。
コメント
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