スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ローズカップ&混乱した観念の観念

2007-07-01 22:18:49 | 競輪
 寛仁親王牌2日目メーンのローズカップ
 渡辺選手も出ましたが,北津留選手がSを取って前受け。金子選手が中団で,山崎選手が後方。残り3周から山崎選手が上昇しましたが,北津留選手を抑えることはなく,金子選手を牽制。最終的に山崎選手が3番手に入ったのですが,伏見選手がつけきれずに金子選手が4番手に入り,伏見選手は7番手に。結果的に北津留選手の流れ先行となり,残り1周のホームから伏見選手が自力発進。金子選手と小嶋選手はこれでインに詰まってしまいました。伏見選手の上昇に合わせて山崎選手が3番手から捲り。しかし伏見選手は力を使っていたためか再ドッキングできず,捲りきった山崎選手には北津留選手の番手から兵藤選手が飛びつきました。しかし直線に入っても山崎選手に迫ることはできず,そのまま山崎選手が1着で兵藤選手が2着。伏見選手の番手からその兵藤選手にスイッチする形となった佐藤選手が3着でした。
 山崎選手はうまく3番手に入ることができ,さらに伏見選手の動きで中部勢が封じられる形になったこともあり,やや展開に恵まれた感はあります。ただ昨日も大きく離された3着とはいえ,あれはまずまずのレースだったとは思え,好調ではあると考えてよいのではないでしょうか。

 混乱した観念というのは,もしもそれがあるということができるならば,人間の精神を代表とするような有限知性のうちにのみあるわけです。そしてそれはその限りでは有と無の関係において無にあたるわけですので,誤謬からの脱却の根拠でそうしたように,Xの混乱した観念とこの混乱した観念の観念を同一個体とみなすことにはやや微妙な問題があります。なぜなら同一個体というのはまず,形相的事物としてのXと,その客観的有としてのXの観念についていわれるのですが,この場合にはXは実在しないものということになっているので,Xの混乱した観念とは同一個体となるような形相的な対象をもたない観念であると考えられるからです。
 よってこの場合にも,この混乱した観念は神との関連の上で考えられなければなりません。すなわちここで意味されていることは,第二部定理一一系の意味により,ある人間の精神の本性を構成するとともにほかのものの観念を有する限りで神のうちにXの観念がある場合,このXの観念は第二部定理七系の意味からして,形相的なXと同一個体であり,さらにこのXの観念が神のうちにあるのと同じ秩序でXの観念の観念が神のうちにある場合,Xの観念とXの観念の観念が同一個体であるということには何の問題も生じません。
 混乱した観念と混乱した観念の観念が同一個体であるということを,このような意味で理解する限り,微妙な問題というのは解決されていると思いますから,真理一般を認識することによって,人間が個々の誤謬から脱却し得るという結論についても,これで問題がないものと考えます。
コメント
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