スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

福ノ井賞&無限と有限

2007-07-27 22:31:29 | 競輪
 福井記念2日目優秀の福ノ井賞(動画)。並びは予想に反し,渡部が自力で富がつけ,空いた荒井に伏見ー遠沢でした。
 渡部選手も出ましたが,いつものように荒井選手がSを取って前受け。4番手に渡部選手,6番手に稲垣選手で8番手に手島選手。残り2周のホームから稲垣選手が上昇し,手島選手はこのラインを追走,バックで荒井選手を抑えました。打鐘から渡部選手も発進し,ホームで稲垣選手を叩き,ここで流したところを外から荒井選手の巻き返し。叩ききってこのラインの3車が前に出ました。稲垣選手と手島選手は不発。十分に車間を開けて直線から踏んだ伏見選手が荒井選手を差して1着。荒井選手が2着に粘り,4番手から少し早めに踏み出した渡部選手が3着になっています。
 荒井選手が逃げる形になり,さら脚で番手を回った伏見選手には絶好の展開。これなら勝って当然といえるでしょう。
 荒井選手はホームでスピードが緩んだときに躊躇なくいったのがよかったと思います。実質的には最もうまく競走をしたといえるのではないでしょうか。まったく結果的にということになりますが,荒井選手と渡部選手が協力したようなレースになりました。

 今日からの新しいテーマは,無限と有限についてということにします。つまり,事物が無限であるといわれるとき,スピノザの哲学,とくに『エチカ』においてはそれがその事物についてどういうことを意味するのか,同様に,ある事物が有限であるといわれる場合には,それはその事物がどういったものであるということを示しているのか,さらに,これらを一般的にではなくもう少し現実的に考えた場合に,具体的な意味で実在する無限であるものと,現実的な意味で実在する有限であるものとは,どういった関係にあると理解すればよいのか,いい換えれば,ごく普通に考えた場合には,無限であるということは有限であるということは,純粋に反対の意味を表すと受け取れますが,どのような意味で反対であると理解すればいいのか,といったような事柄を中心に考えていきたいと思います。確かに『エチカ』あるいはスピノザの哲学にあっては,有限であるということはそうではないとしても,事物が無限であるといわれる場合には,僕たちが普通に無限ということばで意味しようとするところと異なった部分,あるいはそれ以上の部分というのがあるようにも感じられるからです。
 これまでは,『エチカ』のある特定の部分をテーマとして示してきましたが,無限であるということと有限であるということを同時に示し,かつこのテーマに相応しいような部分というのがどうしても見当たりませんので,今回は単に無限と有限がテーマであるとしておきます。
コメント
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