スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

マーキュリーカップ&棋士の力

2007-07-16 22:23:35 | 地方競馬
 台風の影響で中央の土曜の小倉開催が今日に代替となったため,JRA所属馬3頭に乗り換りが発生した今日の盛岡でのマーキュリーカップ(動画)。
 発走後,シャーベットトーンが押していって先手を奪い,クーリンガーとエイシンロンバードがこれを追っていきました。ラップが不明なのでペースは分かりません。4コーナー手前で一旦はエイシンロンバードの方が2番手に上がって直線に入りましたがここからは逃げたシャーベットトーンの土壇場。後ろを離していく一方で,9馬身もの差をつける圧勝となりました。一旦はエイシンロンバードに前に出られたクーリンガーですが,直線ではまた盛り返し,競り合いを制して2着。エイシンロンバードが3着と,力量上位の馬が先行したということもあって,前に行った馬での平穏な決着となりました。
 優勝したシャーベットトーンはこれが重賞初制覇。昨年の暮れから力をつけてきた馬で,川崎記念では後ろからの競馬となり,離されはしましたが4着に入っていて,ここは順当な勝利。まだ上位クラスとは少しばかり差があるように思いますが,レース振りは安定していて,長く活躍できるのではないかと思います。

 読み筋の過程で見落としがあったり自分の都合のよいように勝手読みをしたりするのはプロの棋士にもあることですし,また,人間の精神は有限な精神ですから,事物の表象には限界というものがあって,そのために一般的に人間は一般名詞というものを必要とし,棋士の将棋の対局においては,いわゆる大局観というものが必要とされるのであって,それが絶対的な基準になるということはありませんが,少なくとも多くの局面を表象できるということは,棋士が将棋に勝つという点に関しては重要なことであって,この表象が棋士にとって力であるということ,そして,この表象が多ければ多いほど,それだけ大きな力であるということは,理解しやすいのではないかと思います。
 しかし,ここで僕たちが注意しておかなくてはならないことは,スピノザの哲学において表象が力であるとされるのは,この場合には,それによって棋士が将棋に勝てるから,あるいは勝つ確率が高くなるから力であるといわれるのではないということです。つまりこの例は,表象が力であるということを分かりやすく説明できるその分だけ,間違えやすいともいえるのです。
 スピノザの哲学において表象が力であるといわれるのは,それが虚偽にとどまっていて,誤謬には至っていないという場合です。つまり棋士が読み筋の過程で出現していない局面を表象する際に,当の棋士自身がそれが出現していない局面であるということに気付いていない限りにおいて,それは力であると規定されます。もちろんこのことは自明なこととして前提しても構わないと僕は思いますので,これが棋士の力であるという点に関しては,問題がないだろうと思います。
コメント
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