スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

竜王戦&第二部定理一七備考まとめ⑤

2007-07-26 23:19:49 | 将棋
 詳しくは後日改めて書きますが,僕が将棋を覚えたのは中原誠名人の時代でした。その後,谷川浩司名人の時代へと移行したわけで,今日の竜王戦挑戦者決定トーナメント準々決勝は,個人的にも感慨深い一戦でした。
 これは振駒。先手は谷川九段で,中原永世十段の一手損角換り。先手が1筋の位を取って右玉。この形は一昨年の棋聖戦五番勝負第二局で,佐藤棋聖が羽生三冠を相手に指したのが印象に残っています。
 結果的にみると,この将棋は中盤の構想の段階で大勢が決してしまったようです。後手は46手目に△2二銀と引き,いわゆる地下鉄飛車の構想。実際,56手目の△1一飛までで組むことはできたのですが,その直前の先手の手待ちの仕方から考えて,これは先手が組ませたもの。この間に2歩を交換した先手が61手目に▲2四歩と垂らすと,後手からの△1四歩の仕掛けは遅く,封じられていました。
 ここからは先手の土壇場。77手目,▲2五桂の直接手でなく▲1六桂と矯めたのはおそらく好手。さらに85手目の▲2五桂が決め手に近い手。後手も飛車は成り込みましたが94手目に△8四角とここから王手せざるを得ないようでは苦戦は否めず,そのまま先手の快勝に終っています。
 このトーナメントは右の山の準決勝が羽生三冠と佐藤二冠の黄金カードになっていますので,その将棋もここで取り上げます。対局日はまだ決まっていないようです。

 明日は福井記念2日目優秀の福ノ井賞。並びだけ予想しますと,伏見ー遠沢の東日本,手島ー坂本の関東,稲垣ー前田の近畿,荒井ー渡部ー富の西日本でしょうか。

 表象が力であるということを,僕たちが日常的に使うことばで示すなら,想像力ということばが最も相応しいのではないかと思います。しかしここで注意しなければならないのは,スピノザの哲学においては,表象としての想像は,想像する人間がそれが混乱した観念であるということを認識している限りで力であるといわれるのであって,その想像がそれ自体でその人間の役に立つかどうかということは,それが力であるとみなされることと一切の関係をもちません。したがって,その表象に認識の不足すなわちその観念が混乱した観念であるという認識の不足がない限り,小倉優子によるこりん星の表象も,羽生三冠による読み筋の表象も,まったく同一の意味で力であるといわれることになります。このことは,スピノザの哲学における,力と実在性の関係からもそうでなければならないことになると思います。逆にいうと,たとえばこりん星の否定ということは,この認識の不足の観点からいわれなければならないのです。
 また,同一の観点から,この認識の不足がない限り,どんな表象も同一の意味で実在性を有するといわれなくてはなりません。形相的には無である筈のこりん星の十全な観念というのは,たとえばことばの表象という形で神のうちにあります。つまりそれ自体では形相的には無の観念も,神のうちに実在的な観念としてあるといえます。したがって,表象という混乱した観念の実在性に言及することは,矛盾でも問題でもないということになると思います。
 これでまとめも終わりです。明日からはまた新しいテーマでいく予定です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする