ダイニング・ウィズ・ワイン そむりえ亭

料理にワインを
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 樋口誠

住居の変遷

2017年02月26日 02時15分29秒 | ちょっと休憩
高校を卒業するまでは親と一緒に生家=堺の市営住宅に住んでいましたので、転校生などをみて「引っ越しって大変やね」などと思っていました。


しかし、その後ホテル学校に行くために2年間の東京暮らしです。

「いかにも」という学生用のアパートは学生の多い東京ならではの「4畳半」「トイレ共用」「風呂なし」「真鍮のカギ」でした。

勿論、空調なんてありませんでしたが、楽しい学生時代です。


その後、大阪に戻ります。

ホテル勤務は両親の時間帯と合わない、などと理由をつけ、大阪市内の文化住宅です。

ここはトイレはありましたが風呂はなし。

銭湯通いが続きます。


そうこうしているうちに父が定年で堺の家を離れ「空気のよい伊賀に引っ越す」というので、元の堺の生家が空きましたので戻ります。

実は市営住宅ですが一軒家で、角の庭の広い家でした。

一人では持て余し、ホテルの同僚を呼んでは料理大会などをしまくっていたのを覚えています。


しかし、本来市営住宅は私の名義ではありませんでしたので高石のマンションに越すことになります。

ココは2DKで当時の私にはおしゃれに感じたものです。

南海線の急行で16分ですから、新聞やワイン本を「一章」読むのに丁度良かったな、と思えました。

何年か暮らしたのちに関空が出来るという俄か景気でマンション建て替え計画が起こって立ち退き。


少しばかり現金を頂いて大阪市内に戻ってきます。

それが前のマンションです。

ホテルから近くて便利でしたが古い物件でしたので冬は寒く夏は暑い思いをしました。

結局は22年超を過ごし、今のところ最長居住地です。


で、昨年から母と暮らす今の部屋。

あらゆる意味で近代的で「建付け」「セキュリティ」「設備」等も完璧に思えます。



ということで6回の引っ越し、同じ生家の2度を含めて7軒の家に住みました。

何処が良かった?と聞かれても「時代時代の思い出」や「その時の便利さ」は比較のしようがありません。


まあ、しあし少なくても贅沢になっていることは間違いありませんね。

「独り者なんやから4畳半で充分」とも言えるのですが・・・・・(今は母と暮らしてますが…)


今度の家は何年暮らすことになるのでしょうか?


ということで「気が付けば」色々な所に住んでいたな、というお話でした。

        
          樋口誠